15時17分、パリ行きのレビュー・感想・評価
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さすがクリントイーストウッド監督です。
高速鉄道でテロを防いだ3人の若者の前日譚。
クリントイーストウッド監督作品。
流石に良くまとまった作品で一見の価値はあると思います。
実際の攻防は一瞬だったわけで、どのような展開で映画を作るのかと興味がありましたが、とても味わい深い話にまとめてくれました。
「人の役に立ちたい」という強い思いとは裏腹に、周囲の無理解や自身のスキル不足で、その役回りを担えない葛藤。
そんな葛藤と成長をとても静かに描いています。
クライマックスは、おそらく実際に起こったことを忠実に描いたのでしょう。とてもリアルに感じました。
世界を善くするにはたった一つの思いだけでよい
珍しく泣いた映画。
咄嗟の行動を起こした、普通の人間たち、むしろ落第続きの人生でどちらかといえば負け組と言われる人間たちの、ヒーロー物語。
結末は知っていたから結末自体は驚きはしなかった。
しかし、結末を知っていたからこそ、先生や母親に怒られっぱなしの少年の、「私を平和の使いにしてください。この世界をよくしてください」と1人で祈る夜のシーンには涙なしには見られなかった。
どこにでもいる、誰ともとくに違わない人生を送ってきた普通の若者たちが、人を助けるために迷いを見せることもなく咄嗟に行動できた瞬間には感動する。
3人のうち2人が訓練を受けた軍人であったことは示唆的ではあるが、やはり力は善い行いにのみ使われるべきなのであり、また善い行いには力もまた必要なことも事実であろう。しかしこの映画の本質はそこではない。人間たちそれぞれの普通の人生、普通の力、普通の倫理観が、ある瞬間には人をヒーローにさせるということなのである。
「善い行い」をするためには、優れた業績や崇高な哲学などは必要なく、「この世界をよくしてください、そのために私は役に立ちたい」という、人間ならば誰でもが持っている素朴な願いだけでよいということを、ストレートに世界へ知らしめてくれるとても心を揺さぶられる映画だと思う。
「戦争はなぜ起こるのか」「なぜ人を殺す人がいるのか」と子供時代に不思議に思わなかった大人はいないであろう。
ほとんどの大人はそんな疑問や善い行いへの夢などはいつの間にか忘れてしまうものであり、しかし世界を善くするにはそれだけでよいのである。
出演依頼の交渉力
【流石というしかない。演者の起用方法も含めてこのような映画を商業ベースで制作出来るのはクリント・イーストウッド監督位ではないか?】
1.無差別テロリストに立ち向かった3人の勇敢な若者を”役者ではなく本人が演じ”
2.彼らが、何故そのような行動に出ることができたのかという事を、彼らの幼少期の様子から観客に納得させる
という事を思い付き、すぐさま映画化してしまう、クリント・イーストウッド監督の発想の豊かさとフットワークの軽さ及び作品自体のレベルに驚かされる作品。
早撮りで有名なクリントだが、制作も早いのだなと感じ入った作品。
<クリント・イーストウッド監督の ”どこにでもいる普通の若者が正しい時に正しい事をした。彼等こそが時代が求めるヒーローである” という言葉の重さと彼が発する強い想いを込めたメッセージに頭を垂れる>
<2018年3月1日 劇場にて鑑賞>
言われてみると
実話ばかりのイーストウッド。
でも実話って難しいと思う。
その話の発端と結末は周知の事実だし、
そのままの話を撮っても面白くないから。
メッセージとかテーマとかも伝わりにくい。
それでも、今回は当事者本人たちを主演に据えてまで取り組んだのは、やはりラストの勲章授与式の大統領演説を観せたいが為であろう。
あれだけでも観てよかったと思える。
何処にでもいる若者が、様々な異国で会う外国人や同胞たちと楽しく旅をして、この話の最後にはテロを阻止し、外国人と協力して被害者を助けるという、出来過ぎな実話。
彼らは本当に立派だし讃えられるべき存在ではあるが、何かのプロパガンダに利用されている様で正直かわいそう。
それは、
みんなで手を組み悪に立ち向かう、事なのか、
アメリカが世界を救う、事なのか。
様々な魅力溢れるヨーロッパ各国を中盤で見せ、
彼らの衣装?もスペインやドイツのサッカーのビッグクラブのユニフォームだったりして、
こんなにも素敵な国々をテロから救った、
と見せている様で、
自分はどーしても後者に思える。
やはり、授与式の演説をどう捉えるか、で見方が変わるでしょう。
不思議な映画だか、感情に素直に語りかけてくる物語
なんだこれ
全てのことに意味がある
実話は説得力ある!
