人魚の眠る家のレビュー・感想・評価
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刹那、その愛、狂おしいほどに…
たとえこの幸せが刹那のものであろうとも
だからこそ、今を、この瞬間を生きる…
かつてのわたしなら、観ることをためらったであろう作品。
たとえ意思の疎通ができなくても、
言葉を交わさずとも、お互いに【心と体】が引き合ったり
サインを発しあったりする事があります。
それは日頃気にしていないにしろ
生き物には本来備わっている感覚なのだと思います。
そして時に、思考や理屈を越えた “なにか” がヒトを突き動かす衝動に変わり
他人はもちろん自分でも分からない行動に及ぶ、それを【本能】と言うのだろう。
篠原涼子さん演じる母親が娘の死を受け止めることをせず
たとえ見せかけだけの〈生の執着〉にすがったのは
はたして【母性本能】なのか、それとも【ワガママ】なのか…
本作『人魚の眠る家』の主要人物たちはいわゆる「ブルジョア階層」で
まぁ、お金持ち!
映画の見せ方で言うのなら、財力あっての延命処置であり
また手足を動かせる技術の持続につながっているのだから
最初わたしは、やっぱり【ワガママ】な部分を感じていました。
でも終盤に進むにつれ、事件の真相が明らかになり
母親も感情を出し切り、気持ちの整理ができた段階にきての
『もう、いくのね…』
『おかあさん、ありがとう。うれしかったよ…』
のシーン。もうわたし号泣!!
最後はやっぱり【心と体】がもたらした【母性本能】
だったんだなぁと思いました。
あと、オープニングからアバンタイトルのシークエンスが
ラストシーンへとつながるところ、古典ではなくむしろ様式美
であるとわたし個人は強く思うのでありました。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
さて、今回はいつも以上にさらに語らして!
パーソナルな部分と個人的見解。
毎度のことながら、ほかの作品から引用させて下さい。
わたしは作家〈上橋菜穂子さん〉が好きで、ほんとうに好きで
著書『獣の奏者』の文庫版が発刊された際
すぐに手に取り書を読み進めました。
ですが後半、つらくて読むのをやめてしまいました。
なぜならば、本書の主人公の女性が戒律を破ってでも
真実を追い求める過程で、亡き母の残した足跡をたどるうちに
徐々に母のその思いを知っていく…
という物語の構造がとても悲しすぎたからです…
そして本作『人魚の眠る家』では、娘を思う母の視点で描いていますが
【母と娘】との関係性のカウンターとして『獣の奏者』とを重ね合わせて
わたしは観てしまいました。
母と娘と、さらにその子供という世代を超えた【思い】はきっと
つながっていく。いや、つなげなければいけない。
それは長く連綿と続く生命の営みなのだから…
だからわたしは【もうひとりの母】松坂慶子さんもすごく不憫に思い観ていました。
そして本件に関わった、これから母になるであろう川栄李奈さん演じる女性も
すでに母親になる覚悟がすわったから彼氏、坂口健太郎をゆるし「おかえり…」
と声を掛けたのかもしれません。
最後のカット、かつてあった『人魚の眠る家』が空き地になっていたのが
皮肉にも悲しかったなぁ…
さて、ここで言う【人魚】とは数々の伝記から想起される
個人の《永遠の生命》ではなく
ヒトからヒトヘの《普遍的な生命》のイメージなのだと
ラストの少年が教えてくれた気がしました。
2018/11/29 劇場にて鑑賞
海外渡航での移植に関して
移植を必要とする子を持つ親としては、なんとかして助けたいと思う事は間違いでは無いだろう。
脳死の子を持つ親が移植を拒否する権利も必要。
海外渡航で移植する事で、海外の移植を待つ人の命を奪う事になる事を知る義務はあるだろう。
他人の臓器を当てにする事のおぞましさを基本的に持つべきだと思う。
必要な人がいるなら提供してもいいと思う人がいる事が議論の初めに無いといけないと思う。
良かったです。
臓器移植、人口吸引、科学で人を操る…
かなり重い題材だけど、脚本のせいかわかりやすく、登場人物の全てに感情移入ができる。
涙? 斜め後ろの方の鼻水をすする音が聞こえていたが、機械の力で、植物状態の子供が「ニッ」と笑うところは、流石に不気味だった。
なんとも言えない
母親の自分には最初から最後までキツい内容だった。
脳死を死とするのか、心臓停止で死とするか。
こうして、生かしておくのも
親のエゴかもしれないし、最後
移植すると決断するのも良かったのか、
答えのない内容なだけに
自分ならどうするかなと考えながら観た。
そして、自分だったら、
どうしてほしいか、延命措置をしてほしいのか
誰かの役にたててほしいか。
私は誰の負担にもなりたくない。
むしろ、誰かの役に立ちたいから
ドナー登録しようかなと思いました。
難しい内容だが、
映画はきれいにまとまっていて、
映像も色が鮮やかに感じた。
奇跡を起こせ
陳腐で平凡でいいから奇跡がおきて目を覚ますハッピーエンドがよかったよ。
それやと少年が助からんというのなら少年にも奇跡を起こせばいいだけや。
どんどん奇跡起こしてみんなハッピーエンドにすればいいやん。
脳死=死ではないと、絶対に認めたくない母親。脳死の判定は臓器提供の...
