レディ・バードのレビュー・感想・評価
全30件中、1~20件目を表示
“レディ・バード”が“クリスティン”になるまで。
○作品全体
“レディ・バード”ことクリスティンとそれを取り巻く環境の設定が秀逸だ。生活が成り立っていないわけではないが決して裕福とは言えず、家族関係は崩壊してないものの脆い箇所が多い。友達もいるがイケてる子ではない。身の回りにあるべきものは存在するが、どれも物足りなさがあって、それがクリスティンを苦しめる。
そこでクリスティンによって生み出された、今の自分より満ち足りた世界へ羽ばたく予定である“レディ・バード”という別名。“レディ・バード”は田舎町で青春を終えるつもりはないし、ダサい世界から巣立っていく予定なわけだ。作品序盤はそんな“レディ・バード”の…いや、“レディ・バード”であるための自由奔放さが描かれる。クリスチャンが後で自省するところからクリスティン自身の自由奔放さとも言えるが、その「女子高生の無敵感」が面白くもあり、一歩間違えば大事になってしまいそうな危うさが表裏一体になっていた。
物語中盤では今の世界から脱却するために、話が噛み合わないイケメンに近づこうとし、そのために交友関係が広い女友達も作ろうとする。ここからはクリスティンが築き上げてきた自分の世界とは遠ざかって、“レディ・バード”が生きる世界に近づいたように感じた。だからこそクリスティンが、クリスティンの取り巻く環境を少し離れて見つめることができたのではないかと思う。それによって今までクリスティンが過ごしてきた環境が、どれだけ好きなものだったかを確認することができた、というような。
そしてその「好き」を明確に言語化したのは学校のシスターだろう。逃げ出したいからこそ「注意して見る」をしていた世界。目線を変えるとそれは「好き」になる。「好きの反対は無関心」なんてよく言うけど、必ずしもそうではないと思う。でもクリスティンが親友とプロムを楽しんでいる姿を見ると、クリスティンはこの街と人が「好き」だったんだろうと確信できた。
終盤、ニューヨークで自己紹介をする時に「クリスティン」と名乗るクリスティンは等身大の自分を認めたシーンとして、ベタかもしれないけどすごく良かった。
そして初めて車に乗ってサクラメントの景色を見たクリスティンの話も凄くいい。その景色は別の人からすれば凡庸な景色なのかもしれないけれど、クリスティンにとってはいつもとは違う別の視点で見せてくれる景色として、なにものにも変えられないものに触れた、というのが伝わってくる。
成績がBマイナーの人を「ごくありふれた」と言う言葉で片付けるにはあまりにももったいない。その人の見ている景色には成績には表せない経験や体験というグラデーションがあるのだから。
映画はそのグラデーションを教えてくれる。改めてそれに気付かされる作品だった。
○カメラワークとか
・横位置カットが良かった。登下校のシーン、ラストのニューヨークの街を走るシーン。最初は背景(街)と並行で居続ける、街と交わりたがらないクリスティンという構図だと思ったけど、むしろ街の中で生きるクリスティンっていう構図だったのかな。ニューヨークのシーンでは今までとは逆で、画面上手側に走っていく。ポジティブ・ネガティブとかそういうのでなくて、心境の変化を画面の印象で与える、と言った感じだろうか。
○その他
・クリスティンの母のシーンは特に絶妙だったなと思う。単純にクリスティンと対立している人間としては描かず、選んだ服で盛り上がったり、泣いてるクリスティンを優しく慰めたりもする。
シスターが「好きと注意して見る」の話をするシーンの次のカット始めで母を映すのが一番よかった。クリスティンと同じで、母もクリスティンを「注意して見る」をしてるんだよ、とカット割で語る感じがいい。
クリスティンの性格もそうだし、車からの景色を眺めるという経験も母譲り。クリスティンを形作るものとして母親というものが大きくて、だからこそ感謝の意を伝えるラストにグッとくる。
羽ばたいてる、自分?
