人魚の眠る家のレビュー・感想・評価
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御涙頂戴路線になってしまったのが残念
この前『人魚の眠る家』観てきました。
原作が東野圭吾さんだし、大丈夫かなと思ったのですが。。。
プールで溺れて脳死状態になった6才の娘の父親が西島秀俊、母親が篠原涼子。
「私が死ねばよかった」と自分を責める祖母役に松坂慶子。
脳死を死とするか、心臓死を死とするか。
が今回の大きなテーマ。
植物人間になり動けず意識も戻らないが、まだ呼吸もし温もりもある娘を前に、母親はどうしても脳死を死とは受け入れられず、医者から提案された臓器移植も拒んで家で世話をし続ける。
海外では脳死は死として定義されますが、日本ではまだ心臓が止まらないと死とはしない。
ですが、臓器移植を希望すれば、正式に[脳死判定]が行われ、呼吸器を外すことができます。
つまり、医学的に【死】とします。
西島秀俊の経営する会社が身障者の運動機能を助けるロボットの開発をしていて、坂口健太郎演じる研究者が、ロボットではなく、身障者の体に信号を送ることで体を動かせるようにする技術を開発、西島さんは自分の娘に試すことに。
ここからが、ボタンの掛け違いの始まり。
機械から送られた信号を脊髄に伝達して手や足、やがては口角まで動かし、無理矢理笑顔(のようなもの)をつくるところまできて、徐々に気味悪さを覚え始める父と祖母。
弟は学校で友達から距離を置かれ、娘を嬉々として車椅子で散歩に連れ出すようになった篠原涼子は近所からも奇異の目で見られるように・・・
だって、どうしても遺体を連れ回しているように見えてしまうのだから…
篠原涼子がおかしくなっていく様がリアル。
目が覚めて、良かった。
これじゃあ女の子は成仏できないんじゃないか…なんて、いらぬ心配をしてしまった。
子を深く愛し、その死を直視したくない親の気持ちは痛いほどわかる。
とてもデリケートな問題ではありますが。
題材自体は悪くないし、テーマも深い。
俳優も悪くないし。
でも、全体的に邦画にありがちな過剰な演出が目立ち、特に女の子の元気だった頃の回想シーンが多用されると冷めた。
絢香の歌うエンディングテーマ「アイコトバ」もいい曲なんだけど、いかにも泣かせようという匂いがして、また冷める。
過剰な演出は、逆効果ですね。
人間は押し付けられると拒絶したくなる生き物なのです(笑)
ということで、星ふたつ★★✳︎✳︎✳︎
あくまでも私個人の独断と偏見です^^
あ。西島さんのお父さんが自宅の囲炉裏で焼き鳥食べるシーンはいらなかったと思う。
「お前たちは神の領域を超えてしまってるよ」と息子を諭すいいシーンなのに。なんで囲炉裏?普通の家に?と不思議で気が散った🤭残念。
複雑な気持ち
絶対辛いと分かってるので見るのを躊躇っていた作品です。レビューの高さに見てきました。
ある程度レビューを読んでだったので、思ったより落ち着いて見られました。
原作未読。どの人も最善の努力をしているから見ていて辛い。その一方で、自分だったら選択肢に入るかなあと富裕層の家庭の出来事として入り込めないところもありました。
母親として共感するところはもちろんありましたが、弟の精神状態ってどうなんだろうと気になってました。
夢枕に立ってさよならを篠原涼子に告げたシーンは泣きました。
泣けました
久々にいっぱい泣きましたね〜。まわりでも鼻をすする音があちこちから聞こえてきました。後ろのカップルの男性は上映後彼女に「最短記録だね〜うるっとくるまで!」って茶化してましたが。原作を読んだ時は、東野さんの作品としては謎解きでもなく正直物足りない感じがしてましたが、原作からは省かれた読み聞かせの先生(?)のくだりも違和感なく繋がっていて長い上映時間を感じさせないまとまりでした。うまく感動作に仕上げた堤幸彦監督あるいは脚本の篠崎絵里子さんの力でしょうか。それにしても篠原涼子さんの鬼気迫る演技、西島秀俊さんの苦悩、坂口・川栄カップルもとてもいい味出してました。最近すっかりおばあさん役が板につき過ぎの松坂慶子さんもよかったですね。また特筆すべきは子役のみなさんです。クライマックスの従姉妹や弟のセリフにはまたまた涙してしまいました。瑞穂ちゃんが目を開けた時には「これでお別れなんだな」ってまたまたウルウルでした。よかったです。映画とは関係ありませんが感動のシーンでポップコーンを音を立てて食べてた後ろの人にはもう少しで物申そうかと思いましたが‥‥
考えさせられる
人は心臓が止まったら死ぬのか、脳が死んでしまったらそれは死んでることと同じなのか。
自分の大事な人がそうなったら自分も諦められないんだろうと思うけど、播磨家の周りの人達の反応も充分理解出来るから辛かった。最後の少年は移植前に偶然出会った車椅子で眠る少女に会いに来たってことで合ってるのかな?少年に移植された心臓が実はその少女のものなのかも、と思って切なくなった...
