「色々考えさせられました」人魚の眠る家 まゆうさんの映画レビュー(感想・評価)
色々考えさせられました
「我が子が脳死になったら」という視点で見ると、篠原涼子の母役は違和感はあまり感じなかった。テクノロジーで娘の表情さえも操作してしまうというホラー仕立てで、母親の狂気を気味悪く演出しているが、体がまだ温かく、呼吸をしていて、爪や髪が伸びる、眠っているだけのように見える我が子を、どうして死んだと諦められるだろうか?事故で亡くなったり、事件に巻き込まれて亡くなったりして既に弔いを済ませていても、それでも何年も辛いまま、苦しみを抱え続ける程に執着があるのが私はむしろ人間らしく、それが人間という生き物だと思う。まして、何をもって死とするのか非常に難しい脳死である。脳死の娘を自宅で介護しながら、毎日一緒に外出したり、下の子の入学式に連れて行ったり、季節の行事やお祝いを親しい人たちと自宅で楽しむ際娘を同席させる事も変だとは感じなかった。人目にふれることをタブー視するのは何故か。何かおかしいだろうか?隠さなきゃいけないのか?人それぞれ生き方や価値観は異なる。それを否定することは誰にも出来ないし、実際お世話をする身近な家族にしか分からない変化や気付きは、私は否定できないと考えている。
ただ、仮に、この娘が50年もこのままだったとしたら、娘本人が果たしてそれを望むだろうか?というのは疑問である。親はどんどん年老いて行き、延命のための経済的負担や労力は、映画を見ても容易に想像がつく。脳死になった時、「本人が」どうしたいかというのは、生前に話し合っておくか、ドナー登録以外に確認のしようがない。そういう意味で、臓器移植の意思表示を生前にしておくことの重要性をひしひしと感じさせられる作品だった。
乱暴な言い方かもしれないが、脳死になることは、この作品に限って言えばある意味天命である。もし、脳死は不幸であると言うならば、それは今生きている人たちの健やかな生活、人生を、苦しみや悲しみで支配し続けることをもって初めて不幸と呼ぶのではなかろうか。色々な家族の形があること、色々な生活スタイルや考え方があるということ、虐めたり異端視するのは当事者を更に追い詰め深く傷つけることを、この作品を通して考えさせられたし、また、一緒にプールに行った少女や、プールに付き添いした祖母の抱える罪悪感や苦しみを十分にケアする必要性も強く感じた。
希望は時に残酷で、この母親やテクノロジーの研究者(坂口健太郎)は結果的に行き過ぎてしまったが、希望をどこに見出すかを葛藤する登場人物たちの姿は、いじらしくもあった。母親の狂気を唯一止められたのは、生き残った少女の「ごめんなさい」というあまりにも悲痛な叫びだったのが印象的。子役たちが大変素晴らしかった。
また、反対にドナーを必要とする家族の側の作品を観てみたいと思った。そうしたら、この作品の印象がまた変わるかもしれない。
全体的に映画というよりはテレビドラマっぽい作り。ストーリーに男女の要素を入れているが、人間辛くてもお腹空いたり排泄したりするリアルがあるので、いいんじゃないかと。元々、夫が浮気して別居予定だった夫婦から始まっている話である。最後は娘が夢枕に立って母親にお礼言ったりして、綺麗にまとめた感あり。全体的に良作だったと思う。