正直に言うと、「今年最高の一本!」みたいな、はしゃいだ気持ちにはなれなかった。初めて観たグレタ・ガーウィグ監督作品が「ストーリー・オブ・マイ・ライフ」だったのは、今になって思うと良かったのかもしれない。
この作品が私にとっての「初グレタ」だったとしたら、劇場に観に行ったかは怪しい。
いきなり否定的なことを書いてしまったが、面白くなかったわけではない。
何と言っても、今まであまり目にすることのなかった「女子の痛々しさ」が思いっきりさらけ出されているところが良い。
盗んだバイクで走り出したりはしなくても、女の子だって「若気の至り」でいろんな「痛い」ことをする。
ママとケンカして車から飛び降りる…、とまではいかなくても、親への反抗は「ママなんて嫌い!プンプン!」みたいな可愛いもんじゃない。外面をどんなに繕っていても、内なる女子は獰猛で、下品で、自己中で、それでいて夢見がちな、厄介な生き物だ。
作品中、この痛くて厄介な「レディ・バード」ことクリスティンを、シアーシャ・ローナンは見事に等身大に(それでいて魅力的に)演じている。
自分の名前がダサイと思って、「レディ・バード」と呼べ、と言い出す。
聖体拝領のビスケット(?)を菓子のように貪りながらの女子トークも良いし、中絶反対のスピーチに辛辣なツッコミを入れるシーンも良い。
どれもこれも、おばちゃんになったら「みっともない!やめなさい!」と言いたくなる恥ずかしさだ。
特に「愛」に対する誇大妄想がバカみたいで可愛い。
自分を大切にしてくれていると思っていた彼氏が、実際はゲイだと知ったり、初めてのセックスに過剰な夢を見て、現実という名の裏切りにショックを受けたり、本当に愚かで愛らしい。
理想の自分、理想の世界の住人になりたくて、でもなれなくて、ほろ苦い経験が自分を成長させていく。
「恥ずかしい、もうヤメテ!」という気持ちと、「ヘコむな、頑張れ!」という気持ちが同時に押し寄せてくる。不思議。
大人になりたい、何でも自分で決めたい。
そう思って、羽ばたいて、一人になって初めてクリスティンは親や過去の自分を「間違ってるけど、間違ってない」と、ありのままに受け入れる。
いずれ巣立っていく自分を育ててくれたママは、どんな気持ちで世界を見ていたのか。
てっきり同じ景色を見て、こんなしょっぱい世界を受け入れてるなんてバカじゃないの?と思ってた。でも、きっとそれは違ったんだ。
ママにはママの、理想の姿があって、現実があって、そのなかで精一杯生きて、精一杯愛してくれてた。
そんな中で見る世界は、しょっぱくなんかなかったんじゃないだろうか。
私自身はあまり「レディ・バード化」せずに成長した、と思う。だから、100%共感出来るほど夢中にはなれなかった。
それでも大人になった今、「レディ・バード」を観れば、黒歴史だらけの青春時代を思い出し、恥ずかしくて懐かしい気持ちが呼び起こされる。
そしてその黒歴史が、間違いなく「私」を形作ったのだ。きっと、痛々しい頃の「私」は今の「私」に目をキラキラさせながら訊いてくる事だろう。
「羽ばたいてる、私?」
おう、羽ばたいてるぜ!とカッコよく返事してあげなきゃ、と思うと、なんだか明日も頑張れる気がする。
2023年11月2日 レディ・バードが夢にあらわれた。
カソリック肯定派?
心の動きとか良く現していると思ったけど、都会に憧れるミーハーな女の子にしか見えない。
A24か!屁理屈映画!?やっぱり、スッキリしないと思ったらそうなんだ。
西海岸の白人がいきなりニューヨークなんて憧れないと思うけどね。
2023年
11月1日 またまた見てしまった。なんか見た事あるなぁって思ったら、最後で確信した。
カソリック肯定派は変わり無く。
親離れしない子供と子離れしない親の話だと思った。
66歳の見る映画では無い。しかし、若い普通の日本人が見て『アメリカって良いな♥』と思ったら、それは間違い。ニューヨークなんて、日本人が住める所じゃない。と言うか、日本人の経済や思想は、時代遅れになったんじゃないかなぁ?
