日日是好日のレビュー・感想・評価
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高砂の尾の上の桜咲きにけり 外山の霞たたずもあらなむ
同じ事の繰り返し。それが良いんだよね。だから、
『ひさかたの光のどけき春の日に
静心なく花の散るらむ』
よりも、
『高砂の尾の上の桜咲きにけり
外山の霞たたずもあらなむ』
の方が合ってるかなぁ。僕には。
建仁寺の桜見たいね。
お茶の事は何も知らないけど、一期一会ッて言葉が良いね。映画で言えばオフビート。
この映画は男目線ではあるが、恋愛もなく仕事の屈強な諸悪もなく、淡々と毎年桜が散ってゆく。
『死ぬまでにこの茶碗何回使うか』と言ったセリフが出てくるが、僕の年になると、
『花の散る季節が毎年一期一会になって、違ったものに感じて来る』ッて、嘘話。そうなりゃ良いなぁって事かなぁ。だって、桜が散ってゆく姿を見て、静心なくなって見たいものだ。と考えている。
だから、『高砂・・』の桜一首が好きかなぁ。
雨水の頃が仕事が一番大変で、啓蟄になると、空気の匂いが変わって思っていた。しかし、長年喫煙者だった影響で、暫くそれが分からなかった。しかし、煙草を止めて、それが戻った時は嬉しかったね。
山のイクイップメントは
池袋の好日山◯へ行く事にしている。もっとも、池袋の西口は昔と今は違い過ぎる。
徒然なるままに色々書いたが結局所作だよね。朝飯作るにも人参の切り方とか所作はあるもの。手際だよ手際。それが良く分かった。
エンドロールで確認 この映画の教室は裏千家なのに、協力は表千家だね。表千家でも、『最後にすするのかなぁ』日本人が外国人から見た時に『マナー悪い』と思われる事でもあるので”郷に入っては郷に従え“で参りましょう。だいたい、器を手で持つのは日本人だけかも。それが当たり前だと思うけど。
女優はいいが
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ふとしたきっかけで従妹の多部と共に茶を習うことになった黒木。
先生の家には日日是好日と書いた掛け軸があった。
やがて紆余曲折を経て24年が経ち、教える側に回ることになる。
その頃に改めて日日是好日の意味を理解する。
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昔よく使ってた表現で言うところの徘徊型映画。
特に目的もないままに時が流れ、何と24年も経ってしまう。
その間にお茶以外のプライベートでも色んなことが起こる。
多部の退職と結婚、高校生の天才現る、恋人との結婚直前での別れ、父の死。
ただどれもサラッと触れられるだけやから、盛り過ぎな感じはした。
全ては黒木が自分を不幸と感じてしまったり自分を責めたりしてしまう出来事で、
でもお茶があったから心が揺れまくる中にも平常心を持て、乗り越えられた。
だから全体を通して禅を学んでるようなところがあって、
どんな時にも今ここを意識するってことで幸福を感じられるという話やったな。
日日是好日は、そうすればどんな日でも好い日と解釈できるという象徴的な言葉。
主人公の黒木は真面目なのに要領が悪過ぎて何をやってもうまく行かない。
そういうのに感情移入できる人からしたら最高の作品なんかもなあ。
ただおれはデキが良過ぎて、そこがちょっと共感できんかったな。
でもそのへんをうまく表現できる黒木はええ女優やなあって思った。
もちろん希林もええ味出してた。見終わった後は妙に清々しかった。
日本人の感性の磨かれ方
樹木希林の遺作となった作品。黒木華と多部未華子がお弟子になって、茶道を指南されるのが微笑ましい。最初に形だけなぞっておいて、後から心を入れるという考え方。これは、日本文化の隅々まで行きわたっていたのではないか。型から入って、十分に習得したら、型を崩してよい。
何年も茶道に親しむことで、少しずつわかってくることがある。「茶道」を習慣にすることで、それが自分の日常に必要なもの、時間になっていく。恋人に裏切られたり、父が亡くなったり。そんな悲しいことがあっても、型を覚えていることで、気づいたり、救われたりすることもある。フェリーニの名作映画「道」を以前に見た時は、まったくわからなかったけれど、その凄さがわかるようになった。「道」は、「茶道」に掛けた言葉だろう。人としての良さは、毎日の積み重ね、習慣に心を入れていくことで培われるのだよって言われているかのよう。
