「ブラック・コメディにするべきだった」ゲティ家の身代金 天秤座ルネッサンスさんの映画レビュー(感想・評価)
ブラック・コメディにするべきだった
リドリー・スコットの硬派で手堅い演出と、役者陣の充実した演技とで、なかなか見ごたえのあるクライムサスペンスであり心理サスペンスだったかな、とは思う。ただ、どうしても貧乏人の僻み根性が出てきてしまい、途中からは金持ちが繰り広げる常識外れのパワーゲームにうんざりしてくる自分に気づいてしまった(同じ理由で「ウォール街」も苦手)。最も常識人であろうと思われた主人公ミシェル・ウィリアムズさえも中盤からは金持ちの価値観に毒されてしまい、誘拐された孫には悪いが、もう勝手にやってろよと思うしかなくなっていた。作り手もそれを危惧してか、冒頭で「これは大金持ちの普通ではない家族の物語だ」というようなエクスキューズを掲げてくるが、そんな言い訳じみた文句を映画の冒頭で語る時点で映画の弱気を感じてしまってよろしくない。
クリストファー・プラマーの圧倒的存在感と演技力が作品をぐっと引き締めるものの、ドケチな偏屈ジジイというにはプラマーの威厳が立ちすぎて、終盤でマーク・ウォールバーグに真っ向から逆襲されてもプラマーの威厳の前では青二才の負け惜しみにしか見えないほど。いっそのこと、セクハラ騒動で本当の下衆だということが証明されたケヴィン・スペイシーが演じた方がきな臭くてよかったのかも?なんて思ったり。いやでもプラマーは作品の救世主。80歳を過ぎてなおフットワーク軽く9日ですべてを仕上げてしまうあたり、熟練を感じずにいられません。
これだけ「カネ・カネ・カネ」と言っている映画の裏側で、セクハラ騒動だけでなく、撮り直しのギャラにまつわる騒動もあって、ハリウッドのカネ問題まで浮き彫りにしてしまったこの作品。株を上げたクリストファー・プラマーと、同情を買ったミシェル・ウィリアムズ、そして撮り直しのギャラを釣り上げて批判され、後出しジャンケンの如くセクハラ撲滅運動にギャラを全額寄付したマーク・ウォルバーグという、3人のそれぞれの立場を見るだけでも、金って人をおかしくさせるよね?と、作品とは関係ないところで思わずにいられなかった。
リドリー・スコットの手堅い演出を褒めてはみたものの、私個人の意見では、この映画はブラック・コメディとして製作されるべきだったと思う。登場人物はクセ者だらけで、特に大富豪のゲティ氏なんてブラック・コメディにお誂え向きのキャラクター。それ以外の人物も(誘拐犯含めて)それぞれにズレた人たちが多く、金持ちのズレた価値観を笑いにするブラック・コメディにしてくれればすんなり受け入れられるのに、それを大真面目に演出しているからただズレた人たちで終わってしまうという皮肉が生じていたように思う。同じ題材でも、コーエン兄弟あたりがブラック・コメディとして仕上げていたら、きっと面白かっただろうなぁと、見終わって真っ先にそう思った。