今、インドのニューデリーにいるが、僕みたいな根っからの日本人には生きていける場所ではない。勿論、決して素晴らしい場所だとは思わないが、バイタリティーは大昔の日本人の勢いの倍くらいある。だから、脱亜入欧の僕はニューヨークなんて、申し訳ないけど、行きたいなんて思えない。
だがしかし、否、だから、
今の若者は日本人にバイタリティーを取り戻す為に、英語を身に着けて、海外に出るべきだと思うね。それが現代の若者の役目だと思う。但し、果たして、日本人が昔のようなバイタリティーを付ける必要があるのかは別問題。慎ましく、日本民族が絶滅危惧種になるのもそれは良いと僕は思う。75歳以上の団塊の世代が天国に召されれば、自動的に日本は国力を大いに減らす。インドは日本の14倍。中国も14倍。だから、旧宗主国のイギリスだって、インドには叶わない。アメリカの西海岸のサクラメントとニューヨークを比べる時代ではないのだ。やがて、北京とデリーの時代が訪れると感じる。
追記、
18歳の可愛い女の子が、アルコホールを飲み過ぎて病院に担ぎ込まれ、その横にアジア系の子供が居る。何を暗示しているのか?ひょっとしたら、奥が深いのかなぁ?分からん。
2023年 11月1日22時50分ニューデリーにて 大気汚染が酷い。日本やヨーロッパが炭酸ガスの削減する意味がない。黒い煙吐いて凄い数のバイクが走って行く。我先にのクラクションは鳴り止まず。
2023円11月2日 レディ・バードが夢にあらわれた。この映画は凄い映画だ。
青春を飾らず描いた作品
全体を通して、青春にありがちな苦悩をテンポ良くコミカルに描いていているので、まあまあ楽しめたが、どちらかと言うと主人公と母親のぶつかり合いがメインのため、男性には少し共感できるところが少ないかも。
本作で主演のシアーシャ・ローナンを初めて知ったが、なかなかの演技派で、その点では収穫だった。
好みは別れそう。
刺さらない人にはゆーったりとした94分。
共感できる人にはあっという間の94分。
内容は青二才の若者が自分を認めるまでの物語。
さすがにここまでの環境はなかなかないが、
アメリカでも片田舎ではこのような感性が存在するのかと。
日本に似ている感覚を覚えた。
生まれてから都会でしか生活したことない人には、
この田舎らしい閉鎖的な感覚と、固定メンバーにしか
会わないことは理解できないでしょう。
1度でも仲違いしたら田舎では辛い人生の幕開け。
ジェナに豪邸という嘘がバレた時に「友達を切る?」と
質問した時のレディバードの気持ちは分かるなあと。
あ、やらかした。次々とはいかず、その閉鎖感から
鎖のように噂が伝わるので次にも進めないんだよね。
相手も交友関係狭いから告げ口多いしね。
でもレディバードには帰る場所があって良かったね。
結局はニューヨークの大学に受かり、その環境からはさらば。
新しい生活の始まりには自分自身を受け入れ、
それまでは本名が嫌いで、自分で名付けた"レディバード"を
名乗っていたが、その名を捨て、クリスティンという名前を
受け入れる。そこからは自分を認めることができ、
大人へと第一歩を進めることとなる。
前述した交友関係以外にも、恋人との衝突、母・兄弟との
衝突などなど思春期真っ盛りの甘酸っぱい映画です。
(唯一父親だけは父親には父親なりの問題はあれど、
ずっと良き理解者である。)
間違えるからこそ正しくなる
友達のことや恋愛のこと
優先順位も間違えるし
なにもかも初めてで失敗する
ゲイだった元彼を慰めるクリスティンが優しい子でよかった
みんな色々ある
注意を払うって愛情と同じじゃないって
さらっと核心ついてあげるシスターが素敵
父親に学校の手前で降ろしてもらうのを
母親に私たちが恥ずかしい?って聞かれるシーンは
私も当時父に同じ事をしたので胸が苦しかった
養子の兄を特別触れずに
色々物語らせる存在だった気がする
ターミナルに向かうお母さんの姿
すべて分かってて抱きしめるお父さん
新しい土地で教会に立ち寄り故郷を思い出すクリスティン
運転をするようになって見える景色が違って見えたこと
これが特に好きなシーン
スヌーピーの安心感についての話を思い出す
車に乗っていて自分は後ろの席で寝てるだけ
お父さんお母さんが不安なことはやってくれる
だから安心して眠っていてもいい
でもそれは突然終わる
大人になったら二度とその安心は得られない
と、ピーナッツの仲間がこんな会話をして急に不安にかられてしまうお話だったかと
車を運転することは命を運んでいること
常に注意を払って運転していたこと
それは愛するものを守っていたということ
自分で運転するのは大人になったようで
清々しくて気持ちが晴れやかなこと
日々、流れていた景色は
しっかり生きていたということ
いろんな感情が詰まっていたシーン
思春期の甘酸っぱさと
大人になりかけのほろ苦さ
親子のリアル、蛇足はなく
色々と間違って友達の大切さや恋人の選び方
家族との喧嘩の仕方、正しいものが見えてくる
ストーリーオブマイライフが
とても素晴らしい作品になったのも納得できた作品
青春映画
思春期にありがちな言動や行動等がとてもリアルでシアーシャ・ローナンの演技が上手く喜怒哀楽すべてを演じきっているのも凄い。さらに恋人役のティモシー・シャラメもカッコいい。
難しい年頃の心の叫びや大人への成長が生々しくも、ダイレクトに伝わる青春映画だと思いました。
海外と日本の学校生活が多少違うので観ていて戸惑う場面があるかもしれませんが良作だと思います。
レディ・バードとクリスティーンの物語
理想と現実ギャップ