篠原涼子の迫真の演技に涙
人魚の眠る家イオンシネマ海老名にて鑑賞。
篠原涼子の演技の新境地に達していると感じました。
西島秀俊は前からずっとすごい役者だと思っていたのでこの映画でも安定して演技をしていました。
子役に関してはまず瑞穂役を演じた稲垣来泉ちゃんの演技にはびっくりしました。来泉ちゃんは台詞は少ないのですかその一つ一つの台詞をちゃんと気持ちを入れ演じていました。今後を注目していきたいです。これは勝手な妄想なんですが、僕は第2の芦田愛菜だと感じました。是非劇場に足を運んでくだい。長文失礼しました。
とても考えさせられました。
今回のテーマは、
とても考えさせられました、、
友人の小児ICUに勤めている看護師に
脳死について聞いたことがあったので、
何が正しいのか、
観ながら考えていました。
映画としては、
何回も泣けましたが、
子役と松坂慶子にやられました、
主演もっと頑張れ!と内心、、
監督が堤幸彦だとエンドロールで知り、
堤幸彦だったんだと、
良い映画だったので意外でした。
臓器提供もそうですが、
小児脳死の医療費の問題など、
日本はいろいろと向き合う課題が
多そうです、、
最後に薫子が
国に決めてもらうというシーンは、
ハッとさせられました。
どういう判決が下ったのでしょう?
東野圭吾あんまりわからないのですが、
とても良かったです!
問題提起を含んだエンタテインメント作品
ふたりの子を持つ播磨薫子(篠原涼子)。
夫の和昌(西島秀俊)は、ロボット技術を推進している会社の社長であるが、現在は別居中。
下の娘を小学校お受験を間近にしたある日、その娘・瑞穂(稲垣来泉)がプールで溺れる事故に遭ってしまう。
瑞穂は一命は取り留めたものの、ほとんど脳死状態。
医師の最終判断・宣告を待つばかりの状態。
しかし、薫子は「臓器提供を前提とした」脳死判定の行為そのものを受け入れることができない・・・
といったところからはじまる物語で、ひとの死とは何か、ましてやこれまでの人生途の少ない子どものそれをどう受け容れるべきか、という重い主題が横たわった映画。
なのだが、率直なところ、主題に真摯に向き合うよりも、観客の心情を動かし、感動させればよし、的な感じで作られているように感じて、冒頭から引き気味でした。
タイトル前の短いエピソード。
ノッケから仰々しい音楽で、ちょっと・・・。
幼い娘の瀕死の状態を受け容れるかどうか、ここいらあたりの中盤はかなり興味深く、映画的にも、社会派と(こういうと顰蹙かもしれないが)フランケンシュタインのモンスター映画的な側面があり、かなり興味深い。
そもそも、子どもの脳死というものがどういうものかわからない、というところから始まっているので、通常ならば自発呼吸もなく、延命措置をせねば心臓死に至るということがあらかじめ説明され、それでも一縷の望みをもって親はその子をの延命を願うのもわかる。
さらに(自発的でないにしろ)人工呼吸機が外れ、肉体的に成長することが可能ならば、それを「長期脳死」という言葉で受け容れ難いこともわかる。
なので、この中盤がすこぶる興味深い。
なのだけれど、終盤、過剰なほどのエンタテインメント(といっては語弊があるのかもしれないが)的な感動強要演出の修羅場・愁嘆場が登場し、ガッカリしました。
演出が過剰な上、そこで娘の事故の顛末が明かされる・・・って、事故の顛末、不要。
ただの事故でいいじゃない。やりすぎ・過剰すぎるよ。
この終盤の過剰演出が過剰すぎて、後半は、まるどエピローグの羅列にみえてしまうのは、映画としての主題を見失っている感もありました。
以下、個人的な蛇足感想。
娘を殺す、殺さない=娘が生きている、生きていないという、オン・オフ的発想には共感できない。
娘を傷つけ→傷害罪に問われる、問われないという方が、現実解的。切羽詰まっても、それまで大切に思ってきた娘を殺す(という意思)というのは、あまりにも身勝手過ぎて共感できなかったです。