物語は淡々と進んで行く。なのに感情が動かされる。まさに、イーストウッドマジック!
2015年、アムステルダム発パリ行きの特急列車内で起こったタリス銃乱射事件をイーストウッドが描いたこの映画。印象としては、物語が淡々と進んで行くように感じられた。にもかかわらず、感動を覚えた。エンドロールを見ながら、幸せを感じるような、喜びに浸るような、なんとも心地よい感情に包まれた。応援しているスポーツ選手が活躍した時みたいに。
生い立ちから知ることで主人公3人のファンになったんだと思う。大人に理解されない子供時代を過ごしてきたのに屈折せず成長してきた人生を知ることで、いつのまにか応援していたのだ。
だから、ヨーロッパ旅行で3人が楽しそうにはしゃいでいる姿は、見ていて微笑ましい、軍人としてうだつが上がらないときは、悔しい気持ちになる。テロが起きた時には、やっつけろという気持ちとともに、気をつけてという心配がこみ上げた。
監督がテロ事件を伝えるためにこだわったのがリアリティを追求すること。本人役を本人が演じ、テロが起きた列車を貸し切り、同じ場所で撮影をしたという。その場にいたように出来事を追体験できたからより感情移入できたんだと思う。
本来なら、子供の頃の話・出会いや、ヨーロッパ旅行の話(特に女の子をナンパするところ笑)なんてなくても成立すると思う。一見無駄だと思われるシーンを盛り込みながら、淡々と物語を進めているにも関わらず、これだけ気持ちを動かされるのはイーストウッドが名将ゆえなのだ。
目頭が熱くなる派手さの無い感動実話
本人達だから凄い
誰の身にも起こり得る危険を突きつけると共に、偶然という名の奇跡をえがく
他愛のない日常の選択が、ある一点で収斂して大惨事を免れたという偶然という名の奇跡。
三人の人生に時間の大半を費やしたのは、このヨーロッパ旅行が彼らにとってどんな意味を持っていたのかを描きたかったから。
彼らの普通すぎる日常を描くことで、テロのような危機が実はいつ巡り合わせてもおかしくないのだと恐怖させる効果があった。人は想定外の事象にであうと、必ず「まさか自分がこんな目に」と思うものである。
敢えてテロ事件の背景は描かず、彼らの目を通してのみ事件を描くことの臨場感。もし、私がここに居合わせたら?と自問しない人はいないだろう。
三人がいじめられっ子で問題児だったというところも大きなポイント。学校の校長には「いつか人を傷つける」とまで言われたスペンサーたち。
しかしスペンサーとアレクは人の役に立ちたいという義侠心を強烈に秘めていたし、サドラーは権力に巻かれず意見を堂々と言える強いハートの持ち主だった。
改めて人の本質を見極めることの難しさを感じたし、レッテルを貼ることで安心したがる大人たちの姿を浮き彫りにした。
それにもめげず、スペンサーが「いつか人のために」と思い続けてこなければ、この結果はなかった。
クリント・イーストウッドはよく「導かれた役割」というものを描く。
「グラン・トリノ」しかり「ハドソン川の奇跡」しかり。
パリ行きには全く乗り気でなかったにも関わらず、スペンサーらはその電車に乗った。助けた本人たちも不思議に思うこの成り行き。カトリックのスペンサーが神の導きを感じるのは至極当然のことだし、だからこそ本人たちを起用したことで、説得力が大いに増したと思う。
ほかの人間が演じたら、それこそ説教臭いアクション映画になってしまっただろう。
改めて振り返るが、この映画にヒーローは存在しない。一個人が、最大限自分のスキルを使って正しい行為ができるかを問う非常に道徳的な映画でもあり、理想の自分に近づく努力は決して無駄にならない、と背中を押してくれる映画でもある。
タイトルなし
深読みしちゃう
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