自分と境遇を否定する女子高生。
シスターの「同じことでしょう。"愛する"と"注意を払う"とは」という言葉から物語の流れは変わる。
その後のママは、レディ・バードに対してもこれまでと同じ態度なのに、観客には全然違うパーソナリティに見えてくる。そして自分も含めて全てのものを許すことができるようになった。
最後は、あれだけ露骨に否定していたカソリックの神と和解し、母親とも和解する。
運転免許がここへの伏線だったとは。
自分の感じたことを話そうと思う
初めは普通の女の子が恋愛するのかな?と思ったらそのお付き合いの子がゲイで、カトリックで、、もちろん応援するけどってなってて色々とやばいことしてる。
高学歴のくせにレジ打ちなんてしてて夢がない!何も分かってないよな!ってお兄ちゃんには言ってるけど1番分かってないのは自分だしあなたの見てる人はいずれあなたの未来のお手本となる。というよりデジャヴじゃんって感じでしたね笑
お父さんの考えてることをお母さんに言ってお母さんはそれを察して娘に言う!ってまさに自分の状況で笑った。今自分は高校生を卒業して4月から大学に通いますが、中学の時に憧れていた電車通学も素敵な恋愛も全部現実を知らないから夢を見れる。現実と妄想とのギャップでどうしたらいいか分からない状況とか、色々クソくらえだし、自分で行動するのもよくわかんないからとりあえず正直に生きようって思うのもなんか今の自分を感じるし、親が支援してくれたり、愛してくれているのも恵まれてるんだなって感じて、泣いてしまいました。これで何が変わるんだとか捻くれてる考えは中々治るか分かりませんが、自分にはもっと努力や客観的な視点が足りてないのかなと色々考えています。
こういう未来になる気がする。っていうことは自分にそういう未来を想像する力しかないし、想像できて実際にできる範囲が限られてるのに想像から出来ないのはなんか嫌だなって。病んでたり、コロナだったり色々重なっている今だからこそ見れてよかったなって思う映画でした。
日本の愛がなんだ。っていう映画と何が違う?と言われると文化、価値観の違いなので、それを含めない違いはないんですよ。でもこれは泣いた。きっと泣いた理由は今の環境や共感ができたからだと思いました。アメリカとか海外に憧れは抱くけど、全員がイケてるわけじゃないのは日本でも同じだし、どこも同じように生きてるんですよねえ。なんかめっちゃ語ったけど頭の整理できてないや。
まあ、共感性がとても高かったので星4!何かが物足りないので4です。何が足りない?と言われるなら私がこのジャンルを好きになるような、きっかけになるようなシーンがなかったことですかね。このジャンルそこまで好きじゃないですけど友達に勧められたので見てみました。満足できるけどこのジャンルを好きになるようなシーンやストーリー性がなかったので星4!
What if this is the best version? ティーンエイジャーあるある
今月は「二人の女王 メアリーとエリザベス」公開があるので、シアーシャ・ローナンの出演作を色々と観ていきたいと思います。名付けて一人で勝手に「シアーシャ・ローナン強化月間」!第一回は劇場公開の時に近くでやってなくって見逃してた「レディ・バード」です。
いやー、なんと言うかお国が違っても10代後半の子の考える事ってそんなに変わんないんだなぁっと思えた本作。何度「わっかる~」っと思った事か。そんなに大きな事件が起こるわけでもないのに、不思議とメッチャ面白い。他人にストーリー説明の難しさ満点ですが、これは色々と感じる作品ですね。
これぐらいのお年頃って自分は特別だと思いたいってのがあると思うんですよね。でも、その反面特別じゃないかもしれないっていう不安もあって。やっと彼氏が出来たと思ったら、その彼氏はゲイで他に好きな人がいるってなったら、そりゃショックでしょう。田舎を抜け出したいって思ってても、都会の大学に行けるかどうかわからない不安。親との確執というか自分のやる事に反対ばかりで本当は嫌われてるんじゃないかって思ってしまったり。親は親で子供に幸せになってほしいから毎日頑張ってるんですけど、子供目線だと親の言動や仕事ってよくわかんなかったりするんですよね。なんで毎回毎回反対するの!って感じで。もうどっちの気持ちもわかりすぎてジンジン響いてきました。
そんな繊細なティーンエイジャーをシアーシャ・ローナンがナチュラルに演じています。熱演っというより、ホントにこんな子なんじゃないかと思えるぐらい自然でした。やっぱ上手いんだろうなぁ。
自分の環境がメッチャ不満で、自分に「レディ・バード」って名前を付けてても、大学で親の元を離れる事によって受け入れられるようになった「クリスティン」という名前。ラストの母親への電話がクリスティンの成長を表してて、観た後にいい気分になれる、そんな作品でした。
どこかで共感できる作品
誰にでもそういう時期はあるし、誰にでもどこかしらの場面で共感することができるような映画。
個人的な理由から最もグッときたのは、やはり母と娘のやすれ違いや愛情の部分だった。
「ママは私のことを嫌い」とは言うけれど、「ママのことが嫌い」とは言わないレディバード。
その彼女の「今の私が最高だったら?」という言葉で表現された承認欲求や、母に無視されることに恐怖心を抱き泣きながら呼びかけるシーンは母親への愛情が前面に表れていてとても切なく苦しいけれど暖かいなと思った。
母親と、次に父親と、最後に一人で車に乗るレディバードの表情が映画の最初と最後ではまるで別人のようだった。
いっぱいの感謝を胸に、羽ばたけ、少女!
