マルクス・エンゲルスのレビュー・感想・評価
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封建制を打倒したブルジョワの武器が今や彼ら自身に向けられている。
『親切、優しさ、友愛と聞き、涙を流す人々もいるでしょう。涙で権力は得られず、権力は涙を流さない。優しさを見せぬブルジョワに親切心では勝てぬ
人類みな兄弟?ブルジョワとは敵どうしだ。
プロレタリアとブルジョワの敵対は全体革命となる闘争である。
闘いかあるいは死か』
まぁ、だいたい、これが『共産党宣言』の趣旨だ。言わずもがなだが、現代に於いては、間違っていたと言わざるを得ない。これでは、暴力革命でしかないから。
『ブルジョワは個人の誇りを交換価値に変え、無数の自由を商業活動の自由と取り替えてしまった。そして、周期的な経済恐慌は、ブルジョワ社会をますます脅かす。そして、新たな販路を求める欲望で、ブルジョワは地球を満たす。あらゆる国との相互依存があらわれる、近代ブルジョワ社会は、呼び出した悪魔を、制御出来ない。封建制を打倒したブルジョワの武器が今や彼ら自身に向けられている。』と、正に今の資本主義の終焉を『共産党宣言』の中で語っている。正に今の閉塞した資本主義の事を語っているのだ。僕は凄いと思う。
因みに、共産党宣言は読んでいない。資本論は第2巻まで読んだが、僕には理解出来なかった。
この映画、単なる伝記映画ではないので、良いと思う。
また、ソ連や中華人民共和国を共産党の国と言っているが、精々社会主義であって、格差を作っている以上、国家社会主義国だと思う。つまり、共産主義なる国は歴史上一度も登場していない。
やはり、近現代史は学習する必要があると思う。大学の入試にはあまり出ないので、おざなりにされるけど、重要だと僕は思う。
何か大きなもの創る人間は、誰かとの出会いを通じて初めてそれを産み出すものなのか
ラウル・ペック監督による2017年製作のフランス・ドイツ・ベルギー合作映画。
原題:Le jeune Karl Marx、配給:ハーク。
変革者には憧れるが共産党は嫌いということで、マルクス及びエンゲルスの人物像は殆んど何も知らなかった。ということもあってか、明治維新の大凡20年前、1840年代欧州を舞台にした若き知識人マルクス・エンゲルスの葛藤・運動・友情を丁寧に描いていて、とても興味深かった。
マルクスがドイツのユダヤ改宗家庭の息子で、一方エンゲルスはドイツのブルジョワ経営者の息子であることも初めて知った。対照的な二人が意気投合して、パリ、ブリュッセル、ロンドンで、二人で構築した理論に則ったかたちで、協力しながら理論運動を進めていく姿はかなり新鮮。ビートルズのジョンとポールの共作、或いはワトソンとクリックの共同研究の様に、何かを創る人間はヒトとの出会いを通じて新しいものを産み出すことを、再確認した様な気がした。
ただ、発言は無しとのことで労働者運動指導者の集まりに参加した2人が、クーデター的に方針を変えさせて共産党と名乗るのには、事実だろうが、将来の組織の性格を予兆している様でもあり恐怖感を覚えた。また、マルクスがロシアからの参加者を田舎者扱いしてバカにしていたのも、印象に残った。映画とは離れるが、工業が発展し労働者が溢れるドイツ・フランス・英国等では彼らの理論は十分受け入れられず、工場労働者が殆どいない馬鹿にもしたロシアで彼らの理論が重宝されたのは何とも皮肉。
マルクスの妻イェニー(ビッキー・クリープス)はドイツの有名な貴族出で彼はそれを大いに自慢にし、妻もマルクスの最大の理解者で応援者。エンゲルスの恋人メアリー(ハンナ・スティール)アイルランド出身の工場労働者で運動家で、独立した存在で有りたい、子供は妹との間で作れば良いとか言う先進的?な女性。2人の女優の演技が魅力が放ち、この映画を素敵なものにしていた。
製作ニコラ・ブラン、レミ・グレレティ、ロベール・ゲディギャン、 ラウル・ペック、
脚本パスカル・ボニゼール、ラウル・ペック。撮影コーリャ・ブラント、編集フレデリック・ブルース、音楽アレクセイ・アイギ。
出演は、アウグスト・ディール(カール・マルクス)、シュテファン・コナルスケ(フリードリヒ・エンゲルス)、ビッキー・クリープス(イェニー)、オリビエ・グルメ(ジョセフ・プルードン)、ハンナ・スティール、アレクサンダー・シェアー、ハンス=ウーベ・バウアー、ミヒャエル・ブランドナー、イバン・フラネク、ペーター・ベネディクト、ニールス・ブルーノ・シュミット、マリー・マインツェンバッハ。
マルクスとエンゲルス2人のお名前です、ナカグロでまとめないで!
