響 HIBIKIのレビュー・感想・評価
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痛快さと危うさの同居
観ている間は面白かった。しかし観終わったらなんとなく重い気分になってしまった。
大学時代に応援団長をしていたという中小企業の社長がいて、その男が応援団時代に先輩から「場を乱すな」と教わったと得意げに言っていたのを聞かされたことがある。非常に不愉快であった。KY(空気読めない)という言葉が一般に広まったとき、同じ不快感を感じた。
日本社会の支配層にはこの元応援団長みたいな人間がうようよいる。最近次々にパワハラで訴えられているスポーツ界の老害たちも多分そうだ。そういう連中の、全体のために個々の意見を封殺するという考え方は、民主主義と真っ向から対立する、文字通りの全体主義である。
テレビで漫才コンビのダウンタウンが「空気読め」と怒鳴るのを聞いて、非常に苦々しく感じていた。何故空気なんか読まないといけないのかわからないのだ。同じように不快に思っていた人も結構いると思う。
ところが、だんだんKYという言葉が浸透してくると、一般人の間にも空気を読まないのはよくないことだ、みたいな考えが広まり、言論の自由を自分たちから放棄する世の中になってきてしまった。若者にアベシンゾウ支持が多いのも、そのあたりかもしれない。一億総体育会系と言ってもいい。
全体主義の共同体では、全体のためにと言いつつ、結局は支配的な立場の人間の個人的な意見ばかりがまかり通ることになる。スポーツ界のパワハラの構造と同じだ。それは結局、ナチスと同じ独裁主義である。
人間には無意識に安全無事を願うところがある。「君子危うきに近寄らず」とか「李下に冠を正さず」とかいった、保身が目的の諺を大事にしているのはその現れだ。
本作品はそういったKYとは対極にある自由な女子高生が主人公である。誰もが安全無事を願い、穏便に済ませようとするような場面でも、主人公は言葉を飾らず、敬語を使わず、本音だけで勝負する。攻撃的な言葉に対しては、時に実際の暴力で対処する。
痛快さはたしかにある。しかし危うさもある。その危うさとは、自分の意見で相手の人格や人権を蹂躙することに反省がないところだ。暴力は常に相手の人権の蹂躙である。言葉の暴力という言い方がある。確かに人を傷つける言葉はある。しかし、それに対して暴力で反撃するのは戦争主義者である。言葉は常に多義的であり、他人の本心をすべて理解することはできない。そもそも自分の本心さえなかなか理解できないのだ。にもかかわらず自分の理解だけ、自分の価値観だけで相手に暴力を振るうのは、いかにも理不尽である。
社会で生きていくには他人と折り合いをつけなければならない。そのために何が必要かというと、寛容であり、想像力である。この映画の主人公みたいに不寛容な人間は、KYと言われて排除されるかもしれないが、場合によっては共同体の中で力を持つようになるかもしれない。自分の価値観で他人を断罪する人間が、権力を持ち、そして暴力に裏打ちされれば、近頃摘発されているスポーツ界のパワハラ指導者たちと同じことになる。
本作品は、そういった痛快さと危うさを併せ持つ主人公が、闇の中で高いところに張られたワイヤーを目隠しして綱渡りするような、そういう映画である。主人公に感情移入はできないが、北川景子の花井ふみや小栗旬の役には感情移入する。つまりこの映画はトリックスターを主人公にした、価値観を次々に相対化させていく作品なのである。そういうふうに理解すれば、観ている間は面白かったのに観終わったら重い気分になったことの合点がいく。
平手さんのファンの人が好きというのは否定しない
私は響の漫画が今まで数千冊の漫画を購入し読んできていますが、その中でも一番好きだといってもいいほど響が好きです。
ですから実写化だろうと何だろうと響という漫画がより大勢の人の目にとまるこの機会をとても喜んでいました。
ですがその期待と喜びは開始早々裏切られました。
涼太郎の響に対する変態レベルは消され響も喜怒哀楽の表現もこうすればこう見えるでしょといわんばかり棒芝居。喜び、楽しい状態を笑いだけで表現し怒ってれば突っ走ればいいと響の持つ強さ、狂気というものを感じられないなどといった私の知る響は画面にはいませんでした。ふみの北川景子さんは映画を観る前まではふみの小説に対する愛、小説家に対する尊敬などといったふみの持つ芯の強さを表現してくれるかもしれないという期待はありました。欲を言えば天海祐希さんの芝居を北川景子さんにしてもらえれば個人的にはベストだったのですが、映画のストーリーでは響は世間に顔が割れ漫画でのふみの格好良さが失われていました。