最初はなかなか入り込めなかった。住んでる世界も違うし、性別も違うし、人生観も価値観も。
でも見てたら段々と面白くなってきて、終わる頃にはこの作品がすっかり好きになっていた。
確かに言われてる通り、これは普遍的な“青春あるある”。
誰もが身に覚えある“あの頃の自分”を思い出させてくれる。
2002年。米カリフォルニア州の田舎町、サクラメント。
カトリック系の高校に通う17歳のクリスティン。
彼女の高校最後の一年。
冒頭、母親と口喧嘩して、走る車から突然飛び降りる…!
性格はかなり個性的。
思春期真っ只中。
夢見がちで、我も強い。
自分はイケてると思ってる、少々イタイ女の子。
時々、しょーもない嘘をつき、見栄を張る。
違う自分になりたい。
普通に染まるのがイヤ。
都会に憧れ、地元以外の大学に通いたい。
死ぬほど退屈なこの田舎町が嫌い。
そして、“クリスティン”という名前も嫌い。
アタシは、“レディ・バード”。
自分でそう名付け、周りにもそう呼ばせている。
そんな“レディ・バード”(そう呼ばないと注意されるので)は学校では…
一番の親友は、ぽっちゃりのジュリー。
他愛ないガールズトークをしたり、周りをチクチク皮肉ったり、悩みや相談事を打ち明けたり…。
ある時ジュリーとミュージカルのオーディションを受け、合格。
そこで出会った素朴な青年ダニーと付き合う事に。
心ウキウキ! 「あ~~~ッ!!」と嬉しさのあまり叫ぶ姿が可愛らしい。
ところが! 彼の思わぬ現場を目撃しまてしまう。ショック!
レディ・バードは所謂校内ヒエラルキーで言うと、目立たないグループ。
ある時、目立つグループのバンドをやってるクールな青年カイルと知り合う。再び、恋の予感!
彼に近付こうと、目立つ女子グループに仲間入り。
それがきっかけで、ジュリーと喧嘩に。
カイルと付き合う事になり、夢にまで見ていた初体験も!
…でも、またまたショックな事が。
以来、カイルとはギクシャク。目立つ女子グループともやっぱりソリが合わず。
楽しみにしていたプロム。
土壇場で一人になってしまった彼女が誘った相手は、一番の親友と言える存在…。
恋愛、失恋、親友との喧嘩や仲直り、背伸びしたくなる気持ちも分からんではない。
青春の甘酸っぱさ、いっぱい!
レディ・バードを語る上で欠かせないのが、家族。
優しいがリストラされたうつ症の父、養子の兄ミゲル(と一緒に暮らしてる恋人)。
そしてレディ・バードを含め、そんな家族を支えているのが、看護師として働いている逞しい母。
家計は苦しい。住んでる場所も“線路の向こう(スラム)”。地元のリッチな住宅街に憧れている。
家族の中でも、母親とは色々と。
別に険悪って訳じゃない。よく話すし、初体験のアドバイスして貰ったり、ショッピングや物件巡りも一緒にしたり。
そんな風に普通に仲が良いかと思ったら、途端に口喧嘩になる。
衝突はもはや日常茶飯事。
娘に地元で身の丈に合った生き方を望む母と、都会に行きたい娘。
母の心、子知らず。
子の心、初知らず。
我が強い所はそっくりの母娘。
そんな時、母に内緒で受けた州外の大学に合格!
それがバレてしまい、母がろくに口も聞いてくれないまま、旅立ちの時がやって来て…。
主にインディーズ映画で活躍する女優、グレタ・ガーウィグの単独監督デビュー作。
地元愛、少女の心の機微や成長を、コミカルかつ繊細に、共感たっぷりに描いた手腕は、只者ではない。
オスカー監督賞ノミネートはハリウッドの例の騒動を受けてのおこぼれ…と思ってて、ゴメンナサイ!
監督の自伝的要素もあるという本作。
不器用で思うようにいかないけど、所々胸を鷲掴みさせる。
各々のエピソードもそれがベースになっているのがひしひしと伝わってくる。
今や無双状態! シアーシャ・ローナンに外れナシ!
監督の分身とも言うべき役柄を、完璧に自分のものにしている。
魅力、キュートさ、快演は文句の付けようナシ!
