「巨神兵と王蟲の普遍的無意識の中の「セルフ」、ゴジラ」GODZILLA 決戦機動増殖都市 マユキさんの映画レビュー(感想・評価)
巨神兵と王蟲の普遍的無意識の中の「セルフ」、ゴジラ
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アニメ版ゴジラシリーズにおけるゴジラは、地球の環境を自己の生存に適するように変化させる「進化の頂点」を極めた生物として描かれている。しかしそれは地球人にとって、ふたつの意味を持つ。ひとつは、テクノロジーの高度な発達がもたらした負の側面で、実写版ゴジラが水爆実験で誕生したという経緯が投影されている。つまり、環境を破壊して利益や快適さを求める人間の「傲慢」の象徴だ。
もうひとつは、その「傲慢」の象徴が人間にとっての脅威として現れ、自分たちの愚行を思い知らせるという正の側面で、つまり「戒め」の象徴でもあるということだ。ここで思い出すのが、宮崎駿監督『風の谷のナウシカ』に登場する、巨神兵と王蟲だ。
巨神兵は人間が作り出した生物兵器ともいえる存在で、産業文明は巨神兵によって滅ぼされた。そして、そのポスト・アポカリプスの世界に生まれた生物の長が王蟲という巨大な蟲だ。アニメ版ゴジラは、巨神兵と王蟲が一体になった姿に見える。人間の業の産物なのだ。だから人はゴジラに似てしまう。
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