凛夏に関してはまぁべつに色黒ギャル出なくなったから文句を言うつもりはありませんがシンプルにただ単に親が小説家の本を書く女の子という感想。面白い本、つまらない本を棚ごとに分け響に本を入れ替えられてむきになってるのはただ台本がこうなってるからビンタしてるだけにしか感じなかった。
隆也は全てが変えられる芝居も下手。ただの響のアピール要員だった。
そもそも響を強く見せようと周囲の人間の強さを消した響ちゃんさいきょーってゴミストーリーとかしていた。
私は映画館を出たあと本当に泣き崩れました。私の好きな響が殺されたと感じたからです。
ですが私も好きな俳優さんや声優さんがでてる作品を贔屓してしまうところがあるのでキャストが好きな人は見て、原作も読んでいただけると幸いです。
私はこの映画に0点すらつけたくないというのが本心です。
てちは可愛いけど映画は糞つまらない
てちが好きなので観に行きましたが面白くなかったです。
起承転結も意外性も何もなく、恥ずかしいほどの厨二病な展開が続くだけのご都合主義映画でした。
売られた喧嘩だけ買ってるなら分かるけど、電車止めて全く無関係な鉄道会社に迷惑かけたり、本の並びが気に入らないからと本棚倒したりするのはただのワガママな糞アマです。
てちが可愛いことだけが救いの映画でした。
響
響バイオレンス
もともと原作を読んでいましたので、だいたい芥川、直木W受賞のあたりがクライマックスだろうと想像がついていました。
さすがにあの原作のボリュームを映画枠に納めるのは厳しいかな、と思いつつ観ましたが、やはり厳しかったかな。
周囲の人間関係の成り立ちに割く時間も短く、主要登場人物も最小限となり、響の破天荒ぶりばかりが強調されるのが精一杯…といった残念感が否めませんでした。
もともと、主人公チート級の才能ありきの作品なので、スポットがそこだけになってしまうと、ただの響のバイオレンス映画になってしまいます。
もう少し、響の周囲の関係性や、文芸部部長リカの内面を丁寧に描くなどすれば、☆もう1つ、あるいは2つの評価に届いたかも知れないだけに残念です。
あと映画の重要な要素である音楽はイマイチだったようで、あまりシーンとともに記憶に残る旋律がないように思います。
響のエキセントリックさを味わうなら、時間軸で自分で自由に余韻をもたせられるコミックという媒体の方が、より響のチートっぷりを満喫できそうな気がします。
主演の響役の子は、響の雰囲気を出そうと一生懸命なのが伝わってきて好感もちました。その分の上乗せをして、この評価にしました。
期待はずれ
サヴァン。
キャスティングの勝利。
原作未読で観てきました。なので原作の響との違いとかあまりわからないけど、聞くところによると原作者自らが強く主役としてのキャスティングを希望したという平手友梨奈さんはおそらく原作の響そのままの佇まいなんでしょうね。というか、平手友梨奈さんのイメージがそのまま原作の響というキャラクター造形に反映されてるのではないかな?それぐらいあの強烈なキャラクターが平手さんにピッタリハマっていたし、良くも悪くも映画の出来までがそこで決められたような気がする。
作品内容を簡単に説明するなら、飛び抜けた文才を持ちながらそれ以外の人間性がポンコツ故に純粋で悪気一切なく破天荒な行動を次々と起こす現代のアウトロー響と、彼女に関わらざるをえなかった人々の騒動をセミドキュメンタリーとして追ったのがこの作品、となるだろうか。小説家が主人公の映画なのに、作家が執筆に葛藤するありがちなシーンやその作品内容に触れてるシーンがほとんど出てこない。とにかく人を殴るは蹴るわ、響のやらかすことをハラハラワクワクしながら観てもらったらそれでいいのかなと思う。
天賦の才に恵まれた者にしか出せない有無を言わさない説得力と否応無く周囲を巻き込んでいく影響力。そして相手を三白眼で睨む時の顔、顔、顔!演技とはいえゾクッとするカッコ良さ!もう響無双と呼んで差し支えない!そのぐらい単純に痛快なエンタメとして楽しめました。
余談ですが。響の親友兼ライバルとして『パコと魔法の絵本』にて子役のヒロインを演じ日本アカデミー賞新人俳優賞を史上最年少で受賞し話題になったアヤカ・ウィルソンさんが成人してスクリーン復帰してくれたのは喜びたいですね。
響の暴力は自己正当化を図る者への鉄槌だと思う
自分自身が響に思い切り飛び蹴りされたと思うほど、喝を入れられました。何に対しての喝か?