母親役のローリー・メトカーフがまた好助演。
年頃の娘にはちと鬱陶しいけど、厳しさの裏に娘を思う母の愛情を巧みに演じている。
ルーカス・ヘッジスやティモシー・シャラメなど注目の若手を揃えたキャスティングも贅沢。
地元を離れてから知る。
死ぬほど退屈だった地元や鬱陶しかった家族がどれほど自分にとって欠けがえないものだったか。
別にこの新天地での生活も嫌いじゃない。
でも…
ふと、思い出す。
見慣れた地元を初めての運転で見た時の素晴らしさ。
母がこっそり忍び込ませた手紙…。
ラスト、電話で感謝を伝える。
地元に。
家族に。
“レディ・バード”ではなく、“クリスティン”という本名も好き。
それらいっぱいの感謝を胸に、羽ばたいてゆけ!
くるおしいくらい、そこに私も、あなたも居た。
アカデミー賞やら何やらあれだけ話題になってたのに半年経って漸く拝見したら、もっと早く観たらよかった…と心から思った。
アメリカの高校生活と日本の高校生活は全然違うと思うので、正直あまりイベント事などには共感できなかったし、アメリカの高校生リア充すぎない???と思ってびっくりしたけれど、
精神的な面や人間同士の交流や絆に関しては万国共通なのだと強く思った。「これは私だー!」と思う瞬間ばかり。
例えば、「レディ・バード」という名前がその象徴だけれど、自分を特別だと思う気持ちと、そうなれない現実に苛立ちつまづく気持ちは、身に覚えがありすぎて最早怖かった。
教室の隅で、誰よりも音楽に詳しくなりたいとイヤホンに耳傾けて、海の向こうの音楽を沢山聴いた私や、大学でやりたいことがぼんやりしながら模試の結果で親と喧嘩する私は、たぶんクリスティンみたいにめちゃくちゃダサくて格好悪かったと思う。
また、親友のジュリーとの関係性や、シスターの雰囲気。
私事ですがキリスト教系の女子校の中学高校に進学していて、男子こそ完全にいなかったので色恋沙汰は皆無だったけど(笑)、毎朝の礼拝はコソコソやりたい放題タイムだったし、クリスチャンの先生の方が意外と寛容で面白いことを言ったりするし、そこで得たジュリーみたいな友達を思い出した。
いつも一緒に居てなんでも明け透けに話せて、時には耳の痛いことも直球で言ってくれる。自分の「名前」を呼んでくれる人。
自分の名前も覚えてもらえてなくて、「カイルの彼女」だなんて呼んでくるようなイケイケのあの子は友達なんかじゃない。
後半で、私はプロムに行きたい、私はこの音楽好き、ジュリーは私の親友と言えたクリスティンの成長に目を見張りつつ、ジュリーと一緒にプロムを満喫する姿が本当にまぶしかった…
「おとなになる」ことは、自分は何者です、私はこれが好きです、こう思います、って言えることなのかな。私もまだ模索しているけれど、クリスティンより少し長く生きて、そうで在りたいな、少しはそうなりたいなと改めて思い返した。
あと、最初に付き合ったダニーくんとの関係性も素敵だった。彼がゲイであることに最初はショックを受けても、彼の秘密を守って受け入れて良き友人になって…彼が誰にも相談できない状況に15年ほど前の時代や、サクラメントの保守性を仄めかすのは見事だなあと思ったし、クリスティンがまた一つおとなになるのに不可欠な存在として、彼が居てくれて良かったなあと。
そして、なにより母親との会話がもう既視感ありすぎて、いつウチを覗かれたんだろう?と思うくらい笑。
お互い自我が強く、ちょっとしたことで口喧嘩になるのに、カワイイ服を見つけるとテンション上がって「サイコー!」みたいなノリになったり、その逆も然り。
今思えば、私も自分を認めてもらいたい、期待してもらいたいと何だかんだで伝えたかっただけだった(今もあまり進歩はしてないが…)のかなあとぼんやり彼女を見て思い出したし、同じようなことを言っていてハッとした瞬間も多々あった。
「愛情とは、注意を払うことである。」
母親、恋人、親友、そして育った街…それぞれに無意識のうちに向けるまなざしや想いの細やかさが、彼女の人となりやそれぞれへの愛情を私たちにしっかりと感じさせ、魅力的で近い存在に感じさせてくれていた。
もちろん母から娘に対しての不器用な愛情も。
ニューヨークに行った彼女は、自分から本名を名乗り、ふらっと入った教会で自分の原点に想いを馳せる。
「神は親からもらった名前を受け入れてくれない」けれど、かつて自分の望んだ名前を呼んでくれた人たちがいて、自分の本当の名前を受け入れられたクリスティンは、まさに "The very best version of yourself you can be"=最高のあなたになりかけている。
足元は固いほど高く跳べる
野郎メンタルな意地っ張り娘があっという間に丸くなる話。
意地っ張りな男女の話くらい腹の立つものはない。シャイな男女の場合、好きなだけやってろよと思い、機会損失を祈ることも忘れない。そんな具合なので、恋愛映画は見ないことにしてる。
こいつは親子、家族のお話なのでセーフ!
