「政治とメディアの距離」ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書 TSさんの映画レビュー(感想・評価)
政治とメディアの距離
この作品のテーマは?と問われると、政治権力VSメディア、メデイアの存在意義、報道の自由、表現の自由、経営陣VS現場・・・そういった言葉が思い浮かぶ。
スピルバーグが2017年から2018年にかけて短期間でこの作品を撮ったのも、当時のアメリカ社会が抱えていた政治とメディアの問題、そしてメディア(を巧みに利用する権力者)によって分断される国内事情があってのことだろう。半世紀近く前の事件を掘り起こして映像化したのも社会に対する彼なりのメッセージを伝えたかったからと思われる。
ただ、作品からは、当時のニクソン政権が隠したかった不都合な事実の「不都合さ度合い」があまり伝わってこなかった。ベトナムでの戦況を偽って戦争を続行するということの不都合さが当時のアメリカ社会でどれほどの衝撃を持って受け止められたかがいまいち伝わらなかった。そこが伝わってくれば、もっと緊迫感が出たんじゃないかと思う。
さて、私がこの映画を観て考えたのは、別のことだった。ワシントンポスト社の社主キャサリン・グラハム(メリル・ストリープ)と編集者ベン・ブラッドリー(トム・ハンクス)と政権首脳部との距離感である。特にキャサリンは、自身が社主になるとは想定していなかったこともあろうが、政権首脳部と「友人」関係を作っていた。それが彼女の判断に影響を与える。編集者ベンも、JFK一家と親密な関係を作っていた。
こうした関係性は、「良いニュース」や「深いニュース」を掴むには有利に働くが、「悪いニュース」を報道する際には非常に邪魔になる。彼女や彼は、悪く言えば、上手く政権に取り込まれていたと言って良いだろう。
裁判で負ける、発行禁止処分になる、上場が台無しになるといった会社の危機を顧みずにメディアの使命を貫いた、というだけではなく、親密だった政権首脳部との関係を見直すという決断も同時に行われていたことを考えながら観た。
近づきすぎると囚われる。反抗的態度を取り過ぎると情報がとれなくなる。政治とメディアの距離感というのは、非常に難しい。
そしてもう一つ。不都合な真実を、(個人の意思ではなく、国家として)記録に残したアメリカという国。都合の悪い文書は残さない、黙秘する、曖昧にする、改ざんする、隠す、燃やしてしまう、といったことを繰り返してきた日本。この違いは何か?これは国民性の違いなのか?民主主義の成熟度の問題なのか?国家は誰のためのものか?
そんなことを考えさせられる作品だった。