小難しく言えば『主体をすり替えることで自分の責任を免れようとする狡猾な人間』にいつのまにか自分がなっていることに対してです。
会議などでこんなような言い方を聞くことがあります。
『今期の営業目標が未達で終わることは許されません』
スポーツの試合などで、『これ以上の失点は許されません』という言い方は、勝ち負けを争う上で客観的な状況や事実が〝許さない〟のは明白です。ところが、『営業目標の未達』については、許さない主体が不明確です。会社が許さない、会社として許されない、という言い方をされると、なんとなく納得してしまいそうになりますが、よくよく考えたら、会社や組織に意思はないし、営業目標の未達で困ると意識するのはその部署の責任者がボーナスや人事評価の査定上、プラス点が貰えないということであって、目標未達を許さないのは、往々にして発言している本人なのです。
日頃から、その目標を達成することの意義や部下のモチベーションアップなどを図れているリーダーはそんな言い方はしません。それが出来ないリーダーに限って、あたかも会社とか組織とか、自分以外の〝権威ある何物か〟が許してくれないのだ、というように主体をすり替えて従わせようとしているのです。
受賞記者会見で質問した記者は個人的な感情を世間や社会が許さないということにすり替えているし、芥川賞作家は個人的なジェラシーを親の七光りの問題にすり替えて正当化しようとしている。新人賞同時受賞の作家は、すり替えどころか、ただのやっかみを他人へぶつけることを正当化しようとした。
つまり、響が暴力的になる時、その相手は必ず自分のやましさを自己正当化しているのです。
文芸部での指折り事件は、その後の暴力シーンに唐突感がないように見せるための伏線なのだと思います。
鮎喰響は人間の悪意に触れた時、暴力的手段で響くのです。
15歳の天才少女・響
自分が書いた小説の感想が聞きたい!ただそれだけで木蓮の新人賞に応募要項無視で手書き小説を送った響。
廃棄に回された原稿をたまたま読んだ編集者の花井は、その小説を絶賛しパソコンで打ち直し応募した。
高校1年の響は文芸部に入部した。
自分を曲げない響は他の部員と衝突するが暴力と理屈で我を押し通す。
部長の父親は売れっ子作家。編集者の花井が原稿を貰いに来た時、居合わせたのが探していた鮎喰響。
響の「お伽の庭」が新人賞を受賞。
同じく新人賞を受賞した山本は響を色物扱いし、小説の悪口を言った。許せない響は受賞式で山本に暴力を振るう。式は騒然、シャッター音が鳴り響く。たちまちメディアに響の暴力行為が広がる。
響は山本に暴力行為について謝罪したが小説を読んでから批判しろと言い捨てる。
部長は二世作家として小説を出版。芥川賞を狙うがノミネート成らず。
響は芥川・直木賞のW受賞。
しかし、暴力少女として晒された響の小説はお蔵入りになるのか?
15歳の天才少女。ただ小説を書くのも読むのも好きなだけ。
自分の信念に従って生きてるだけ。
大好きな作家、作品には興味を示し笑顔になるが基本無表情無関心。
世間体や協調性など無縁である。
そんな響だから、ズバッと相手の痛い所を突いてくる。
作品が面白く無くなった芥川賞作家に何で小説を書いてるのか?と言う響にとっては素朴な疑問…空気読めよ的な時間が流れ…
…惰性だと答える大人な対応。
響の小説には読む者を圧倒する魅力があるらしい。
誰もが賞賛する「お伽の庭」のストーリーが知りたかった。
小栗旬の様に何度もノミネートされながら落選を繰り返す作家も多いのでしょう。才能の限界…死を選ぼうとした時に偶然響と出会った。
パトカーでの会話の芥川・直木賞作家の印税の凄さと電車を止めた賠償金の額にビックリ!
むやみに電車を止めてはいけないけど、人の命を救った事で映画としてはハッピーエンドかな。
平手友梨奈初主演にして傑作
響tohoシネマズ 新宿にて鑑賞
欅坂46のセンター平手友梨奈の初主演作特報が公開されてからの個人的に一番の期待作でした。映画初主演にして最高の演技を見せてくれました。アイドルそして女優の二面性が見れて大満足でした。女優平手友梨奈に注目していきたいです。響の役は平手友梨奈にしか演じられないと思いました。欅ファンそして映画ファンにも見ても欲しい一作となっています。
普通
原作はみていませんが漫画の実写とからしいです。
漫画からなのか違和感が所々ありました。
あと主人公もしかりなのですが
感情移入しがたい作品となってました。
一人一人の心情の変化がわからない。
最初の不良も指おられてなんでそんなに仲良く出来るのかも僕からしたらわからないです。
殴られたり、蹴られたりして、同じ職業で素晴らしい才能を持っているからとしてもすべて許せる作家の皆様聖母ですかね?
