志乃ちゃんは自分の名前が言えないのレビュー・感想・評価
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主演2人が魅力的
吃音症で人前で上手く喋れないJKが、同じく孤立しがちな同級生の子と交流する展開。
南沙良と蒔田彩珠という、個人的に一推し女優の主演ということで楽しみに見たけど、内容的には普通だった。
南沙良は吃音症という難しい役を体当たりで演じており、鼻水やよだれも容赦なく流す。110分という限られた時間の中、やや駆け足の物語で、その体当たりの演技がやや唐突に感じ
られるのが欠点かな。最後も中途半端。歌もイマイチだったな。ブルーハーツの青空が「僕たちは世界を変えることができない」と被ってるし。
ただこれ、連続ドラマでやったら面白い素材だったかもしれない。
特技と不特技
もうこの映画に関して言いたいことは一つ、南沙良の演技が素晴らしいということ。こんなにも志乃ちゃんを好演出来る役者は他に居ない。言葉が出てこない、焦りを覚える、悲しくて辛くて涙が出そうになる。胸が苦しくて仕方なく、感情移入どころの騒ぎじゃない。本当に凄かった。
蒔田彩珠も萩原利久もとてもいい演技。
2人にイライラしたりムカついたりもするし、心温まったりもする。キャラの落とし込みがお上手で、彼らがココ最近邦画に引っ張りだこな理由も分かります。「朝が来る」「左様なら今晩は」でもいい演技してたし。
シンプルなストーリー展開だが、志乃ちゃんの笑顔に思わず目に涙が溜まる。ちょっとした笑いも丁寧で、どうか幸せになってくれと母親かのように願っちゃう。ありがちだけど、選曲や優しい映像にグッときちゃいます。
Amazonプライムで配信終了間近だったため、鑑賞したのだけど、想像以上にいい作品でした。面白いとか楽しいとかいう映画じゃないんだけど、全員の演技がとても繊細で、笑顔や悲しみで心いっぱいになる映画。ぜひ。
志乃ちゃん(南沙良さん)の名演技に涙が出ました。
意味不明。
メイン3人が特に素晴らしかった
笑うなってったって
素敵な青春ではある
それぞれが抱える悩みがあって、それを忘れさせてくれたり、励ましてくれる友達がいて、歌というものがあって。
それは素敵な青春だと思う。
ただ、1本の作品としては個人的には面白くない。
もともと期待して観始めたわけではないけど、しのかよが盛り上がってきて、笑顔で何かをやり遂げた二人を思い浮かべてしまったから。
一度しのかよが壊れてからもギリギリまで笑顔のラストを期待してしまった。
志乃は自分の弱さを認め、付き合うことを決意する…というのが一人で勝手に完結していて腑に落ちない。
意図してこのような表現なのでしょうけど…
感動的なシーンを作れと言うわけでは無いが、この後のやり取りが無いというのはすごく気持ち悪い。スッキリしない。
成長するってこと
志乃ちゃんは自分の名前が言えない
よくある主人公がいったんはポジティブになったけど、何かがきっかけで絶望して、最後には結局ハッピーエンドという流れかと思ったけど最後が違った。
最後もう一回2人で歌うのかと。
このラストには驚き。見方によってはみんな1人ぼっちになったみたいな感じだけど、最後のありがとうを言った後の志乃の表情からは彼女たちの未来に対する希望を感じずにはいられない。
来年3人で文化祭で歌っている姿が容易に想像できる。
入学して時が経つにつれるクラス内の人間関係の変化がリアル。アイネクライネナハトムジークでも演じていた通り萩原利久は高校生役が似合う。
吃音という言葉を一切使用していないのも興味深い。
自分が恥ずかしがるのを恐れて逃げずに立ち向かう。
学校の周りや町の景色が綺麗すぎる。
涙と鼻水と青空