脳死=死ではないと、絶対に認めたくない母親。脳死の判定は臓器提供の意思確認前にはできないこと知らなかったし、脳死と心臓死の法的解釈のことも知らなかった。
パパから娘へのプレゼント場面。娘の両手にママが電気信号を流して操作して動かして受け取り、顔の表情筋に電気を流して口角を上げて笑顔にする。その前のシーンでエコー反応を目撃した川栄、ひきつるパパと連続で見せて観ている人に早い段階でこれはアカン!ってわからせる構成。娘の体調改善の効果が出ていることに喜ぶ母親と研究成果が形になっていることに夢中な技術者にはそれがわからない。
娘を目覚めさせるという目的が、いつの間にか電気仕掛けの生き人形の実験みたいになってしまっていることに気付いていないことに周囲の反応は...
最後はもう周囲の人々に娘が生きているという一点を認めさせるだけになってしまい完全におかしくなる。娘は死んでない!
死の定義を問う為に警察を呼び出しておいて凶行に及びそうにまでなる。思っていた以上に重い作品だった。
脳死をどう捉えるか?
播磨家に起こった悲劇は誰にでも起こる事である。
「まだ生きている」と奇跡的回復を願うか?
意識不明で心臓が動いているだけとして、臓器移植を考えるか?
播磨家は奇跡を起こす方向を目指す。
新しい技術で神経に信号を送り、身体を動かせるようにする。
病状はよくなり自宅療養し始めると、妻(篠原涼子)に異様な気配が。世の中に娘が生きていると認めさせようと躍起になり、息子は学校で「 死んでいるのに」と苛められ、祖母は付き添ったプールで目を離したばかりにと悲しむ。
離婚寸前であった夫は自社の技術を娘に使い、仮初めの命を吹き込ませ妻の生き甲斐を生み出したものの、信号によって動く娘を見て考えを改める。
妻が刃傷騒ぎを起こした事を契機に一気に物語は進展し、妻の中でも整理がつき、娘との別れの夢をみる。
脳死をどう見るか?その立場立場で全く違う見解になるし、心臓移植希望家族と脳死者家族は家族の復活を望んでいるのは同じだが誰かの心臓を必要とする臓器移植は他者の生命を貰わなければならない。
逆に脳死は奇跡を祈るレベルだ。
播磨家のように財政的余裕がなければ、脳死状態を維持するのは困難でこの作品のような例は少ないと思う。
賛否両論あるが、こう言う作品は度を越えたアピールをしがちではあるが本作はそれほどではないと思うので、ちょっと涙がでても良いかな?と思う方はどうぞ。
いろいろ考えさせられる話でした
事故で意識を失った瑞穂。
母の薫子は、瑞穂が死んでいないと思い、瑞穂の世話をする。
父の和昌も、それに応えるために瑞穂の治療を探す。
そして、瑞穂の体を動かす方法を見つける。
周りの人たちがおかしいと思いながら、薫子はどんどんおかしな方向に進んでいった。
薫子の夢にでてきた瑞穂の言葉でようやく死を迎えることができたという内容だった。
話の途中まで、明るくていい話だと思っていましたが、後半になっくると狂気すら感じることがありました。
周りの人たちも、瑞穂の体が良くなっていると初めはうかれていましたが、ある一定のところまで行くと、気づき始めるんだなと観ていて思いました。
親の気持ちまでは、理解できませんが、子供の死を受け入れるのには、相当な葛藤があるんだろなと思います。
生人の気持ちが痛みました。周りの子供に嫌がらせをやられ、薫子は瑞穂のことばかりだっただらうと思います。
きっと、寂しい思いをしていたんだと思います。
葛藤に、涙する。
何の知識もなく見た。篠原涼子主演の話題作だ〜。くらいで見た。
こんな内容だと思わなかった。驚きと、衝撃と、怖さ、切なさ、全てにおいて涙が、とまらなかった。なんだこの映画は。
篠原涼子の演技が凄い。本当に目の動きひとつ、引き込まれる。そこにいるのは篠原涼子という事を忘れる程、話にのめりこんでしまう。
