「内容は単純。映像は楽しい。」ワンダーウーマン 1984 りょうさんの映画レビュー(感想・評価)
内容は単純。映像は楽しい。
内容は、善と悪がいる単純なストーリー。
最初のレースの内容が最高に素敵だった。そして嘘からは何もうまれないという教訓も。
「どの文明を崩壊している」というキーのアイテムの存在が良かった。
けれど、ちょっとクリス・パインが年代にあわなくて、イケてなくて悲しかった。
そして、女性の対決良かった。バーバラの心根の優しいところ、友達が居ない感じ、もう少し描いていてほしかった。そして、マックスをそこまでかばう理由を、ずっと愛していた人にするとか、ものすごい悲壮感があるとか、もう少しシリアスにして欲しかった。じゃないと、ただの尻軽女でしか無いし、悪女になる理由も無い。
あと「皆の願いをかなえなくてはいけない」とかがちょっとよく分からなかったな。
例えば、マックスが追いやられるシーンはすごく感じたけど、さらに寿命が短い設定で、
願いを叶えるたびに寿命が増えるとか、その代償は子供に来るとか、もっと分かりやすい設定が良かったな。
そしてクライマックスに「ダイアナ」とマックスが何度も言うあたりが、慣れ慣れしい。そこまで知り合いでは無かったはず。
細かいところにいろいろ気になるが楽しめた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ここからはMIROSSの陰陽での解釈。
人間の欲望は、つきることがない。
誰かを死ねと思ったり、お金が欲しいとか、愛が欲しいとか。
それらがすべて叶うと混沌とした世界になるのだとよく分かった。
その表現がうまく映像化出来ていたと思う。
しかし、人間は、心の中に敵がいるかぎり、目の前は戦いになる。
ミロスでいえば、それは「エゴ」の願望にすぎない。
エゴの願望は、過去の失敗やコンプレックスからなるもので、「そのために産まれてきた」という究極の本当の自分の願望ではない。
もし、本当の自分のプログラム通りの願望が叶う場合は、真の自己実現であり、
誰も傷つけない。自分だけではなく、他人も幸せになる。
自分を救うことが結果、周りを救う話になるWINWINの関係。それが高次元の視点での自己実現。
そしてバーバラがダイアナに憧れるシーン。
バーバラが見たダイアナの素晴らしさは、ミロスでいけば自分の鏡。
鏡として返したときに、その美しさ、強さというものは、実は自分にも存在するということになる。
変な魔法を利用しなくても、それをシステムで理解することによって、自分にも存在させることが出来た。たとえば、違う形であっても人を思いやる強さ、心の美しさが自分にあるとして、自信を持ち、自分を楽しむこと。それはすぐに出来たはず。それをしていれば、ダイアナに劣らないほど
美しい女性になって人々を惹きつけていただろう。魔法を利用しなくても。
彼女の間違いは、自分に魅力がないと自分を勝手に決めつけたところだ。
そして、「その魅力は自分には無い」と他者を他者として分離し、鏡の法則を利用しなかったが故に、人間以下に落ちていった。
最後にみんなが気づく。欲望を手放そうと。
けれど本当は、いまあるその世界が、自分の思考の、想念の結果であると正しく理解していれば
自分の体験する宇宙が、自分の観念どおりであることが理解できていれば、安易に何かを望むはしなかっただろう。スタートとゴールはミロスでは同じ。
何かを願う時、それは「いま、それが無いから願う」という無いからのスタート。
結果、ゴールは、何をしようとも、また失う。必ず失う。
スタートが欠乏感であるから。
ダイアナにも間違いがある。
確かに彼女は愛する人を失った悲しい経験をしている。
スティーブ。彼だけを求めて、生涯、独り身を貫いてきた。
三次元世界では一途でけなげな女性像だろう。
けれどミロスでは、まず自分たちの中に、男性性と女性性がいる。
ということは、ダイアナは例えスティーブを失ったとしても、自分の中に男性性がいて、
それをわかっていれば、また違う肉体で自分のペアと出会うことが出来た。
結果、ダイアナの愛は、スティーブという肉体への執着になってしまう。
それを手放せば、スティーブという自分の男性性を感じる男性とまた出会えたはず。
執着した理由は、やはり自分には男性性がいないと勘違いしていたからだ。
自分の内に男性性を存在させないと外がわに男性は現れない。
もっといえば、彼女のダイアナの一族は、男性性が欠如した集団である。
男を排除し、男より強くあろうとした。
それこそが、内側に男性性がいないということ。
しかし、男性性が欠如したら、本当は、女性性も欠如していく。
ワンダーウーマンは美しく描いているが、内側に男性性も女性性も存在していない人間に
魅力など無い。
そういう意味では、
フェイクのスティーブを手にして、力を失ったダイアナ。
このメリットは、男性よりも強い女性が、女性らしく女として甘えられるということ。
(すべての出来事には、デメリットでなくメリットがあるから)
もし力を失ったまま、女性でいられたら、
男性性が代わりに強くなり、「守り与える」という男性にスティーブが変わっていたかもしれない。
男性性を信用できず、自分が(自分我)、男らしくなろうとするから
目の前から男がいなくなる。
これは現代の女性すべてに言える。
女が女でいられるとき、男は男でいられるのに
女が男らしくあろうとし、男を見下げるから
独り身が多く、男は草食になっていく・・・・
そして、この話は、
愛をとれば、力を失う。
片側(どちらか)しか選べない二元の世界。
ミロスは、どちらをも見下ろす高次元の世界観。
その視点にいるときは、両方を手にすることが出来る
そんなことを感じた。