劇場公開日 2018年4月28日

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「リバタリアニズムの限界」ザ・スクエア 思いやりの聖域 かなり悪いオヤジさんの映画レビュー(感想・評価)

3.0リバタリアニズムの限界

2020年5月24日
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映画タイトルの“スクエア”には劇中登場する正方形の白線で囲まれたアートを指し示しているが、もう一つ別の意味が隠されている気がする。この“スクエア”にはスラングで“五分五分”とか“チャラにする”とかいう意味合いがあるらしく、前作『フレンチアルプスで起きたこと』(未観賞)同様のおそらく“二律背反”をテーマにした作品だ。

映画冒頭、赤の他人のために正義を行使したつもりが逆にスマホと財布を協力した相手に盗まれてしまう主人公クリスチャンは、移民の物乞にチキンサンドを恵んでやったら玉ねぎ抜きって言ったろと逆ギレされる。4文字言葉を連発し会見を邪魔する精神障害者に寛容たれと呼びかける紳士がいたかと思えば、その紳士淑女が集まったパーティ会場で行き過ぎたパフォーマンスを見せる“モンキーマン”を集団リンチ。YOUTUBEを使った斬新な展覧会告知が、貧困層蔑視にあたるとマスコミの袋だたきに合い、結局クリスチャンは美術館キュレーターの職を辞するはめに。

思いやりや寛容を示せば示すほど、プラス効果どころか収拾がつかないほどのカオスをその場に生み出してしまうのである。ザ・スクエアの白線がメタファーとなったその二律背反の境界線に踏み込んだとたん人々は一瞬うつむき沈黙するのだが、相手が自分の領域にずうずしく踏み込んでくると怒り心頭に達し暴力へと及ぶ。つまり、人間が他人に優しさと寛容性を示すことができるのはそのスクエアの“内面”ではなく、それを四角く囲んでいる白線=境界線上のごくごく狭い範囲、その部分だけなのである。

しかしこの映画、一般的には欠かせないプロットと呼べるものがなぜか存在しない。富と貧困、表現の自由と道徳、プライドと偏見、寛容と秩序などなどリバタリアニズムの限界にまつわる各種事例をならべただけで、見終わった後「So what?」と監督に思わず結論を尋ねたくなる構成なのである。パルムドール受賞作というふれこみだけで観賞したものの、巷の評価が真二つに割れた理由はおそらくそのストーリーテリング欠如に由来しているのだろう。もっと寛容に?表現の自由だ?っていわれてもねぇ、チャラにするってわけにはなかなかいかないのよ、これが。

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かなり悪いオヤジ