全体的に何とも言えない不穏な空気が漂うようにしている。ライトは青を多く使い、「人魚の家」を連想させる。ラストの構図も家をみせることで題名との違和感もない。すべてがしっくり来る。凄く考えられた作品だ。
生きていると思いたい母親の気持ち、添いながらもだんだん違和感が見え始める父親の気持ち、みんなから奇特な目で見られたくない息子の気持ち、過ちを悔やみきれない祖母の気持ち、明るくふるまう義理姉の気持ち、本当のことを言えなかった姪っ子の気持ち、みんなわかる。みんな間違ってない。だから辛い。
父親の、「俺が、偽りの希望を抱かせてしまった」はすごくささった。父親だって、ただ、娘を、失いたくなかっただけだったのに。
今回は子供だったが、子供だけではない、自分の、大切な人が、こうなったら、と考える。誰にでも起こりうることだと思う。でも。みんな、決して考えない。普段、そんな重くて暗いこと、考えない。この映画をきっかけに、一度、話そうと思った。明日、自分が、自分の大切な人が、起こりうる可能性はゼロではないのだから。
最後の男の子は、これは、苦しい葛藤を乗り越えた視聴者が、少し救われるシーンだと思った。解明されていないが、臓器は、元の持ち主の何らかの意志を引き継いでいると聞いたことがある。娘さんはどこかで生きている。光が射し、希望を持てるラストだったように思う。
個人的には松坂慶子さん、山口紗弥加さんの演技が良かった。すごく自然で、こんな人が本当にいる、と思うのに違和感無かった。篠原涼子より目立つことなく、脇役を最高に固めてくれているのもさすがだ。
川栄さんは先日、元婚約者に向けた?ツイートがヤフーニュースになったところだったので、ちょっと悪い意味で存在感が際立ってしまった。(^^;)
この映画はお薦めではあるが、人に進んで薦めるようなことはしないでおこうと思う。この題材に、覚悟が出来る人だけ、見たほうがいい。翌朝、辛すぎて泣きすぎて目が腫れてしまった。
“ハート”はいつまでもあり続ける
東野圭吾の小説の映画化。
氏の作品にはいつも良質のミステリーを期待するが、本作は、
サスペンス的な要素もあるが、もし自分だったら?…などその他色々考えさせられる、衝撃と感動の人間ドラマ。
これまで見た東野作品の中でもかなりのBEST級。
傍目には裕福。しかし現在別居中で、娘・瑞穂の小学校受験が終わったら離婚する事になっていた薫子と和昌の夫婦。
そんなある日、瑞穂がプールで溺れ…。
医師から告げられたのは、心臓はまだ動いているものの、脳死状態。しかも、回復の見込みは無い。
突然の悲劇。その悲しみの中、さらに決断を迫られる。
脳死を受け入れ、臓器提供の意思の有無。
それは、娘の死を認めるか否かでもある。
下した決断は…
臓器提供。
その手術寸前、奇跡のような出来事が。
娘の指先が微かに動いた。
単なる肉体反応にかもしれないが、娘はまだ生きている…!
そう確信し、延命を希望。特殊な方法で。
和昌はIT系機器メーカーの社長。若い研究社員の星野が取り組む最新技術を採用する。それは…
微弱な電流や機器で、娘の身体を動かすというもの。
常人には驚きのまるでSFのような方法。本当に現在の医療や機器の進歩はSFの世界だ。
これにより娘は、目覚めぬまま身体だけ成長。
それでも家族は“生きている”娘に喜びを感じていたが…
何度も何度も自問し、正しい答えが見つからない。
果たして、娘は本当に“生きている”のか…?
自分は子供が居ないので、酷な第三者的な意見だが、子供が居る親だったら、誰もが信じるのだろう。
どんな状態であれ、どんな方法であれ、生きている、と。
が、もう動かぬ身体を機械で動かし続ける。ロボットのように。
そこに、娘の意思はあるのか…?
残酷のようにも感じる。
気持ちは分かるが、それは親の自己満足ではないのか…?
