15時17分、パリ行きのレビュー・感想・評価
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tohoシネマズ新宿で観る
44マグナムを35カメラに持ち替えて・・・
私は好き
流石クリント
退屈な内容に意味があるとは。
90分という、短めの映画の中に、まぁ恐らく短い事件をどのように映画に入れてくるのかと思っていたら、初めの60分間くらいは、親友3人の馴れ初めと、ヨーロッパ旅行が延々と流れていく時間に、退屈した。
事件のことも、映画のこともあまり知らずに見に行ったせいか、3人の演技は全然普通だし、息がぴったりあっていてすごいな、、、誰だろ。と思ってみていた。
ヨーロッパ旅行の合間にも、サブリミナルに事件のシーンがカットインしてきたため、深刻な事件だったんだなぁと思ってみたあとの後半戦、事件自体は解決し、3人に栄誉が与えられたシーンで終わる。
なんだこれは。正直思った。事件の解決方法や、3人の気持ちの変化が、馴れ初め~事件が終わるまでに表現されていて、初志貫徹の素晴らしいストーリーだとは思ったものの、前半の退屈、事件の単純さが入り交じり、いい映画とは思わずに終わった。
エンドロール、早めに帰らなくて本当によかった。
ん?3人のキャスト、同じ名前…
3人とも、本人であることに最後に気づいた時鳥肌が凄かった。
それならば、3人の息ぴったりさも、実際の映像シーンの荒い映像も理解できる。
実話だが、ドラマチックにするために少し手を加えたという注釈も、なんだか心温まるものであった。
この映画は、単純にストーリーとか演技とかでは測れない、本当の実話だった。ので、点数は甘め。
ハドソン川の奇跡は本当に感動したが、さすが、としか言いようがない。
知っておきたい実話
事件のことを何も知らず、予告編だけの知識だけで観にいきました。
実話を体験した本人が演じているとのことでしたが、演技の面では特に気にならなかったです。
また、事件のシーンはとても緊迫感がありました。
怖かったです。
ただ、テロの怖さは感じましたが、事件のシーンはラスト20分ほどだったのと、自分が思っていたより事件が大きくない。というのが素直な感想です。
テロの危険に遭遇する可能性の低い日本で生活しているので、テロと言われると映画みたいなスケールの大きいものを想像していました。
もちろんとても大きな偉業ですし、それをまた本人が演じているのは映画としてすごく意味があると思います。3人の幼少期からの『人を救いたい』という想いが何人もの人を救ったという事実。何気ない日常の積み重ねがテロ事件との遭遇に繋がっていく他人事ではないこと。
映画館で絶対に観てほしいとは言い難いですが、観てほしい、知ってほしい作品でした。
犯人がなぜ事件を起こしたのか知りたくなりました。
実録モノを本人に演じさせる試みをやりきる老イーストウッド
最初に撃たれたマークもその妻も本人が演じているというのが驚き。列車に乗り込む刑事たちも当時の人たちだとか。
主演の3人以外にもたくさんの人が本人役で登場し、映画に出ようと思うことが驚き。恐怖体験だっただろうに。
ごく普通、なんなら落ちこぼれ気味(とはいえまともな大人に成長している)の3人が「導かれる」ように列車に乗り勇気を示した奇跡。
宗教的なものを感じる描き方。
市井の人を強調するための演出はドラマチックな展開を期待する人には拍子抜けするほど淡々として地味。
でもこれこそがあの日に起こった出来事なんだということ。
メインの3人が絵になる男たちで感心する。
監督の手腕か。
アムスのクラブでウォッカのレッドブル割り。
イタリアでミニスカートのホステルフロントをチラ見
なんか素直に感動出来ない…。
偉業なれど・・・・・
テロリストに勇敢に立ち向かい、多くの乗客を救った彼らの行動は、
私ごときが言うまでもなく、賞賛に値する。
だからこそ、こうして映画化され、後世まで語り継がれることだろう。
だが、それと映画として面白いかはまた別物。
彼らの歩んできた半生と今回の偉業に関連性は乏しい。
無理やりこじつけようとする姿勢は鼻に衝くし、
小さい頃は悪ガキだったけどというのは陳腐だ。
電車に乗るまでの前振りにほとんど意味は感じられず、寝てしまった。
もっと複雑な人間模様を期待していただけに、残念。
単なるドキュメント作品!
現代に生きる若いアメリカ人男性が三人。
私は、当日朝にこの映画の存在を知り、その一時間後には、劇場の椅子に座っていた。C.イーストウッド監督、そして本人たちの主演ではなかったら観ていなかったと思う、そして観れて良かったと思う。これもひとつの偶然である。
現代に生きる若いアメリカ人男性が三人。アメリカ軍人二名、民間人一名。小学校時代からの親友三人。名もなき若いアメリカ人である彼らが時のフランス政府から表彰されるに至った経緯とは?そして彼らの人となりとは?