スクリーンの前で、おとな達は自分の過去を重ねて思う。その心境の変化、早過ぎじゃない?
イヤ、早いでしよ。悪かないが。
渡せなかった手紙。生まれた街の景色を心に彫み込むためのドライブ。父親との秘密の共有。付き合ったことは人生の汚点レベルのボーイフレンド達。何物にも代え難いともだちと過ごした時間と別れ。
泣いて、笑って、悪態ついて、悩んで、切れて、また口論。愛し、愛され、抱いて、抱かれて、もー大変。野郎メンタルが、更に行動を暴風化させるので、観てる方としては、面白いったらありゃしません。
面白かった。押さえるべきツボをちゃんと押してくれるし。
大外れも覚悟しての鑑賞でしたが、大外れ野郎はスクリーンの中にいて笑わせて頂きましたーー!
レディ・バードの一人勝ち
大学を卒業する目前の今、みてよかった
「描き切っている」の一言
恋愛した相手がゲイだったり、
はじめての経験に期待したり、
友達を作りなおしたり、
母親と喧嘩したり、でもデートしたり、
父親に甘えて、兄を馬鹿にして、
しっかり生きてて自分の道なんて自分で
決めるからと息巻いてみるけど
結局足元しか見れてない
自分のことレディ・バードって呼んでみたり
呼ばせてみたり…思い出したくないけど
高校生って毎日がたしかに映画みたいだった
ティーンってこうやってレディになるのか
シアーシャの演技と散りばめられた
可愛い服、装飾品、家具にもうっとりした
還るところ
シスターがシャーロットのレポートを評した言葉が印象深い。
「注意を払っているということは、愛していることと同じ」
シャーロットの母親も、大切に思うあまり、注意を払いすぎているのだな、とその時合点がいった。
愛情が過ぎると、こうあるべき、こうあって欲しいという願いが先に立ってしまいがちだ。
だから、プロムの衣装を試着しながら、シャーロットは懸命にメッセージを送る。「(ママは私に常にベストであって欲しいって言うけど)もし今がそうだったら?」
そんないたいけさを垣間見せつつも、親友を袖にしてみたり、成績をごまかすための結構大胆な行動もしてみたり…。
でもそれが彼女にできるベストなのだ。
ベストを尽くそうと、どんどん色々なものから離れたり、脱ぎ捨てたりしたはずが、結局シャーロットの心に還ってきたのは、無二の親友や、母の愛情や、美しいサクラメントの情景だった。
その自覚ができた時、レディ・バードなどという仮面はもはや必要なくなっていた。大量の嘔吐と一緒に、重くて無駄な心の鎧を吐き捨てたのだ。
人間は還るところがあると知った時に強くなる。優しくなる。豊かになる。
館内はたった4人だったのだけれど、もっとたくさんの人に観てもらいたい映画だと、心から感じた。
ママお疲れさま、な気分。
カリフォルニア州は大きいので、ロスやらシスコのような大都市だけじゃないみたいです。
州都であるがサクラメントは割と郊外な感じ、平たく言えば田舎です。
そんなサクラメントに住むクリスティンことレディ・バードは高校生です。
2002年が舞台だとか。グレタガーヴィグが高校生だった頃でしょう。
わたしよりみっつよっつ年下の田舎娘のハイスクールダイアリーです。
レディ・バードって、自称が「てんとう虫」ってどうゆう趣味よと思っていましたが、
クリスティンの意図したところは「鳥婦人」らしいです。
どっちにしてもどうゆう趣味よ、なんですが、思春期女子のやることですから、苦笑交じりに見守るしかありません。
もう、自分勝手でどうにもしゃあないけれど、かわいい女の子でした。
母親とぶつかりまくり、性欲に踊らされまくり、田舎をでて東海岸の大学へ行きたいけど家計の都合上は州立大学へ行けと言われている。
1年で2回恋をします。恋というか、恋という名の前戯&性交体験に見えました。
もっと毒っけの強い母親からの脱却物語かと思いきや、心配症だけどすごくまっとうなお母さんとのお話でした。
母が娘にあてて書いたけど、書きあがらないし渡せなくって、こっそり捨てた手紙を父が娘に渡すんですね。それで母のことが少しだけわかるんです。
そのくだりが良かったです。
永らく妊娠しなくて(だから長男を養子で迎えた/なんで兄だけアジアかヒスパニックに見えんのかなってゆう疑問が解けた)、あきらめかけた後に授かったのがクリスティンだったようです。
母は手紙の有無にかかわらず、クリスティンを愛しています。明らかに。
だけど母は神ではないので、反抗的な娘を毎日毎日朗らかに接せない。
しかも母は、休職中でうつ病の夫をも支えなくてはならないので、余裕はない。