正しいのか…?
確かに、命は命だ。
助かる命と助からぬ命がある。
助からぬ命は自然な運命に身を委ね、そこに人の手を加える事は、決して手を出してはいけない領域ではないのか…?
家族や関わる全ての人々の歯車を狂わしていく。
自分が取り組む最新技術を信じる星野はのめり込んでいく。関係良好だった恋人とすれ違いが生じ、ないがしろに…。
薫子の母や妹は協力を惜しまないが…。(この母の思いも胸に響く)
妹の娘が抱えるある罪悪感。
瑞穂の弟・生人は学校で友達が出来ない。死んでいる姉と生活しているという、気味の悪い対象に。
最新技術採用を勧めた和昌だったが、妻と考えが分かれ始める。
そう、薫子が次第に常軌を逸していく。
娘が生きているかのように接するのは、理解は出来る。
が、あまりにも娘の介護第一にし、時に母や息子、夫に辛く当たる。
何かの祝いの席に娘を必ず同席させ、散歩にも連れて行くように。
見世物のような周囲の怪訝の目に晒される。
機械で“笑う”娘。それを見て、嬉しそうに満足そうに薫子も笑う。
このシーン、サスペンス的と言うより、もはやホラーのような戦慄…!
そしてラスト直前、娘は死んでいるのか生きているのか、薫子は暴挙に等しい行動を取る。
娘を深く愛するが故。
深過ぎる愛は人を狂気にさえ陥れる。
が、重く、苦しく、痛々しくも、深く胸打たれる。
実生活でも母親である篠原涼子が、母親の狂気と葛藤と愛を体現。数々のドラマ/映画含め、キャリアベスト級の熱演。
西島秀俊も複雑な苦渋の演技。
キャストの中でも、瑞穂役の女の子は身体を動かす事の出来ない“脳死状態”という役所を見事に演じた。
一筋縄ではいかない難しい題材を、時にサスペンスフルに、重厚に、繊細に、感動的に描いた堤幸彦の演出は、近年の中でも最上級。
映像や音楽も美しい。
どういう最後が待ち受けているのか予想出来ず、話に引き込まれた。
途中、臓器移植を待つ和昌の昔馴染みの娘のエピソードがあり、そういう展開になるのかと思いきや、
意表を付き、かつ望んでいた穏やかな着地となった。
多くの苦悩に直面しながらも、延命を続ける。
が、延命とはあくまで命を少しだけ生き延ばせるだけであって、その時は必ず来る。
そして遂に、その時は来た。
家族や周囲にキチ○イのように思われても、娘を守り続けた母。
“別れ”の際の娘からの“感謝”の言葉は、母親の夢でも思い込みでも無い。紛れもなく、娘の本心だ。
娘の心臓の臓器提供が行われた。
この冒頭とラストに登場した少年はちとご都合主義的にも感じたが、
娘の命でまだ助けられる命があるのならば…。
娘の命は、尊い人一人の命を救ったのだ。
確かに娘はもう居ない。
が、娘が繋いだ命。生きた証し。
冒頭、娘が見付けたという“ハート”。
その“ハート”は、いつまでも、命と家族を…。
死んでいるのかそれとも
原作の東野さんの作品を読まなくなって数年になる。シリーズものの刑事の話があまり好きではなくて読まなくなった。なのでこれが東野さん原作とは知らずに見た。
最後の「この子はもう死んでいるんですか?もし今私がこの子を殺したら殺人ですか?じゃあ生きているんでしょうか?」このセリフがなんとも東野作品らしくてなるほどと思った。篠原涼子の母親の姿は宣伝文句よりさらに静かな狂気が良かったし対する西島秀俊の一歩引いた父親役も悪くなかった。東野作品また読んでみるかなと思った。
ラストで解放されました
子供の脳死問題がテーマで自分だったらと考えてしまいました.だから,母親の狂気にも共感せざるを得ませんでした.たとえ脳のCT画像が絶望的であっても,子供の脳ならば外部からの刺激で少しは回復するのではないかと信じることは仕方ないと思います.でも現実にはほぼ不可能なのは確かなことで仕方がない.しかし,最後に助けられた男の子と,命日の話で鑑賞中のモヤモヤが晴れた気持ちになりました.とても良い作品だと思いました.