とはいえ、少なからず(かなり大きい)問題提起を含んだエンタテインメント作品なので、まずますの評価はしたいです。
ラストの問いかけ
子供の涙はいつ観ても切ない…
子供を突然に亡くす親は、一緒に心が死んでしまうと思う
脳死…辛く切ない判定です…
例え機械で動く肉体でも生きていると思いたい
ラストの移植された少年のシーン
臓器は記憶を持ってるという事だろうか。
もし、人魚の眠る家が、そのままの状態であの家族と対面したら…
あの子は入れ物が変わっただけで生きているのか…
この作品は、脳死してもAIのチカラで動くことができる
そして、移植された心臓は記憶を持ってるという二つの問題提起をしてるように思います。
心は何処にあるのだろう…
不気味の谷
事が起こってからが物語の本題が始まるのは十分に承知していたつもりだけど、いざとなると普通の日常に突然投げ込まれる悲劇にはだいぶショックを受ける。
号泣しながらごめんなさいと謝り続けていた祖母の千鶴子の姿はなかなか強烈。
ほぼ脳死状態の瑞穂に対し、生を信じて執着してしまうか死と受け入れるのか。
そもそも脳の機能が停止したから死なのか、心臓や身体の機能が止まったら死なのか。
医学的にどこかで線引きをつけなければならないとはいえ、境界が曖昧なうえにその判断を愛する家族がつけなければならない現実が辛い。
それがまだ幼い子供だから特に。
最初は良かれと思って始まった「禁断の延命措置」。
意識の無い人間に電気信号を流して身体を動かす技術が普通に凄くて目を見張った。
しかし不気味に見えることも事実。
精巧なアンドロイドに抱く不気味の谷現象のような。
順調に見えても形は歪で、眠ったままの瑞穂にどんどんのめり込んでいく母の姿に危うさも感じる。
しかし誰の行動にも愛が見えるので非常にもどかしい思いになって苦しかった。
生人の誕生日会に起きる大事件にはかなりハラハラさせられた。
それまで少しずつずれ始めてきた家族たちの距離に一気に爆発して非常にスリリング。
結果子供たちの本音や溺水の真実が浮き彫りになりハッと目覚められたから良かったものの、あの薫子のキレっぷりはものすごい迫力だった。
しかしあのまま瑞穂を刺していたらどう判決されたのだろうか。
脳死判定はしてないから殺人罪になったんだろうか。
「喜んで刑を受けます。瑞穂が生きていたことを国に認められたんだから。」
という薫子の台詞に胸がぎゅっと締め付けられた。
最後は綺麗にまとめられてひとまず安心。
少し綺麗ごとすぎるような、どうせなら最期まであの技術を試して歩かせてみたりどんどん範疇を超えるところも見てみたいかも、と若干黒い考えもよぎってしまったのも事実だけど。
要は人体実験でもあるわけで、エスカレートさせた結果に実は臓器提供もできないほど身体機能に無理をさせていたりとか…
そんなのクレームが来てしまうか。
話自体は興味深く感情が入って涙がこぼれることもあったけど、やりすぎなくらい美しく光の印象の強い映像やしつこいモノローグにあざとさを感じて辟易としてしまった。
でも変にリアルに寄せすぎてもしんどさ倍増だしもはやホラーになりそうなのでこのくらいポップに描くのがちょうどいいのかも。
子役の子たちの演技が想像以上に良かった。
播磨家は父親が企業の社長ということもありだいぶ裕福なため満足すぎるほどの延命策が打てることも大きいなと思った。
和昌の体型にぴったり合ったジョルジオ・アルマーニのスーツと、心臓移植の募金を募っていた父親のよれたスーツのコントラストが印象的。
あとずっと引っかかるのが、夫婦の離婚危機のきっかけが和昌の浮気であるということ。
あんな良い人な雰囲気でいたけど、でもあんた浮気したんじゃん?と色眼鏡が最後まで離れなかった。
どんな子とどんな浮気をしてどうバレたのか詳しく教えてほしい。地味にスキャンダルですよ社長。
もし自分の家族がこんな状況になったらどうするか?もし自分が脳死状態になってしまったらどうしてほしいか?