「一期一会」「聴雨」、冬は冬の良さを夏は夏の良さを味わう、その時、その時の瞬間を味わい楽しむ。そんな禅の世界をも表しているように見える。
樹木希林が癌を患い、痛みに耐えながらも、次の映画界を担う若手女優二人に、「茶道」や「日々是好日」の考え方やら女優としての有り方を伝授したのではと考えさせられる作品。
日本の細やかな感性で
とても好きな作品。
配信で2回目の鑑賞。
1度目も好きだった印象はあったが、すっかり忘れていた。
淡々とした毎日でも、季節の移り変わりや、小さな生活の音や目にするもの、ひとつひとつを大切にして生きて行きたいと思える作品。音楽もとても心地よい。
日本人ならではの感性で楽しめる良さだと思う。
海外では、虫の声も雑音に聞こえるらしい。
虫の声を楽しめる世界で生きてることに感謝。
黒木華さんが素晴らしい。
ちょっとした表情や、声のトーン、話し方、全てがこの作品にピッタリだ。多部未華子さんも良かった。
何よりも、樹木希林さんが素晴らしい。
この作品の後すぐに、この世を旅立たれることになったことでさらに、セリフのひとつひとつが心に響く。
最近、マインドフルネスで瞑想をしているが、それと同様、今、この時を精一杯味わうこと。そういうことだ。
お父さんが急に亡くなり、海で「お父さん、ありがとう!」と典子が雨の中で叫ぶシーン、心にグッときて涙が溢れた。私も2年前に父を亡くした。映画とは違って、急ではなかったし、高齢だったので覚悟はできていたけれど、それでも、今も、父にありがとうと伝えている。生きている時も、もっともっとありがとうと言いたかった。
忘れがちな、毎日を大切にすること。
今いる場所で、自分らしく生きること。
そんなことをしみじみと感じることができて、2回目を見てよかった。またいつかリピートしよう。毎日の忙しさに、また大切なことを忘れた頃に…。
すぐに分かることと時が経って分かること
頭で考えずに体で覚える。慣れれば勝手に手が動く。五感を使って季節や音を感じる。同じ日は二度とない。
最近樹木希林の言葉に感銘を受けることが多く見てみたかった作品をやっと見た。もうすでに他界されていることが本当に惜しい。
幼少期に少し茶道をやっていたこともあって序盤から入り込んだ。一つ一つの動作が懐かしくこんなことやったなぁと自分の体験に重ねながら見た。
幼い頃はその所作の意味もお道具の種類もわからずただ言われるがままやっていたからお稽古に行くのがつまらなかったが、大人になってふとした自分の仕草にあの時のお手前の意味を感じることが多くあった。流れるような品のある仕草。一つ一つの所作に意味があったことを後から知る。道具も季節によって使うものが多くとてもお稽古で覚えきれなかったがなぜその茶器を使うのか、季節ごとの掛け軸や茶菓子の意味、全てのものに意味があって奥深い世界。貴族の道楽と言えばそれまでだけど、ただただ現代では必要のない手技をわざわざ習う人が絶えず継承されていくのはそういうことなのだろう。
黒木華の成長していく姿、特に自信がついてきてからのお手前中の姿はハッとするほど美しく流れるような所作に吸い込まれるようだった。師範を務めた樹木希林、視聴後知ったが茶道は初めてで稽古をしたことはなく直前に見本を数回見ただけで完璧にコピーして演じたというからすごい。それであの貫禄。名女優と言われ人々を魅了する理由がよくわかる。セリフは少ないが会えば包み込むような雰囲気と笑顔、そして一言一言に重みの意味のある言葉。同じ人が集まっても二度と同じ日はない。【どのような日も自分にとってかけがえのない一日である】という教えという掛け軸の言葉。刺さる。
『私は不器用で機転が効かない。ここにも私の居場所がない』何年も続けているお稽古なのに自分より後輩が自分より出来て自信を無くしたり恋人との結婚が白紙になり人生の真冬期状態の典子の呟き共感した。何もかも上手くいかず誰からも必要とされてないような目の前の道が見えなくなるような不安孤独。そんなシーンも淡々と流れ季節は春に向かう。
