劇場公開日 2018年6月1日

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「たたずまいだけで語る」ビューティフル・デイ 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0たたずまいだけで語る

2020年7月11日
PCから投稿

ジョーはトラウマを負っています。
そのフラッシュバックが、いつの何であるか、明確に描写されませんが、子供のころ体験した親からの虐待だということは、なんとなく解ります。
そのカットシーンが効果的なので、ジョーの暗さと身を置く世界の闇が、すんなりと伝わってきました。
女性監督ですが、こけおどしでない冷徹さがあります。
なんて言うか、地獄を知っているような気配値があります。

挿入される心象風景や点景は相当にスタイリッシュですが、人間社会の病んだ側面をとらえています。登場人物も世界も箱庭的ですが、狭さを感じさせないペーソスがありました。

もっとも特徴的な演技指導が感じられたのはジョーの歩くスピードです。いつでもどこでも、ゆっくり歩きます。それがなぜか、恐ろしい威圧感をともなっているのです。
彼の牛歩には、リンラムジー監督の底知れない実力をうかがわせる、不思議な説得力がありました。

ジョーは雇われの殺し屋ですが、徐々にペドフィリアに対する復讐の様相になっていきます。
議員から、娘ニーナの奪還を頼まれ、いったんは助け出すものの、知事の手下に、また略奪されます。
その直裁の説明描写はありませんが、結局、実父である議員も知事と結託してニーナを弄んでいたという不条理が、ジョーの悲憤を煽るのです。
ただし、復讐とはいえ、ダイナミックな劇へは持っていきません。どこまでも悲しいままで処理します。
すなわちニーナがIt’s a beautiful dayと言ったのはハッピーなエンディングを飾るためではありません。多少の希望をはらんでいるものの、天涯孤独になったゆきずりの二人には、茫漠たる未来が待ち受けています。その余韻を持たせるためのIt’s a beautiful dayだと思います。
ゆえに邦題はやや感傷へ流し過ぎだと思いました。

原題の「ここじゃない」は、ジョーの胸中に繰り返し去来する、虐待の記憶における子供時代の自分に対しての「あれは俺じゃない」がひとつ、退役して人殺しに加担している「こんなの俺じゃない」がひとつ、囚われたニーナの「ここは君の居る場所じゃない」がひとつ、ニーナの犯した罪(知事は死んで当然とはいえ年端もいかない少女が喉を切り裂くのはジョーも望んでいませんから)に対する「これは君じゃない」がまたひとつ・・・。
というように、複層のYou Were Never Really Hereが重なっていると思います。

歯痛や肉体表現も迫真でした。
ホアキンフェニックス。暗い眼窩、たどたどしい口調、哀しげな表情、あまり上手じゃない兎唇の手術跡。カンヌで、壇上へあがることを予期していなかったスニーカーが素敵でした。

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津次郎