置き換えて考えてみてもなかなか答えは出ない。
ドナーカード持っておこうかなと思うこともあるけど、眠ってる自分の身体が知らぬ間に抜き取られる恐怖も正直あるじゃない。
常々「死」がすぐ隣にあることをまた一つ実感した映画だった。
新鮮味のないストーリー
映画の作りは丁寧で、それなりに完成された作品です。
ただし原作が良くない。
東野ファンには申し訳ありませんが考察が不足してストーリーに深みがありません。
脳死となった娘の死を素直に受け入れられない母親という話だけでわざわざ撮る必要があるのかなと思います。
例えば篠原涼子が我が娘に包丁を突きつけるシーン。
原作とは別物になりますが、このまま彼女が娘を刺した時に彼女の罪を周囲の人物がどう捉えるか?裁く側、裁かれる側の心情を映画にしたほうがテーマにより深く迫れる気がしました。
人の技術が許される範囲と許したい気持ち
以前から気になっていた作品で重い設定に少し気が重くなりながらも観賞しましたw
感想はと言うと、良くまとまってます。
伏線の張り方もまとめ方も上手いので、原作を読んでなくても、映画だけでキチンとまとまっているのが良いです。
ただ泣かせると言うよりも心に迫るキューとなる思いに心が揺さぶられる感じでしょうか。
ただ重いですよねw それでも何処かでラストでは憑き物が落ちた様なスッキリ感がありますが、この辺りは好みの分かれる所かと。
我が子を脳死と判定されながらも心臓は動いていると言う事実に最先端技術で生かす(動かす)事で生きていると思いたい気持ち。親でなくても物凄く分かります。
脳死を受け入れると娘の心臓も止めてしまい、死が完全な形になってしまう。
実の親なら受け入れられないでしょう。
周りの人達との思いに差異はあるのは当たり前ですが、途中から最新技術機で動かされている娘に満足な母親とそれを奇異に見ている人達。
死んだ娘の可愛がってた人形を自分の娘と思い込んでる母親みたいな狂気と言うんでしょうか。
篠原涼子さん演じる薫子の演技もだんだん狂気染みた感じになってきますが、ラストでそれだけでない伏線にまとめ方に唸らされます。
テーマがテーマなだけに面白いと言うよりもこのテーマをどう捉えるかで感想も変わると思いますが、周りの人達の思いや判断はどれも間違っていないだけにやっぱり難しいテーマだなぁと思います。
圧巻は篠原涼子さんの母親としての狂気に近い思いがヒューマンミステリーとして成り立ってますが、まさしく鬼気迫る演技です。
瑞穂役の稲垣来泉ちゃんは動かない(動けない)中にもかなり難しい役を静かに熱演してます。
稲垣来泉ちゃんの演技や作品のテーマから、なんとなくは40年前の怪作「震える舌」を思い出しましたw
多分、この映画を観た後でも自分の周りに同じ事が起こっても、どの判断が正しいのかの答えは出ないと思いますが、自分の中で1つの答えとしてハッとしたのは、田中泯さん演じる播磨多津朗の“人間の技術が許される範囲”と言うセリフでそれは確実にあると言う事です。
それでも人の思いは理由や理屈ではないからこそ、この映画は面白かったと言うよりも、いろんな意味で考えさせられる骨太な作品ではないかなと思います。
ラストもありきたりかも知れませんが変に奇をてらうよりも良いかと思います。変に脱線もしないので割とスッキリまとまっていると思うので結構お薦めです。
個人の考え方による
脳死判定。その宣告をされたらあなたはどう考えますか?意識はないが心臓も動いていれば、体も暖かい。人工呼吸器も必要で、食事はチューブで永遠に補給しなければならない。
突然の事故で娘の脳死判定をされた親が受け入れられないのも分かります。ただ物語が進むにつれて下の子がそれが原因でいじめに合う場面は胸が痛みました。生きてるってなんでしょう?私は後半まで胸くそ悪かったです。
ただ最後のシーンで次に命を繋ぐところでは涙ぐみました。
篠原涼子さん母親の演技がすごい!