作中、父親が倒れるくだりはベタな流れだったが人生そういうものなんだろう。樹木希林と黒木華以外の脇を固める人物の描き方は少々雑だった感は否めない。特に美智子はもう少し何とかならなかったのかという感はある(少々デリカシーにかける点。毎週会っていたのに距離のある感じ)
淡々として盛り上がりはないが私は好きな作品だった。
もっとしっかりと
主人公は、自分が何をしたいのか?まだはっきりとしないままに大人になる事に葛藤がある女性。
そんなある日、親戚のおばさんがお茶の先生をしているという事でそこでお茶の作法を勉強してみる事になる。
まず、知らなかったのがお茶というのもこれだけの作法がある事でした。ただ目の前に茶菓子と共に出されるだけくらいの感覚でしかなかった。
戦国時代でも秀吉がお茶というもに一目を置いていた事もあり茶人なる職業が生まれたのかな。
お茶は、何も考えずただ味わう。
日本人の文化の素晴らしさを知る映画でした。
もっとしっかりと観ておけば、もっと味わう事が出来たかなって反省してます。笑
樹木希林さんの演技も自然でとても魅力的な作品でした
私も道が大好きです
私のような多部未華子ファンにとっては、彼女の出番が少なく不満である。それに、彼女がいてもいなくても、あまりこの映画では重要でない。ということは、多部未華子は客寄せのため出演させられたのかな?それでも、多部未華子の茶道に対する真剣な眼差し、凛々しい着物姿を堪能できただけでも満足ではあったが。まだまだ女子大生役も違和感ないですね。というか、「お茶って変」とか、セリフを含めこの映画の役としては多部未華子そのままと言う感じで、ファンとしては貴重な映画の1つになった。
話は中盤まで、茶道のノウハウを教える映画か?と思えるほど茶道のことがばかりで、物語はないのかと心配してしまった。中盤からようやく物語らしきものが展開してくるが、それでも特に山場というものがなく、相変わらず淡々と茶道を中心に進行して、結局そのまま終わってしまう。ただ、茶道の奥深さ、和菓子の美しさ、茶室の素晴らしさは伝わってくる。また、虫の音、雨音、水(お湯)の音等、自然の音にすごく拘っていて、耳を研ぎ澄まして聞いているのも心地よかった。
強いて山場というものがあるとすれば、父親の死であろう。せっかくフェリーニの「道」について言及していたので、父親の死に際して、自分も非情なザンパノ(「道」の主人公)だったんだと重ねても良かったと思う。例えば、父に冷たくした後に死んでしまったとか。この映画では、父親が彼女のマンションに立ち寄ろうとしたのを用事があるため断っただけなので、ちょっとそれだけではザンパノと同類にするにはゆる過ぎる。いずれにしても、冒頭の10歳の時に両親に連れられて「道」を見に行ったという話は、何らかの伏線になっていたのではないかとある種の期待をしていたのが、単に大人になって見たらその良さがわかったという単純な話だった。それにしては、「道」は両親が10歳の子に見せるような映画ではないと思うのだが。時代設定から、ロードショーではなく、リバイバル公開で見たということになるが、この映画を見ている人で、「道」を見た人が果たして何人いるのだろうか。「道」という映画を引き合いに出すのはちょっと不自然な気がしてしまう。
後半がいい
疲れたとき、困ったときは、
メリル・ストリープ(米)
ヘレン・ミレン(英)
樹木希林(日)。
頭でばっかり考えてはいけない。
五感を使って感じることも大切。
沁みた。
そして、話には聞いていたお茶の四季を垣間見られたのも楽しかった。
やめたくなったらやめればいい。
美味しいお茶を飲みにくればいい。
あんな言葉をかけられる人になりたい。
モチベーションを感じない
お茶事の稽古を通して二十四節気の巡りと主人公の人生を淡々と描いた映画。
こう書くと綾鷹かおーいお茶の映画のようだが、果たしてそういう想像を上回れたかどうか。結論から言えばそれは叶わなかったようだ。
ありふれた街並み。畳に座って悟達の域に達してるいつもの樹木希林。和の季節感と人生・日常生活。こんなお題が並ぶと是枝監督を否応なく想起するし彼はそういうのを非常に上手く撮るが、この監督はちょっと狙いすぎて失敗したように感じる。
