ファントム・スレッドのレビュー・感想・評価
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愛→服従→嫉妬→支配
この世で最も官能的な「音」と言うと、私はいつも衣擦れの音を連想する。静寂の中で布の擦れる音が響くと、妙に艶めかしいような印象を抱く。なので、この作品のように、服を作り、それを着せるという行為もまた、衣擦れの音の中で、とても官能的な行為に感じられてくる。著名なハウスでドレスのデザインをする男と、そこにモデルとして雇われた若い女との間に起こる愛の変遷。女のためにドレスを作り、美と洗練を与え服従させる一方で、女は男を徐々に徐々にと水面下で支配していく。愛が服従へ変わり、嫉妬を経て支配欲に変わった時、男と女の関係は今までと逆転してしまう。ラブストーリー?いやこれはまるでサイコスリラーのよう。狂気に満ちたアブノーマルな恋愛にも見えるけれど、そのスリルがやはりとても官能的だった。
例えばだけれど、「フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ」シリーズなども、この作品のように描いていたら意味合いが違っていただろう。ただ過激なSMシーンを連ねるだけの滑稽なシリーズだけれど、男女のアブノーマルという意味では共通項がある。一方で「ファントム・スレッド」には、支配することを悦び、支配されることを悦ぶような男女の危ない心理劇の中に、官能と美と狂気と妖気がしっかりと立ち昇っていたということ。まぁ、「フィフティ・シェイズ」はあれだから馬鹿らしくて滑稽で面白いんだけれども。
この作品を最後に俳優業を引退と公言したダニエル・デイ=ルイスの貫録の演技も素晴らしかったが、個人的にはデイ=ルイスを相手取って若きモデルを演じたヴィッキー・クリープスが良かった。まだ頬の赤い垢抜けないウェイトレスから、ウッドコック氏のドレスを纏うようになり放たれる美と洗練を体現。そしてウッドコック氏に服従するうちに狂気が重なり、支配者へと姿を変えていく変遷を見事に演じ切っていた。デイ=ルイスやその姉を演じたレズリー・マンヴィルほど評価されなかった彼女だけれど、個人的に一番共感を覚える存在だった(誤解を招きそうだが)。
やっぱダニエルデイルイス
ダニエルデイルイスを意識することなく、思わずウッドコックという男を観察してしまいました。
私の父がちょうど前半のウッドコックな感じです。神経質で自分のやり方や時間に拘り、周りに対し最小限でかつ彼に配慮した接し方を求めてきます。
ウッドコックのようなイギリスを代表する天才職人ならまだしもですが。。。
なるほどこういう男はキノコで制すのかと~と思わず感心してしまいました。
一度、自信過剰な相手を無力にし、手を差し伸べる。
ただそんな形で結婚しても、すぐに夫婦関係は破綻するし、さすがに2回目のキノコはやりすぎかと。それを知ってて食べるあなたも懲りないねぇ。と。
ドレスの美しさは後半で消えてました。
サイコパス!?
自分が弱々しくなった時や意識もしなかったことが重要になり考え方や価値観が変貌して。
理解して受け入れ身を尽くすそこから徐々に自分のことも相手にそしてお互いが必要な存在になり末永く男女は幸せに。
本作のLOOKからは想像も出来ない展開に驚愕するがユッタリとした雰囲気に上品な感じは乱れずにでも話の進む方向性が狂気じみていく。
"俺はコウだ!私はコウよ!"と難しい男に割って入る健気な女に応援の眼差しで観ていたら常識をブッ壊してズカズカと悪気も無くスンとした表情でことを成す女にア然としてしまう怖さ!?
そんなサイコやスリラーな演出描写が感じられないのにサイコでスリラーだからビックリした!?