原作を知らないのですが・・
脳死ではないのですが、脳性まひの子供がおりました。
3歳まで生きてくれたのですが、突然亡くなった過去があります。
脳死の子と比較することはできないかもしれませんが、障害を持って生まれた子とその親にも、少なからず映画の状況と似た場面があります。
世間一般からはどう思われても、その子の生命がある限り、最善を尽くしたい。その一途な気持ちが自分も周りも傷つけていることが分からない。
最後に子どもが亡くなる時、自分にも似たような経験がありました。なぜかもうすぐ逝くんだなと思った瞬間がありました。
映画を見て、あの頃の感情が少し整理されるような気がしました。もう一度見てみたい作品です。
ただ、シーンに合わせた音楽が入って、感情より先に情景をリードしていく手法は自分には少し邪魔でした。
☆☆☆★★ ラストカットにはほんの少しだけ説明が必要か。 ファース...
☆☆☆★★
ラストカットにはほんの少しだけ説明が必要か。
ファーストシーンでボールを拾いに来る男の子が、瑞穂の心臓を移植した男の子。
久しぶりに地元に戻り。外に出られる喜びから、懐かしい街並みを歩いて行くうちに。以前にボールを拾いに入った家で見かけた、眠っている不思議な少女の家を思い出す。
原作読了済み
原作を読んでの率直な感想は。流石は東野圭吾、読ませる筆力が凄い…とゆうモノだった。
但し、原作自体が素晴らしかったか?と言うと、ちょっとどうだったのだろうか?…と思う部分も。
映像化に関しての尺の問題で。読んでいても「あ?この辺りはカットされのだろうな!」と思った場面が多数。
中でも、新章房子がらみの場面は、おそらく描かれ無いだろうな?との思いは強かった。
何よりも、原作だと映像が無い分だけ可能になる新章房子と、薫子とのすり替わり。
これをそのまま映像で描いてしまうと。本来の字を追うだけの読者に対する、ミスリードとしての仕掛けが。映像として提示されてしまう事で、ミスリードには成り切れなくなってしまう恐れが強くなってしまう。
ただ、この新章房子が登場する場面は。何故臓器移植に高額なお金が必要なのか?世界的な移植事情と共に知らされる、日本人のエゴが炙り出される。原作でも重要な部分では有ったのですが…。
それだけに。このシークエンスを映画では、薫子から和昌に入れ替わるアイデアは。観る前には全く予想もしておらず意外だった。
他では。2人の愛人に、星野とその恋人の真緒。場合によっては、弟の生人の描写もかなりの量がカットされるのでは?と思え。実際にも互いの愛人はカット。星野と真緒、生人を始めとした周辺の人達の設定や、ストーリー展開は原作通りになっていた。
まあ、細かく言ってしまうと。祖母は和昌から見て、どんどん心痛から痩せて行っている様に見える…ってゆう事だったのだが。演じるのが松坂慶子だとそんな感じには見えないのだけれど(^_^;)
脳死は死なのか?死の判定とはどの時をもって死と言えるのか?
