15時17分、パリ行きのレビュー・感想・評価
全329件中、41~60件目を表示
人のためになりたいという祈り
フランスで実際に起きたテロ事件を映画化したもので、
主人公3人は俳優ではなく当の本人!
その話を聞いた時に映画館で観たいなと思ったものの、
見逃してしまい、やっとケーブルテレビで視聴。
良い意味で予想を裏切られた!
とにかく子供時代のスペンサーが最高にかわいい。
そして、この映画の主題はアメリカ讃歌でもヒーローものでもない。
ただ純粋に人を助けたいという気持ちを持っている若者がいることに涙が出た。
自分ができる最善を尽くす、
それだけでこの世はもっと良くなるんじゃないか。
とても暖かい気持ちになれました。
未見の方はぜひ観てほしい。
素人を起用して映画を一本撮ってしまう職人
日本語吹き替え版で鑑賞。声優さんの演技で、シロウト臭さは中和されるようだ。そもそも、予告編の時点で、事件に巻き込まれた当事者が出演しており、プロの俳優が演じているのではないことは事前に分かっていたので、妙な違和感は感じることなく見ることが出来た。宮崎駿のアニメなんかでは、声優以外のキャスティングが物議を醸すが、私には気にならない。この映画でも、演技の素人が演じていること自体は不思議と気にならなかった。
監督の意図がどこにあったかは知らないが、真実味を重視したら、このやり方になったのかも知れない。直前の作品は、『ハドソン川の奇跡』『アメリカン・スナイパー』と、いずれも実話をベースに脚色したもの。俳優が演じることに、違和感を感じ、出来ることなら、当事者に語らせたいと思ったのかもしれない。
もちろん俳優が演じたほうが感情移入が出来るし、よりたくさんの共感を得ることが可能になるだろう。イーストウッドには、まだトライできる余地があったし、失敗しても次がある。実績のない新人監督であれば、こんな試み自体成立しなかっただろう。そういう意味で、前例のない映画を見られた。
例えば、奇跡の歌声をフィルムに収めておきたいというような、セミ・ドキュメンタリーにはこの形式が似つかわしいだろう。まるで、ナショナルジオグラフィックの番組を見ているような感覚になった。そして、残念ながら、映画一本見たような感動は得られなかった。
2018.12.19
二つの凡作への反省で撮れた秀作。
自信が持てる機会を掴んだ。
かなりの人が書いているようなコメントを避けて、他の視点で私の感じたことを書く。
まず、アンソニーがスペンサーとアレックスのことを回顧しているという形が映画の初めの方だ。でも、この映画はストーンに焦点が当たっている。ストーンの環境は家庭にアメリカ国旗が飾ってあり、部屋のホスターをみても戦いが好きそうな様子を覗かせている。そして、高校を卒業して軍隊に入る。人を救う部隊(United States Air Force Pararescue)に配属を希望していたが、検査で深視力がないとわかり配属先は自分の希望通りにならなかった。
小学校学校生活で、すでに、教師から指摘されたように、ADDか ADHDなにか学習障害を抱えているのではないかと。このとき、先生は薬を飲むことをアドバイスに入れたが、まず、学習障害検査を受けることを勧めるべきだ。小さい頃、学習障害を持っているかわかると、薬を飲まなくても、本人、家族、先生などが気にかけるので良い方向に動くことが多い。
軍隊に入って、小さいホケットみたいのを規定通り縫うことができず、上官に指摘を受ける。こういうことはADDの人はうまくできない。私は高校の教師だが、ADDの学習者の見分け方の一つにクラスでみんなに『折り紙を』折らせる。その折り方で良くわかる。他にも、兆候がADDだと教師のレベルで判断できるが、これはあくまで教師の判断で、これに科学的な証拠がいる。それは、学校群でや病院でする学習障害検査である。これにより、医者に行き、医者からの診断があると、私たち教員は、カウンセラーからアドバイスをもらい、ADDの学習者と本格的に向かい合わなければならない。
スペンサーのADDについて、この先生と家族、スペンサーは一緒に向き合わなければならない。それができなかったから、スペンサーはどこでも、自信を失っていた。特に人を助ける部隊(United States Air Force Pararescue)に配属されなかったことが。でも、結局、咄嗟の判断力が惨事を防ぎ、多くの人々を助けた。軍で人を助ける部隊に配属されなくても、どこかに人を助けるチャンスはある。小さな人助けでも、人の生命を救う人助けでも。人助けは人助け。
でも、この事件解決にスペンサーが関与していなかったら、彼の自身はどこでついたろう。この彼の学習障害が小学校ではっきり診断されていたら、スペンサーの将来も違っていたろうが、この事件に関わっていなかったかもしれないし、人生がどう転ぶかだれにもわからない。
。
タリスとアムステルダム
アムステルダム〜パリのタリスには一度だけ乗ったことがある。98年5月のチャンピオンズリーグ決勝、アムステルダム・アレナ。レアル・マドリーvsユベントス。チケットも持っていなかったけれど、パリからアムステルダムへ向かった。
前日にアムステルダムに着き、ホテルのオヤジさんにチケットは買えるか聞いたら、とっくに完売だとそっけなかった。試合当日のスタジアム周辺で、気さくな白人の青年がチケットがあると話しかけてきた。いくらで売ると聞いたら20万円だと言う。そんなに高くて誰が買うのだと聞いたら、イタリア人は買うぞ、あれを見ろと。見るとCDに長蛇の列ができていた。残念だけど手が出ないと言って別れた。ウロウロしているとサングラスをかけた背の低いイタリア人らしきダフ屋から声をかけられた。確か4〜5万円だったが格安に感じられ思い切って買った。喜び勇んで入場ゲートを通ったところでブザーが鳴った。警察官にお前のチケットはすでに入っているのだと言われ、つまみ出された。偽造チケットをつかまされたのだった。ホテルのオヤジさんには、しょっぴかれなかっただけよかったとなぐさめられた。安くないレッスンだった。