そもそも私は本日、花粉症の為、上映開始からハナグズグズであった。前半から、涙目が始まり、ラストは鼻汁と涙でずるずるになった。感動のためなのか、花粉のせいなのかわからない、こんなに長く泣いたのは初めてに近い。ただ、そこまでドラマチックな映画だったのかと問われれば、そうではないような気もする。ローマ観光はたしかにそれほど華やかなエピソードもなく、あえて語り継ぐほどの要素は特にないだろう。淡々としている。
しかしまさに、そこにこの物語の本質がある。ごく普通の西欧観光に訪れたごく普通のありふれた若者たちが、予約していたパリ行きの特急列車の中で、たまたま無差別殺戮が始まろうとする瞬間に歴史的殺戮を行おうとする犯人との至近距離に居合わせた。
迷ってるヒマはない。犯人は、テロリストだ。すでに弾は放たれ、銃弾は肉を破っている。撃たれた乗客の手当てをしなければ彼は死んでしまう。イーストウッドの演出と編集は的確にして鮮やかだ。
ストーリーは単純。彼らが、この列車に乗り合わせた経緯と、彼らの列車内での言動、そして事件後の華やかな表彰式やパレードの模様を、必要な長さで描いている。
ただ、彼らが少年時代だったときの映像は、他人が演じなければいけないので、かなりの部分は演出が含まれていると思う。そして、軍に入るときと入った後の訓練など本人が演じる自分のエピソードにも幾分かのフィクションは含まれるだろう。しかし、そんなリアリズムはどうでもいい。ローマ観光、そしてアムステルダムまでは、誰ひとり名前も顔も知られないただの若者だったわけだ。映画撮影時、彼らは彼らの物語を追体験しているわけだ。我々観客は、彼らがどんな思いでそこにいるかまではわからない。
色々考えてゆくと、実際の表彰式のテレビ映像を使用したいが為のフィクション部分の撮り直しだとしてもものすごい手間がかかかっていることになる。映画史的にもかなりの実験的手法なのではないかと思う。
この映画は、ノンフィクションあるいはドキュメンタリー映画のようであって、やはり、フィクションには違いないのだ。
悪がなされようとしたとき、まさに三人の天使によって悪魔が封じられた話ともとれる。
ただ、観客の中に若干の物足りなさを感じた人がいるならば、私も同じだ。善がなされるとき、悪は我々のがまんの限界まで善を蹂躙していなければならない。悪が強ければ強いほど闘いは面白くなるのだ。そこで私たちはカタルシスを感じる。闘牛士は、強すぎてもだめ、弱すぎてもだめなのだ。
もう一つ私が思うに、脚本的な物足りなさも感じる。犯人側の論理や、犯人の計画や裁判風景などが全くなかったことだ。あえてこの部分を切った理由は、原作が主人公たちのノンフィクションだったからなのだろうけれども、フランスが犯人をどう裁いてゆくのかにもわたしは興味がある。
とにかくイーストウッド製作監督の次回作がひそかな楽しみになった。
驚きを超えた驚き
テロを描くだけの作品じゃないという一文をチラ見してから一切の情報をシャットダウンして鑑賞した。それが功を奏したのか半端ない感動に襲われた。
最後に実話だと知ってビックリ。しかもエンディングテロップで本人たちによる演技だと確認してさらに驚いたからだ。
それを知らずにエンディングの下りで涙が止まらず、イーストウッドの描きの凄さに感心していただけに、その驚きは想像を超えた。
映画に感動し、実話という事実に感動したということだ。
さて、作品はいつテロの場面に?という中、あれ?彼らの日常の描きってどういうこと?と戸惑いながらのスタートだったが、最後になってすべてが怒濤のフラッシュバックとなって追いついてくる。子供の時の小さな祈りは印象的なシーン。
あまり素行が良くなくて親や先生からダメと言われた奴でも、ほんのちょっとの勇気で正義に立てる。国籍年齢性別問わず生い立ちも関係なく。そんな背中をそっと押してくれるメッセージ性。
テロの危険と背中合わせのアメリカだから、ヨーロッパだから、なおさら、どの国の誰もがもしかすると直面することになるかもしれない、その恐ろしさ。果たして足が動くかはわからないけど、でも、屈してはいけないことがある。それを教えてくれる。イーストウッドって本当に凄い人だ。
3人の若者の実話映画
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