原作が放つ問題意識の意義には、震えが来る程の凄さを感じはしたが。これをエンターテイメントとして、読者に伝える事の難しさも同時に読んでいて知らされれた。
エンターテイメントとしてのミステリー仕立てにする為と思われる、原作後半で薫子が行う誕生日会での事件。
流石に、この場面の強引さによる茶番劇には。読んでいても「なんじゃこりや〜!」…と。
何よりも、原作を通しての主人公となる薫子の。思いの強さから来る、母親としての自己中愛の異常性。
これを映画を観に来た観客に、果たして理解を得られるのだろうか?とゆう疑問が、どうしても拭えなかった。
ところが、原作だと茶番劇に思えた(あくまでも個人的に)この場面でしたが。篠原涼子が放った、(確か)原作には無い。「国からのお墨付きを貰うの!」の一言で。原作を読んでいた身として、何だか納得させられてしまうとは思わなかった。
原作を読んで薫子を篠原涼子が演じる事は、「有ってるのではないか?」と思わされた。
はっきり言って、演技力はテレビ的で今一つとは思えるのだけれど。薫子の時々見せる嫌味な台詞や、性格。時として瞬間湯沸し器的なところを見せる場面等が、如何にも…と思えたので。
観る前には。ここ数年の堤幸彦を考えると、とても出来の良い作品になるとは思えなかったのですが。今回の映画化は、東野圭吾原作の中ではまずまず成功の部類に入るでしょうか。
それでも、映像に少しばかり凝るカメラワークやアングル・照明の当て方等。少しでも前に前に…と、主張して来る部分は気にならない…と言ってしまうと嘘になってしまいますが(´-`)
2018年11月18日 イオンシネマ市川妙典/スクリーン3
子を持つ親こそ考え深い作品
脳死の可能性が高いが心臓は動いている。
それを死として受け止めるのか否かがテーマになっており、幼い子を持つ親なら考え深い作品ではないか。
もう意識が戻らず感情が無い我が子に対して、延命治療を選択するのか、脳死判定をし臓器提供をするのか。
一見 無さそうな話だが実はとてもリアリティがある為、
子供に もしものことがあったときはどうするのか、どうしたいのか、どこか片隅にでも考えておいてもいいのかもしれない。
しかしながら母親役の篠原涼子さんの演技がとても素晴らしくハラハラさせられました。
母親強し、と思わずにいられない作品です。
圧巻の一言でした!
何を持って「死」とするのか、、、
常にそれが重くのしかかる映画でした。
篠原涼子さんの圧巻の演技には
終始圧倒されていました。
娘の死を受け入れることのできない
母親を本当に見ているかのようでした。
その他の方の演技も素晴らしく
星野の恋人役の川栄さんにも引き込まれした。
「あれが彼の望む未来なら、その先に何があるのでしょうか」というセルフは、心の中でずっと反芻していました。
何度も見たいと思う映画ではないけど
僕の中では今年1番だと思います!
陳腐
死を題材にした映画に対して、「陳腐」とは不遜極まりない。
だが、ありふれた内容で、本当に東野圭吾?と思わざるを得なかった。
脳死は死か?否か?
哲学的なことはさておき、医学的に死なのは明らかだ。
感情的に理解できず、狂気の領域に踏み込んでしまう親心は理解できる。
でも、それはありがちな題材で、そこに科学技術を持ち込んだところで画期的ではない。
予告編を見たときにはもっと深いものがあるのでは?と期待させられたが、特にはなかった。
死に際に娘が具現化して別れと感謝を口にするというのも、また陳腐に感じた。
母親が娘を刺そうとしたシーンがあった。
あれが唯一の見どころに思えた。
脳死の娘を刺したらそれは殺人か?