態度を軟化させたら母は毎日のエネルギーを前進にではなく、悲しみに注いでしまいそうで、多分ギンギンぷんぷんしていないとやっていけない。
だから娘にやさしくできない。
それがクリスティンには自分を嫌っているように見える、ということかなあと思いました。
進学先で揉める部分は、どちらが悪いとかじゃないなと思いました。
近くにいてくれという母の気持ちも分からなくはないし、
娘のニューヨークへ行きたい!という狂おしい衝動はもっとわかるし。
この場合、どんなに母が悲しく傷つくとしても娘の希望を押し切るしかないです。
少なくともわたしはそう思います。
むくれたまんまの母に対して、せつなく同情しました。
あなた十分頑張った。気持ちのやり場がないのはわかるから、気がすむまでむくれてていいと思う。
それで後悔することも多少あるだろうけど、今は気持ちが自然に凪ぐまで、自分を優先したらいい。そう思いました。
必要なときに言葉やしぐさや体で、ポジティブで愛情あふれるやりとりができる親子よりも、
どうしてもぶつかりまくってコミュニケーションが不全気味になる親子だけど、
愛情は確かにある、ってほうが、ほんとうっぽくていとおしく思います。
絵に描いたように美しいっていうのは、ありえないってこととほとんど同義だと思うもの。
レディバードの彼氏①はマンチェスターバイザシーのリーの甥っ子くんの中の人で、彼氏②は君の名前で僕を呼んでのエリオの中の人でした。
旬で素敵なキャスティングでした。
親友を捨てて人気者にすり寄って、お金持ちのふりして彼氏①のおばあちゃんのおうちが自分ちって嘘ついて、金持ちのモテ系女子にばれるとか、
童貞と信じて処女を捧げたらそうじゃなかったからショック!!!とかバカみたいなレディバードもよかったですよ。
追記
ママ役の人は、ビッグバンセオリーのシェルドンのママ役の人だった!!2018年にはまだビッグバンセオリーを見てなかったー。あたしあのシェルドンのママに泣かされてたんか!
思いのほか展開が早い
期待していたほどはハマりませんでした。
『ワンダー』と同じく、物語は好きですが、展開が早くて構成が好みではなかった、というのが大きいです。
後半はさほど気になりませんでしたが、前半はかなり駆け足感が強かった印象を受けています。
思春期の一年を描いているので、1時間半程度の長さだと、サブのエピソードが描ききれないのでは、と思います。メインの母娘葛藤とダニーの話は短いながらも見事に描いていたとは思いますが、他のエピソードはやや淡白で物足りない。カイルとか、父親の話がチラっと出てきてもスルーなので気になります。
母娘はかなり似た者同士ですね。故にぶつかり合うのだろうなぁ、と感じています。
父親が、「Strength personality」と言ってましたが、まさにそんな感じですね。特に、母親の突っ張り具合とツンデレ具合はなかなか強烈で、ちょっぴりキュンと来ました。
シアーシャ・ローナン演じるレディバードは、そこまで痛いとは感じませんでした。自分でレディバードと言っちゃうのは痛いですが、他の部分は真っ当な思春期女子だったと思います。彼女はボーイフレンドを作れる社交性があるため、そこまでこじらせてるようには思えなかったです。
また、日米の文化差を感じさせる描写も印象に残ります。スクールカースト上位と思われる女子と新たに友だちになることは、日本ではあまりないのではないでしょうか。
父親とバードの親友・ジュリーが魅力ありました。お父さんはデリカシーがあって優しいタイプなので、経営とかは向いてないよなー、なんて思います。対人援助や教育系の仕事ならばうまくいっていたかも。
兄とそのパートナーがやや空気っぽかったのが残念です。特にパートナーとバードのつながりがもう少し描かれていたら、とも思います。
シアーシャ・ローナン、すごい女優だなぁと感じます。正直、ルックスはシラーっとしていて苦手なので「今回もシアーシャか〜テンション上がらねぇ〜」と毎回思うのですが、いざ作品を観るとグッと惹かれます。
ティモシー・シャラメは偉い美少年で、海外の俳優ではあまり感じたことのないジャニーズ感を覚えました。
母の愛
なんか
エレンペイジの「ジュノ」
思い出しちゃった!
青春だね‼︎
笑って泣いて恋して傷ついて
出来る事ゎ全部やっちゃえ〜
羽ばたけ
レディバード‼︎
18歳になって買ってた雑誌
プレイガールって
ホントにあるの⁇
全30件中、1~20件目を表示