その後のフランスW杯決勝のダフ屋相場は40万円だった。誰が買うのか聞いたらアメリカ人とアラブ人だと言う。ダフ屋もクレージーだと言っていた。
この作品で見るタリスは車両もシートも20年前と変わっていない。車窓の風景もほとんど同じ。なかったのは風力発電のプロペラくらい。インターネットはあったけれど、特急列車にWiFiなんて想像もできなかった。まだダイヤルアップの時代で、ホテルの部屋の電話にパソコンをつなぎアクセスポイントに接続するのに苦労したことを思い出す。電話代が心配で、もっぱらニフティサーブでテキストで情報を得ていた。
あのころ国際経済はグローバル化以前、通貨のユーロも導入前だった。パリもヨーロッパも旅をするのに何も不安を感じなかった。偽造チケットくらいだった。いい時代だった、と言えばいいのだろうか。
後で知ったマジ?という事実
イーストウッド監督の作品は面白い。
それは近年の作品を観ればよくわかる。
なので、かなり期待して観て行きました。
ぶっちゃけ、最初はかなり退屈でした(笑)
けど、それはすべて最後の瞬間の伏線だったんだなーと思うと、やっぱさすがだな、って評価に変わりました。
何よりも、テーマとして、いわゆる「英雄」を扱う作品ではなく、本当に平凡な若者たちが、少しの勇気を振り絞って起こした行動、誰にでも起こるし、きっかけがあれば(ある程度の訓練は必要だと思うが)誰でもできる、というところがイーストウッド監督のメッセージなんだろうな、と私は受け止めました。
で、後で知った「嘘でしょ?」ってことは、この主演3人の若者、全員俳優ではなく実際の本人たちだったってこと。。
知ったときは嘘でしょ?って思いました。
演技があまりにも自然だったので。。いくら自分自身を演じるとしても、あんなに上手くできるんだ・・。
なので、オランド大統領とのシーンも演技ではなく実際のシーンだったわけだ。
改めて、イーストウッド監督、さすがです。
映画としては・・・
もしも、その電車🚃に乗っていなければ…。
御本人出演再現VTR
物足りん…
アメリカ愛国者にとっては持って来いの作品。
実話や当時の人を使った作品って事で話題になり鑑賞しましたが、クリントもトランプ同様アメリカ第一主義者だな〜と思いました。クリントの作品は大好きでしたがこの作品は何もかも薄っぺらく感じました。当時の人を俳優として使っても逆にリアリティーも無いし、青年3人組ね生い立ちよりなぜテロリストが行動にいたったのか全く描かれてないので、フェアではないし作品自体アメリカの落ちこぼれ青年が海外でテロに立ち向かっただけの薄っぺらい作品でした。しかも途中青年達が旅行で日系人女性をナンパして一緒に観光する場面なんて全く必要なかったし一言で日系人女性がヘイコラ着いて行くシーンなんて明らかにアジア系の女性は尻軽って言いたいばかりなシーンで嫌になりました。まっこれも現実なのですが、余計に必要の無いシーンでした。
さすがクリントイーストウッド監督です。
高速鉄道でテロを防いだ3人の若者の前日譚。
クリントイーストウッド監督作品。
流石に良くまとまった作品で一見の価値はあると思います。
実際の攻防は一瞬だったわけで、どのような展開で映画を作るのかと興味がありましたが、とても味わい深い話にまとめてくれました。
「人の役に立ちたい」という強い思いとは裏腹に、周囲の無理解や自身のスキル不足で、その役回りを担えない葛藤。
そんな葛藤と成長をとても静かに描いています。
クライマックスは、おそらく実際に起こったことを忠実に描いたのでしょう。とてもリアルに感じました。
世界を善くするにはたった一つの思いだけでよい
珍しく泣いた映画。
咄嗟の行動を起こした、普通の人間たち、むしろ落第続きの人生でどちらかといえば負け組と言われる人間たちの、ヒーロー物語。
結末は知っていたから結末自体は驚きはしなかった。
しかし、結末を知っていたからこそ、先生や母親に怒られっぱなしの少年の、「私を平和の使いにしてください。この世界をよくしてください」と1人で祈る夜のシーンには涙なしには見られなかった。
どこにでもいる、誰ともとくに違わない人生を送ってきた普通の若者たちが、人を助けるために迷いを見せることもなく咄嗟に行動できた瞬間には感動する。
3人のうち2人が訓練を受けた軍人であったことは示唆的ではあるが、やはり力は善い行いにのみ使われるべきなのであり、また善い行いには力もまた必要なことも事実であろう。しかしこの映画の本質はそこではない。人間たちそれぞれの普通の人生、普通の力、普通の倫理観が、ある瞬間には人をヒーローにさせるということなのである。
「善い行い」をするためには、優れた業績や崇高な哲学などは必要なく、「この世界をよくしてください、そのために私は役に立ちたい」という、人間ならば誰でもが持っている素朴な願いだけでよいということを、ストレートに世界へ知らしめてくれるとても心を揺さぶられる映画だと思う。
「戦争はなぜ起こるのか」「なぜ人を殺す人がいるのか」と子供時代に不思議に思わなかった大人はいないであろう。
ほとんどの大人はそんな疑問や善い行いへの夢などはいつの間にか忘れてしまうものであり、しかし世界を善くするにはそれだけでよいのである。
出演依頼の交渉力
全329件中、41~60件目を表示











