「“ハート”はいつまでもあり続ける」人魚の眠る家 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
“ハート”はいつまでもあり続ける
東野圭吾の小説の映画化。
氏の作品にはいつも良質のミステリーを期待するが、本作は、
サスペンス的な要素もあるが、もし自分だったら?…などその他色々考えさせられる、衝撃と感動の人間ドラマ。
これまで見た東野作品の中でもかなりのBEST級。
傍目には裕福。しかし現在別居中で、娘・瑞穂の小学校受験が終わったら離婚する事になっていた薫子と和昌の夫婦。
そんなある日、瑞穂がプールで溺れ…。
医師から告げられたのは、心臓はまだ動いているものの、脳死状態。しかも、回復の見込みは無い。
突然の悲劇。その悲しみの中、さらに決断を迫られる。
脳死を受け入れ、臓器提供の意思の有無。
それは、娘の死を認めるか否かでもある。
下した決断は…
臓器提供。
その手術寸前、奇跡のような出来事が。
娘の指先が微かに動いた。
単なる肉体反応にかもしれないが、娘はまだ生きている…!
そう確信し、延命を希望。特殊な方法で。
和昌はIT系機器メーカーの社長。若い研究社員の星野が取り組む最新技術を採用する。それは…
微弱な電流や機器で、娘の身体を動かすというもの。
常人には驚きのまるでSFのような方法。本当に現在の医療や機器の進歩はSFの世界だ。
これにより娘は、目覚めぬまま身体だけ成長。
それでも家族は“生きている”娘に喜びを感じていたが…
何度も何度も自問し、正しい答えが見つからない。
果たして、娘は本当に“生きている”のか…?
自分は子供が居ないので、酷な第三者的な意見だが、子供が居る親だったら、誰もが信じるのだろう。
どんな状態であれ、どんな方法であれ、生きている、と。
が、もう動かぬ身体を機械で動かし続ける。ロボットのように。
そこに、娘の意思はあるのか…?
残酷のようにも感じる。
気持ちは分かるが、それは親の自己満足ではないのか…?
正しいのか…?
確かに、命は命だ。
助かる命と助からぬ命がある。
助からぬ命は自然な運命に身を委ね、そこに人の手を加える事は、決して手を出してはいけない領域ではないのか…?
家族や関わる全ての人々の歯車を狂わしていく。
自分が取り組む最新技術を信じる星野はのめり込んでいく。関係良好だった恋人とすれ違いが生じ、ないがしろに…。
薫子の母や妹は協力を惜しまないが…。(この母の思いも胸に響く)
妹の娘が抱えるある罪悪感。
瑞穂の弟・生人は学校で友達が出来ない。死んでいる姉と生活しているという、気味の悪い対象に。
最新技術採用を勧めた和昌だったが、妻と考えが分かれ始める。
そう、薫子が次第に常軌を逸していく。
娘が生きているかのように接するのは、理解は出来る。
が、あまりにも娘の介護第一にし、時に母や息子、夫に辛く当たる。
何かの祝いの席に娘を必ず同席させ、散歩にも連れて行くように。
見世物のような周囲の怪訝の目に晒される。
機械で“笑う”娘。それを見て、嬉しそうに満足そうに薫子も笑う。
このシーン、サスペンス的と言うより、もはやホラーのような戦慄…!
そしてラスト直前、娘は死んでいるのか生きているのか、薫子は暴挙に等しい行動を取る。
娘を深く愛するが故。
深過ぎる愛は人を狂気にさえ陥れる。
が、重く、苦しく、痛々しくも、深く胸打たれる。
実生活でも母親である篠原涼子が、母親の狂気と葛藤と愛を体現。数々のドラマ/映画含め、キャリアベスト級の熱演。
西島秀俊も複雑な苦渋の演技。
キャストの中でも、瑞穂役の女の子は身体を動かす事の出来ない“脳死状態”という役所を見事に演じた。
一筋縄ではいかない難しい題材を、時にサスペンスフルに、重厚に、繊細に、感動的に描いた堤幸彦の演出は、近年の中でも最上級。
映像や音楽も美しい。
どういう最後が待ち受けているのか予想出来ず、話に引き込まれた。
途中、臓器移植を待つ和昌の昔馴染みの娘のエピソードがあり、そういう展開になるのかと思いきや、
意表を付き、かつ望んでいた穏やかな着地となった。
多くの苦悩に直面しながらも、延命を続ける。
が、延命とはあくまで命を少しだけ生き延ばせるだけであって、その時は必ず来る。
そして遂に、その時は来た。
家族や周囲にキチ○イのように思われても、娘を守り続けた母。
“別れ”の際の娘からの“感謝”の言葉は、母親の夢でも思い込みでも無い。紛れもなく、娘の本心だ。
娘の心臓の臓器提供が行われた。
この冒頭とラストに登場した少年はちとご都合主義的にも感じたが、
娘の命でまだ助けられる命があるのならば…。
娘の命は、尊い人一人の命を救ったのだ。
確かに娘はもう居ない。
が、娘が繋いだ命。生きた証し。
冒頭、娘が見付けたという“ハート”。
その“ハート”は、いつまでも、命と家族を…。