劇場公開日 2018年1月6日

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「少々判断が難しい作品」アンダー・ザ・ウォーター R41さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5少々判断が難しい作品

2024年1月12日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

楽しい

難しい

SF 近未来 海面上昇によって人類が滅亡仕掛けている。
この時代、量子力学の研究によってタイムマシンのようなことができるようになっていた。
しかしながらこれを行う場合、もう一人の自分ができてしまう。自分の分身ができてしまうのだ。
現代である2097年、これが何を意味するのかという研究はなされないまま、この{QEDA]はとても危険だと言うことになり使用するのが禁止される。
そしてこの時代、多くの人がそうなって死んでいくように、主人公も娘が塩病に冒され死を待っているのに耐えきれず、主人公の曾祖母の研究がこの時代を救うと確信し、主人公自らの分身を2017年に送り込んだ。
このSFの奇妙な点は、飲料水問題だが、これはもう20世紀に完成している技術だ。故にこれをどうにかする研究を未だ2097年に???
それはまあ良しとして、分身の一人が死ねばもう片方が死ぬと予想されていたが実際はそうではなかったことを主人公自身が証明した。
これはこの映画の核となることだと思う。
連絡が取れなくなった片割れを探すため、自分が2017年に行くが、些細な歴史的変化を確認する。
主人公本人が曾祖母に「過去を変えれるならどうする?」と尋ねるシーンがある。
曾祖母は「過去を変えるのなら、いままでの人生が無駄ってことになる。だからそんなことはしない」この言葉も物語の大きな核だと思う。
やがて曾祖母が予定通りに飛行機に乗るが、その直前チケットが購入できて、当初は乗せることが出来なかった娘(祖母)も一緒に乗ってしまった事を知る。
つまり、事故が起きれば自分が存在しなくなるという歴史になってしまうのだ。
絶望の淵に立つ二人の男。娘が書いた犬のイラストで彫ったタトゥーが徐々に消えていく。
しかしこのシーンで消えたのは分身の方のタトゥーだッタということに気づいただろうか?
そして二人は海に浮かび、絶望の中自分自身が消え失せるのを待つシーンで映画は終わる。
エンディングの最後に映されていたのが、動物園のシーン。
なぜ? そして、これは、いったい誰の視点だろう?
動物園の話は、分身が主人公に語るシーンがある。
これはおそらく、主人公本人の視点だ。分身が話した動物園なるものを見たかったのだ。
確かに曾祖母と祖母は飛行機事故で死んだ。
しかしながら、そのために消えてしまったのは、実は分身だけだったのではないだろうか?
それによって歴史は釣り合いを取り戻したのだ(この映画での設定)。
つまり主人公は、曾祖母の研究を受け継いで、新しい未来を作るため2017年から研究をスタートさせたというのが、この映画の隠されたエンディングだろう。
何がどうあっても、結局「希望」は失われないのだ。
それがこのSF映画のテーマだったのだ。

R41