児童文学にまで引き上げる様な実写化アレンジ
後味の残る作品
どんどんわるくなる
いつもの日本映画なんだろうな、と思って見た。
が、抑制があった。
素朴な田舎の高校生である。
それを描写する映画も、お涙頂戴や承認欲求や岩井俊二風や、吃音に対する特別な問題提起を用いていない。
また、ここでの演技があがなわれることで、別のステージが拓けるアイドルが演じているわけでもない。
無欲で、ピュアな映画だと思った。
のは、菊池君の加入までである。
孤独が躁になって顕れてしまう奴はいるし、志乃が心を閉ざすきっかけとして、分かり易いが、あまりに過剰だった。
人と対峙したとき、感情をつかさどるのは、相手のデリカシーである。どもりがあろうとなかろうと。
すなわち彼が必要悪となり、そのオブセッションを乗り越える曲線が描かれるはずだった。ところが菊池君、あまりにけたたまし過ぎて、志乃だけでなく、観る者の感情をも著しく乱してしまうのである。そこで、雰囲気を崩したついでに文化祭の演劇風さらけ出しで、凡庸な映画になった。
実体験に基づく原作であることを顧慮したい気持ちが無いでは無いが、個人的には菊池君が強すぎた。文部科学省選定映画が関山であろうかと思う。
寂しげな志乃、クールな加代。海辺で、光りのおびただしい土地である。顔にあたる光彩がまばゆい。うつむいて泣いたとき、鼻水の条がきらきらと輝いた。かえすがえすも残念だった。
【”ずっと独りぼっちだったけれど、もう魔法はいらない・・” 葛藤しながらも自らのコンプレックスと向き合い、新たな一歩を踏み出す少年少女の姿が心に沁みいる作品。】
■今作の魅力
1.キャラクター設定の妙と演じる若き俳優さんたちの姿
・志乃(南沙良):人前に出ると、緊張のため吃音になってしまう高校一年生の少女。美しい唄声を持つ。
・加代(蒔田彩珠):音楽が大好きで、ギターを奏でる事で自分の居場所を保つ少女。少しだけ、音痴のため友達と距離を持つ。
・菊池(荻原利久):おバカキャラを出そうとするが、クラスの中で浮いてしまうちょっとイタイ男子。中学時代に苛められていたらしい・・。
という、様々なコンプレックスを抱えた高校一年生を演じる、南さん、蒔田さん、荻原さんの姿。取り分け南さんが演じる志乃の姿は沁みる。
白眉は、ラストに近いコンサートでの志乃の魂の叫びのシーンであろう。
又、ツンデレだが、心優しき加代を演じる蒔田さん。イタイキャラを演じる荻原さんの姿も印象的。この三人が奏でる演技のトライアングルが素晴らしいのである。
2.1970年代のフォークソングの使い方
・随所で奏でられる”あの素晴らしい愛をもう一度” ”翼をください”のメロディが醸し出す風合。
3.1990年代のJ-POPの使い方
・曲数は少ないが、”ザ・ブルーハーツ”、”ミッシェル・ガン・エレファント”と、上記フォークソングとの相乗効果。
4.盤石の”足立紳”の脚本
・3名の若手俳優の名演を引き出す安定の脚本。劇中の音楽の使い方も素晴らしい。
今作の素晴らしさは、足立紳の脚本と南沙良さんを筆頭とした若手俳優3名の方々の演技に依って成り立っていると言っても、過言ではないであろう。
<ある視点から、様々なコンプレックスを抱えた若者たちを描いた青春映画の秀作。改めて、足立紳の書く脚本の凄さを認識した作品でもある。>
<2018年9月 シネマテーク高崎にて鑑賞>
ー鑑賞当時、激しく心に沁み入ってしまい、とても恥ずかしい思いをした挙句、鑑賞記録を紛失・・。-
<2020年6月 別媒体にて再鑑賞>
南沙良さん凄い
「ありがたくない個性」の話。
先に結論から言っておくと、良い映画だったと思う。
アバンタイトルでグッと掴まれて、序盤は泣きっぱなし。