映画だけではわからない部分も原作は書いているのでしょうか
あとは、照明と音声が
不自然なほどの照明と急に音が無くなる演出
見ていて気になりました。
脚本も色々な所に手を出しすぎた感が否めない
平手さんは演技か素なのかわかりませんが
女子高生らしさをしっかり出せていた気がします。
そのおかげで常軌を逸している主人公にも人間味を感じることが出来たと思います。
☆☆☆★★★ 原作コミック未読。簡単な感想。 おお!このキャラクタ...
☆☆☆★★★
原作コミック未読。簡単な感想。
おお!このキャラクターは、なかなか面白い。
平手友梨奈…なかなか良いですね。(キンタロウじゃねえからな!)
好きなモノは好き!だが、嫌いなモノは嫌い!
そりゃしゃーないね(´-`)
でもちゃんと《さん》はつけようぜ!
惜しむらくは。どんな天才振りなのかが、観客側には伝わり難いところ。
どんなに、北川景子が「天才です!」…と言おうとも。その小説が、どんな文章なのか…がさっぱり分からないのだから。
それは、終盤に絡んで来る小栗旬にも言える。
本当は才能の塊なのかも知れない(これも全く分からない)小栗旬。
どこまで、原作コミックに忠実なのかは分からないので、あまり大きくは言えないのだけれど。
記者会見の場で、響の性格から。「何でこの場に(豚小屋の豚の作者が)居ないの?」…と、勝手にストーリーを作り上げてしまっていた(ー ー;)
結局、この2人の絡みも。全然化学反応を起こさずに、中途半端気味に終わってしまっていたのは残念。
まあなんだかんだ言いつつも、結構楽しんで観てしまいました。
アヤカ・ウィルソンが、いつの間にかこんなに大きくなっていたなんて(´⊙ω⊙`)
『ディストラクション・ベイビーズ』の柳楽優弥がボコられるんだから、響最強!で良いよね(^^)
北川景子は台詞と台詞の僅かな間が下手すぎるのが、昔から気になって仕方がない。
彼女の台詞は、なるべく少なくした方が良い。どうしても、台詞を喋っている間には駄作感が出てしまう。
2018年9月16日 TOHOシネマズ日比谷/スクリーン7
主演だけど主役じゃないのね平手ちゃん
陰気で自己中で尚且つ暴力的(病気?)な女子校生が主役っぽくなっていますが、彼女自体は映画全編を通して何も変わらず、成長もせず、ただ周りを振り回すだけの役回りです。
きっと主題は周囲の大人たち、友人たちの心の葛藤と変化にあるのだろうと思いますが、あまりにも御都合主義すぎてついていけませんでした。
「やっていいことと悪いこと」の分別もつかない高校生の行動や言動に何のメッセージがあるというのでしょう。ただ鬱屈した気分の代弁者でしかありません。バイオレンスでもファンタジーでもいいので大衆娯楽フィクションですよ!って徹してくれれば、それはそれでいいのですが、どこか「メッセージを伝えたい」的にカッコつけてるのでスカッとする以前に興醒めです。
信念のためなら手段を選ばない高校生(!)、そして天才と持て囃しそれを許していく大人たち…。非常に後味の悪い世界観でした。
主演の平手友梨奈がアイドルなのは知ってました。
上手い下手はともかく、先に書いた通り「響」自体が成長していかないので演技も基本最初から最後まで一緒。せめてラストにそれまでを覆すような切ない表情や涙する仕草でもあれば救われたでしょうが脚本上それもなし。残念ながら彼女のポテンシャルを計るのは難しいです。一本調子なので他の誰でもやれそうです。製作者サイドは平手に演技上の期待はしてないのでしょう。キャッチーにファンを引っ張るため軸に置かれただけで、映画としてはその他豪華な共演陣頼みだったのではないでしょうか。
友人との付き合いで見ましたが久々につまらないと感じた映画でした。B級でもド派手にドンパチするとか、笑っちゃうくらい下らないとかの映画の方がまだマシです。
アイドル平手友梨奈がそこにいればいいと割り切れる方にのみお薦めの映画です。
要所要所のセリフにニヤニヤする映画
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