その問いかけには迫力があった。
そこをメインテーマにしてくれていたら、もっと東野圭吾らしい世界が展開したのでは?と惜しまれた。
刺さなかったことで単なるお涙頂戴になってしまった。
原作未読なので、読んでみたい。
感性的な人には小難しく、理性的な人には整然としすぎた東野節
東野圭吾らしいテーマの作品。"脳死"を巡る最先端テクノロジーとヒューマニティーの間に起きる矛盾を、気味が悪いほど冷静に客観視した印象だ。
不慮の事故で、5歳の愛娘が意識不明の"脳死"状態におちいる。日本の法律では、"心臓死"と"脳死"の2つの解釈が残っているため、肉親が"臓器提供"を申し出た時点で"脳死判定"が行われるという事実が知らされる。そうでない限り、延命措置が続けられる。
つまり、医学的には亡くなっているはずの"愛娘の死"は、法律では決められず、両親の判断に委ねられる。
人物設定が絶妙で、両親は離婚直前の別居中。夫は医療関係のテクノロジー企業の2代目社長。妻は娘(事故に遭ってしまった子)の小学校受験、いわゆる"お受験"が終わるまで、離婚をしない約束をしている。
ほどよくお金持ちで、それなりの学業をおさめた、一定レベルの常識を持ち合わせた一家である。そこに突如、降ってきた家族の"脳死"という、とてつもない障害。
また夫の会社では、人間生活をサポートをするためのロボットアームや、脳波から身体を動かす研究部門などがあり、それと、"脳死の娘を救いたい"という動機が結びあってしまう。
さらにここからの展開が、東野節である。この手の、大風呂敷を広げた設定は尻窄みになりがちなのに、この作品は違う。アッと驚く結末が用意されている。
これがボロボロ泣けるか?と言われると、人によるかもしれない。登場人物が全員、妙に理性的に動ける人(要するに理屈っぽい人)ばかりで、そこまで理解っているなら、なぜそうなるの、と首をかしげたくなる部分もある。
感性的な人には小難しく、理性的な人には整然としすぎていて、あまり共感できないのではないか。いつもの"東野圭吾臭い"のもそのへん。
しかしそれを補うのが、篠原涼子のキャラクターである。泣ける作品になりうるのは彼女のおかげである。いまさら演技力を褒めるまでもない。エモーショナルなシーンでの存在力は抜群だが、それよりも、失礼ながら時折、天然を覗かせる愛すべきキャラがちょうどいい。裕福な家庭の"勝ち組主婦"っぽくて、リアリティーがある。
もちろん堤幸彦監督の技も光る。フザケないときの堤監督は、"さすが"である。(フザけたときのブッ飛び方も面白いのだが)。
あまり中心的役割ではないが、ここでも川栄李奈のオラオラ演技が空気を変える。ふつうの演技をしているだけなのに目を引く。周りを喰っていく存在感は、やはり只者ではない。
(2018/11/17/ユナイテッドシネマ豊洲/シネスコ)
「生」と「死」の定義とは
さっきまで普通に接していた人が
いきなり脳死と言われたら…
重い題材だがいつ誰に起こってもおかしくない展開。
だからこそ身近に感じる部分があった。
人は何をもって「死」と位置付けられるのだろうか。
果たして意思に反して体を動かしたり
表情を操ったりすることが、
本当の意味での「生」と言えるのだろうか。
今後クローンやiPS細胞のような
医療・科学の技術が益々発展して
人間の全てを支配できるようになった時、
人は機械に操られてまで生きなければならないのか。
残されたものたちはそれでもきっと
大切な人に生きていて欲しいと願う。
人権とか倫理とか、
そんなことを考えさせられる作品だった。
「人は二度は死なない」のセリフから先は圧巻。
涙が止まらなかった。
こう言ったら失礼にあたるかもしれないが、
非常に美しい終わり方だった。
最終決断をした両親には
物凄い覚悟が必要だったと思う。
いつか自分の家族が「死」と判定されたとき、
果たして自分はそれを受け入れて
望み通りにすることが出来るだろうか。
今、こうして普通に生きていることへの幸せを噛み締めながら、
これまで以上に身の回りの人を大切にしようと思えた。
心が洗われるので
是非多くの人に見て欲しい作品です!!
全114件中、81~100件目を表示