海辺の町の夏の風景の懐かし美しい雰囲気もとても良かった。
でも最後までは乗り切ることができなかった。
これは僕が『ムーンライト』や『ワンダー 君は太陽』で感じた乗り切れなさなんだと思う。
映画の中で語られているのは、“ハンデ”なのか、“個性”なのかという話。
例えば、ムーンライトの主人公はゲイで黒人。それがハンデとして語られるなら、LGBT差別とか人種差別とかを考えさせられつつ、観客は道徳心でもって主人公に同情的な感情移入をする。
また例えばワンダーの主人公は顔が醜い。それをハンデとして語るなら、「人を見た目で判断しちゃダメ!」って道徳心で主人公の頑張りや成長に割増しで感動する。
でも、本当にそれらを差別しないんだったら、ゲイとか黒人とか顔が醜いとかドモリ症とかって「個性に過ぎないんじゃない?」って話になってくる。
「ありがたくない個性」なんて誰もが背負っている。そして多くの「ありがたくない個性」は“ハンデ”として同情されたり、免罪されたり、救いの手を差し伸べられたりしない。
体に障害がある人への差別は社会問題になるけど、例えば性格に障害がある人への差別は、ただ嫌われ者の自己責任になるだけだよね。
例えばセクシャルマイノリティとか身体障害者の日常生活と、
例えばフツーにブサイクで性格悪くて嫌われてしまう者の日常生活と、
どっちが同情されるべきだろうかみたいなことを考えちゃう。
僕にとって、登場人物が「ありがたくない個性」を乗り越えて成長していく話を観るのは大好きだけど、そこに“ハンデ”という要素があると、それが逃げ道になったり、無駄に感動を煽る大袈裟さに感じられてしまって苦手だったりする。
そのへんについて本作は、ちゃんと言及していてエラかったと思う。学校から一緒に帰る道の場面だったと思うけど、加代は志乃に「あんたはいいよね、吃音って障害というエクスキューズがあって」というような意味のことを言う。つまり志乃のドモリには吃音という“やむを得ないレッキとしたハンデ”があるけど、加代の音痴は障害でもなんでもないから、“ありがたくない個性を、純粋なコンプレックスとして背負わなきゃいけない”んだっていう話だよね。
「レッキとしたハンデを持つ弱者」からの視点で映画を観ると、「ちょっと迂闊な物言いをする先生」も、障害者に理解がなく無神経で独善的な、すげー悪役に見える。でも僕は「あぁ、この登場人物、観客にすげー悪役だと思われて可哀想だな」って思っちゃう。もちろん志乃という主人公が、この教師を悪役の位置に立たせてるわけじゃないし、この主人公もまっとうに可哀想なんだけど。
そういうひねくれた見方でこの映画を観る僕には、いちばん可哀想だったのは、この菊池という男子だった。単に僕にキャラが近いから不要に感情移入してるだけなのかもしれない。
「ウザいヤツだけど、悪いヤツではない。」でも、「悪いヤツではないけど、やっぱりウザい。」
物語が主人公に対してする救済みたいなものは、菊池には与えられない。それは「彼のウザさは自己責任であってハンデではない」からなのかもしれないし、ただ単に主人公じゃないからなのかもしれない。この映画に映る彼の最後の場面はとてもリアルで残酷だったと思う。その残酷さに多くの観客はたぶん見向きもしないだろうという残酷さ。
志乃と加代は、「しのかよ」としてまた一緒に音楽やるのかな?
やれたらいいなとも思うし、やらなくてももういいのかなとも思う。
そのどちらかを、正解として押し付けてこない。そこもこの作品のエラいところだと思う。だから良い映画だった。良い映画だったけどスッキリと泣けなかった。だからこそ良い映画だったんだと思う。
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