マルクス、エンゲルス、だけではなく、プルードン、バクーニン、といろいろ登場して、彼らがどんな関係だったのか、どんな人柄だったのか、わかりやすく、かいまみれて楽しい。公開当初映画館で見た。マルクスとエンゲルスがどんな関係かも知らなかったのでおもしろかった。左とも愛妻家で、女性たちは活動家で、陳腐な言い方だが貧困や搾取や弾圧の中にも幸せがあったこともすばらしい。
2021年になり、人新世の資本論を読み始めたのでマルクスが最後まで書かずに終わった資本論のことなど気になり、もう一度ネット配信で鑑賞。
最後の産業革命で鉄道や工場稼働のシーン背景に共産党宣言が印刷されている。
労働者は機械人間だ、機械のつごうで働かされている。
プロレタリアートは奴隷だ。
長い年月を経て、幾多の革命、革命もどき、社会変革、を経て、2021年、いまだに奴隷制も荘園制度もそのままに、健在で、現在奴隷法なんていって、SDGsとか虚しく叫んでもこのような悪いシステムはなくならないどころかより巧妙に維持拡張し続けている。
社会はますます対立する二つの陣営にわかれていく、ブルジョワ階級とプロレタリア階級に。
ブルジョワは個人の誇りを交換価値に変え、
高い犠牲で手に入れた無数の自由を、良心をもたぬ商業活動の自由と取り替えてしまった。
新たな販路を求める欲望でブルジョワは地球を満たす。
世界ではなく地球を満たすという言葉が、マルクス晩年の探究を垣間見せてくれる。ブルジョワの、いまなら超富裕層の欲望。マルクスとエンゲルスの時代は紆余曲折あっても、社会は、世の中は、資本家中心と軍事力暴力中心のシステムはあまり変わらず弊害をそのままに今現在も恥ずかしげもなく続いている。当時と違うのは希望がないことか。
共産党宣言や資本論を読破するのは大変だから、高校とか大学とか、多様性の一環として、課題映画として見たらいいのでは。
生活と思想
えっと、思うところで終わってしまって、共産主義の本当のところまでいかない、まさに若きマルクスの物語でした。
消化不良な印象も、終わりのエンドロールを見ていると、胸につまるむなしさ、人間の欲望の変わらぬ醜さ、それでも戦う人間などの思いが込み上げてきて、泣きたくなってきて、映画としてよく考えられたものだと感心しました。
できればこの先、マルクスの思想がどのように世界で広まっていくのか、共産主義を知らないひとにわかるような続きが見たいな。after マルクスみたいな。
『思想までは殺せない』
イデオロギーど真ん中の作品であり、大変な教養を求められる内容である。大学まで出たのに、理解できないことの情けなさ・・・本当にサボっていたことを心底思い知らされることに苛まれる、そんな作品である。
少なくても、『資本主義』『社会主義』そして『共産主義』という社会のあり方を知識として持っていないと、今作品のドラマ的伝記を愉しむことは難しいと思う。観念的、概念的シーンやカットもあるので、それも又、その思想を浅くてもいいから知っていないと本当の意味で理解出来ないのではないだろうか。実際、それ以外は、若き思想家が、親友を得、愛する家族を守りながら、逞しくヨーロッパ中を逃避行しながらも、現実と理想のギャップに悩みながら自身の思想を形にして、そして運動の中心者、イデオローグとなってゆく物語だけであるからだ。そう、それだけ・・・。激しい冒険譚でもないし、燃える様なラブロマンスもない。やはり今作品のキモは、マルクス著『資本論』を舐める位のレベルでもいいから知識として知っているかどうかに掛かっている。
そして、自分は持ち併せていなかったので、感情移入がまるで出来なかったストーリーであった。決して悪い作品ではないと思う。少なくても、19世紀のヨーロッパの暮らしや風俗が丁寧に描かれていて勉強になる。映画はこういう要素も大事なのだと気付かせてくれる作品でもあるのだ。ラストの劇伴のボブディラン『ライク ア ローリングストーン』の曲は一寸日和ったかなと、制作者側に皮肉を言うのが精一杯ではあるが(苦笑) でも、少なくても、『クレイジー・リッチ!』みたいな作品を観るよりかは充分有意義な良作である。
批判の無限ループ
共産党宣言が出来るまでの歴史物語。若さ若さって繰り返すわりに古臭い作りで正直ガッカリ。しっかり者の奥さんが出てきてフェミニズムっぽかったり、お金を燃やす映像が流れたり、なんだかシラけてしまいました。お年寄りのための映画でしょうか。
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