東野作品が好き
普段活字を読みのが苦手な人間の私が歴史小説と湊かなえ、そしてこの映画の原作の東野圭吾だけはよく読む。
映画としてはほぼ合格点、篠原涼子の演技も子役達も頑張っている。
映像としては難しいあったのであろうが、原作のボランティア活動の薫子は挿入してほしかった。娘を守る狂気の薫子と、それを客観的に見て反対の立場も理解している薫子、その2面性は表現して欲しかった。ただクライマックス前の生人への我を忘れたように張り手、警察とのシーンは概ね評価出来る。
最後に一つ許せなかったのは物語冒頭の瑞穂が病院で治療を受けてるシーン、何であんなに画面ぶれてんの?緊迫感出すためならしょうがないけど、酔ってしまいそうでした。
辛い…
重いテーマ、奇跡は起きない幸せではない顛末。見ていて心が張り裂けそうになる映画です。
泣かせようとする見え透いた意図をほとんど感じないのに、随所で涙が溢れてくるのは、役者陣の力量だと思います。全員がはまり役で名演技でしたが、とりわけ際立っていたのが松坂慶子さんでした。あれだけのキャストを相手にすべてを飲み込むほどの迫力。孫を守れなかった責任を感じる祖母としての立場、娘を持つ母という理解者としての立場、それでもやはり娘を自分の子供として気遣い守りたいと思う母親としての立場、その狭間で苦しみ、溢れる感情と覚悟の凄まじさが痛いほど伝わってきて圧巻でした。
「死ぬ」の定義を問う!
人魚の眠る家
鑑賞日 2018 1/3
元々見に行く予定はなかったのだが、アプリ 映画.comでの評価がとても高かったことと今日(1/3)が上映最終日だったことで見に行くことに。東野圭吾の原作小説は未読で、予備知識無しで鑑賞。まず、キャストの演技が本当に素晴らしかった。主演の篠原涼子や、子役の稲垣来泉、斎藤汰鷹、荒川梨杏の演技が全く違和感を感じさせず、映画とは思えなかった。特に印象的だったのは、篠原涼子演じた主人公の播麿薫子が狂って娘の瑞穂に包丁を向けているときに斎藤汰鷹、荒川梨杏が「ごめんなさい」と言い続けて泣くシーンだった。また、最初は単純に目を覚まさない脳死状態の娘に希望を抱いていたが、少しづつおかしくなっていく薫子役の篠原涼子の演技もまた素晴らしかった。「脳死は『死』なのか?」ということについても考えさせられたし、もし自分の子供や自分の周り人が脳死状態になったら自分はそれを「死」として認めることができるのか不安になった。
観て良かった
原作は既に読んでいました。
東野圭吾作品は映像化すると、折角の面白い話が描き切れていない物があるのですが逸脱することなく、非常に原作に忠実に描かれています。
脳死の子供を死んでいるとは受け入れられず、科学の力を借りて生きている時と同じ様に扱う事と自分の子供の命を繋ぐ為にドナーを待つ家族は同じ思いなんだと感じました。
どちらも子供に生き続けて欲しいという願いは同じだから。
この話は下手したら、脳死→ドナーになるべき、と受け取られかねません。でも、この話はそういう事を言ってるのではないですね。今一度、命の重さ、尊厳について考えてみるべきですね。
計らずも今日この映画を観に電車で向かっている時、下車予定の駅のホームで飛び込みがあったので…尚更です。
主題歌の絢香が歌う「あいことば」がこの映画にとてもよく合っていてとても良かったです。心に沁みます
「死」とは
授業内でも取り扱ったテーマというのもあって、ずっと気になってた。私は脳死は死んでいることと同じだと考えていたけれど、でもどこかその考えに違和感を感じていた。体温が感じられるのに、心音が聞こえるのに「死んでいる」なんてやはりどこか納得できない。科学の進歩は素晴らしくて毎日恩恵を受けているけれど、どんどん本来人間があるべき自然な姿からはかけ離れていくように感じる。
科学技術によって瑞穂が笑みを浮かべるシーンの違和感。脳死のまま成長していく瑞穂への違和感。どこか納得できなくても脳死は「死」だと考えていた私だが、途中から瑞穂が生きているのか、死んでいるのか分からなかった。瑞穂は生きているが死んでいて、死んでいるが生きている。数十年前では考えられない矛盾が科学技術の発達の影響で起きていて、ついに中国では双子のクローンベイビーが産まれた。人間はどうなっていくのか少し恐怖を感じた。
私にとって今まで感じてきた脳死を「死」とする違和感への答えのヒントをキャラクター一人ひとりが教えてくれた映画だった。
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