「原発の黙示録」息衝く マユキさんの映画レビュー(感想・評価)
原発の黙示録
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私たちはある問題を語るとき、その問題と距離を取り、客観的に語れると思う。しかし、そんな超越的なポジションなどあるわけがないのだ。新興宗教「種子の会」の信者、古川は、役所の同僚とこんな会話を交わす。
古川「今の世の中をどう思う?」
同僚「どうって…」
古川「いい世の中だと思う?」
同僚「いいかどうかは分からないけど、みんな頑張ってるなって思う」
古川は「いいか悪いか」という価値判断を訊いているが、同僚は「みんな頑張ってる」という状況判断を答えている。そう、私たちは「この社会」を生きている以上、常に既に社会に組み込まれているので、宗教が可能にするような超越的視座には立てない。この社会の善悪を論じることはできない。できるのは、社会に内在する個人として主観を述べることだけだ。だから、「種子の会」のかつての中心人物だった森山は、失踪した自分に会いに来た三人が「自分たちの世界に帰る」と告げたとき、言うのだ。「ここも世界だ」と。そして原発の爆発のビジョンが表れる。森山は内在したピエロになったのだ。
宗教が原発というカタストロフを視野に入れたときの「チープな黙示録」が描かれた、俗人である私たちのための物語だ。
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