一分の隙もない
全編一分の隙もない美麗な画作り、抑制された演技。ストーリーにのめり込みはするものの納得することはない。素晴らしい。
しかしこれって、代理ミュンヒハウゼン症候群+ストックホルム症候群に着地しちゃうんだね…と思って観てました…
ゴージャスな画面に比べて官能性が低いなぁ
1950年代の英国・ロンドン。
オートクチュールの仕立屋ウッドコック(ダニエル・デイ=ルイス)は、姉のシリル(レスリー・マンヴィル)とともにハウスを経営している。
仕立ての実務はウッドコック、経営はシリルは分かれているようだ。
天才的な仕立ての技術をもつウッドコックは、自分が理想とするドレスをつくり、それを着せるに相応しい女性を絶えず探していた。
つい先ごろも、その理想的モデルの女性を追い出したところだった。
そんなある日、朝食をとった食堂で理想の女性・アルマ(ヴィッキー・クリープス)に出逢う。
自分の体形を気にするアルマだったが、彼女があげつらう欠点こそがウッドコックにとっての理想の体型だった・・・
というところから始まる物語で、監督のインスピレーションの源泉はヒッチコックの『レベッカ』・・・
というのが、ほとんど冒頭でわかる。
ウッドコックが暮らす屋敷は、『レベッカ』のマンダレー荘ソックリだし、唐突に女性(アルマ)の虜になり、屋敷に連れていくのもそうだし、ウッドコックが亡き女性(『レベッカ』では前妻、この作品では母親)に憑りつかれているのも同じ。
さらには、主人公を庇護する役どころが、『レベッカ』では召使のダンヴァース夫人だが、本作では姉に替わっているだけ。
なので、亡霊のような女性に苦しめられる男のハナシなんだろうと思っていると、ちょっと勝手が違う。
山出しの女性に自分の理想のドレスを着せ、理想の女性にするあたりは、同じヒッチコックでも『めまい』のよう。
けれども、どうにもこうにも演出がもっさりしていて、ゴージャスな衣装や装置にもかかわらず、エロティシズムが足りない。
のべつ幕無し鳴り続ける音楽も癇に障る(あまりにウルサイので、途中ウトウトしたぐらい)。
そうなんだよなぁ・・・
と気が付いた。
この監督の作品、途中で観なくなったのは、舞台設定と比べて、登場人物の人物設定が幼すぎて、底が浅いからだったような・・・
この作品でも、いちばん観たいのは、後半、それまでウッドコックに支配されていた(ようにみえる)アルマが彼を支配しだし、それに対して、ウッドコックも支配されグズグズになるのが心地よいところ。
このふたりの葛藤に加えて、別の立ち位置でウッドコックの精神バランスを保っていた姉のシリルが、どのように変化するか。
そんなところがほとんど描かれていなく、「結果、こうなりました」的なオチな物語では満足できません。
ということで、衣装や装置、撮影などは見どころはあるものの、観せて(魅せて)ほしいところは喰い足りませんでした。
好き嫌いが別れる
出てきた時からアルマというキャラがいまいち好きになれず毒キノコの件があってからは大嫌いに。あと食べ方がいつまで経っても汚いところは最悪。自分のエゴを通すためにはここまでするかという神経にイライラ。
これ代理ミュウヒハウゼン症候群ってやつと思うのですが人として最低。
対するレイノルズもアルマのことを女性としてではなくあくまでマネキンとして好きであり自分の思い通りにならないことを少しでもしようもんならイライラします。
似た者なのでお似合いかなとは思いますがこういう負のスパイラルに突き進んでいくストーリーあんまり好きじゃないのです。
しかしなんだかんだあって本人達は幸せの形を見つけられてめでたしめでたしです。
最低だけど最高の映画と思います。余韻がすごいです。
音楽、美術、衣装は素晴らしかったです。
あとダニエルデイルイスがこれで引退とは寂しい気がしますがまた三度めの復帰してほしいです
甘美ながらも強烈
題材となる舞台は違いながらもいつも強烈な衝撃を見る側に与えてくるPTAの作品
ダニエル・デイ=ルイスが本当にドレス1着作れるようになったという気合の入った役作りをしただけあって、所作の一つ一つがとても優雅で美しく、それでいて何よりも 偏屈!
本作で引退を表明しているらしいけど、とにかく役者として一本の映画のためにできることを限界まで突き詰めてくる彼の徹底した姿勢が、演じたレイノルズというキャラと重なって映画をグッと引き締まった雰囲気にしている
特に終盤に訪れる支配関係の崩壊、というか逆転と言ってもいいぐらいの強烈な展開はダニエル・デイ=ルイスの芯の通った演技があればこそ
何も真っ当ではなく、正しくもなく、合理的でもない
のに、彼らが行き着いた場所はなぜかやはり美しくて甘美で 忘れがたい映画だった
あと、個人的に腹が減ってたからかなのかわからないけど、 あの キノコ入りオムレツ? めちゃくちゃ美味そうだった
お願いだから巻き込まないでくれ
とても美しい映像。建物、乗り物、小道具、衣装、音楽、全てが美しい。
私もその完璧な世界に入り込んで、優雅な気分に浸ることができた。
ただ、二人の恋愛観には全く共感できませんでした…ごめんなさい。愛には色んなかたちがあるかも知れないが…う~ん、現代社会では毒混入は立派な犯罪w…いや、1950年代では違ったのか?!
とにかく、もう勝手にしてって感じだが、周りを巻き込むのだけはやめてほしい。
個人的には、愛するひとを傷つける原因は愛ではなくて…うまく言えないが、何か歪んでる。
粘着質な母性と、深刻なマザーコンプレックスが織り成す狂気よ。
美しい音楽とは裏腹に、皿の音など、不協和音がより耳障りに強調されていたのが印象的。
良かったのはお姉さんのキャラクター。彼女の大人対応には終始惚れ惚れ。私だったらあんなことされたら声を荒げてしまいそうw
カップルよりは、友達同士もしくは一人で観ることをお勧めする。
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