茶器やお菓子はとりあえず正面からアップのインサート。庭や自然はハイビジョンテレビやビールのCMのような綺麗なだけの撮り方。風景も小道具もセリフも全て深みがありそうでない。一言で言えば記号的だ。あえてそうしたというよりは、監督があんまり茶道や日本の芸道を通して感得する世界観や美意識を汲み取れていないと感じた。
主人公の32まで独身実家暮らしのアルバイターの身分でのほほんと毎度新しい着物着て茶道教室に通い続けているというのはかなり特殊な事だと思うが、そんな彼女の私生活については全然掘り下げずモノローグでぶつ切りに挿入されるだけ。完全に観客置いてきぼりで、今どういう状況・心情なのかも年月ごとの心情の変化もさっぱり分からない。共感どころか彼女についてほとんど何も知ることが出来ない。最低限そこはしっかり描かないと人生の「道」感が全く伝わらないと思うのだが。それは原作エッセイで補完してねという事だろうか?だとしたらこの主役のいる意味とは何なのか。
フェリーニフェリーニ言ってるが時が経たないと分からないものの象徴みたいに扱うのは失礼だ。彼の代表作『道』とこの映画を重ね合わせようとするのも本当に失礼だ。
最後にモジって締め
「この映画で起きることはいつも突然。心の準備なんか出来ない。後はその悲しみに2時間をかけて慣れていくしかない。」
まさに、お茶のような映画
派手さはないが、観た後色々考えてじんわりしみてくる映画。
これはエッセイが原作なんですね。まさか、こんな長いスパンを描いているとは思わず観たので「20年も時が経ったの?!」と驚きましたがなるほど。
人生山あり谷ありの中で、いつでもブレない習慣があるのって良いなと思いました。
お茶は、一期一会をかみしめたり(映画の中でも言われていた「この人とはもう会えないかもしれない」ということ)、季節を味わったり、昔の人には色々意味があったのでしょうね。
最後は世代交代を思わせる終わり方で、樹木希林さんが亡くなったこととリンクして深い余韻をかんじました。
茶道の先生 樹木希林さんに会える作品・・・じんわりと沁みます
おぼつかない足取りで畳を歩いていた女の子が、美しい所作の着物が似合う女性として成長していく姿を、黒木華さんがふんわりとした優しい雰囲気で演じられていました。
数年間お茶のお稽古に通っていたのですが、茶道に細やかな決まり事が沢山有り、その手順を覚える事のみに気持ちが行っていた日々を思い出しました。
お稽古の時の独特な空気感、京料理のような美しい手料理を一品一品出して頂いた初釜、お茶の世界を見せて下さった凛とした佇まいの先生の姿を思い出しました。
さりげない一言が魅力的な茶道の先生を、樹木希林さんが柔らかに演じられていました。
テレビ東京を録画にて鑑賞
あす何が起こるかわからない…茶道の映画でそれを実感するとは。
どんなに最初わからなくても、ぎこちなくても、何かを地道に続ければわかってくることもある。
普段が飽き性で、すぐに結果や理由を求めてしまう自分には最初耳に痛い言葉もちらほら。
のりこが水やお湯の音を聞き分けた頃から、観る側も少しずつ視点が変わる。
雨の日は雨の日を、雪の日は雪を、身を切る寒さを、そのままを受けとめ、感じる。
人生経験のまだまだ浅い自分には、言葉の意図はわかれどまだ腹に落ちてまではいないかもしれないが、人生における全てを、そうして受け入れていくものなのだろうなぁと思う。
あまりに普通の女の子で、自分と重なるところがあり、父親の死は、まるで「まだまだ先のこと」とそんなこと考えてもいなかった自分に、晴天の霹靂のように突き刺さった。
大切な人が、いつその場から姿を消すかしれない。
その時に後悔しないよう、もう少し顔をみせたり、親孝行しようと、この歳になって、この映画をみて初めて心の底から感じました。
私にとってはこのタイミングだったんだな。
とても丁寧なつくり
樹木希林と黒木華、そして茶道と四季。ばっちりはまりすぎなくらいな設定とキャスティング。とても良い組合せだと思うけれど、一方で観る前から作品の雰囲気が予測できてしまう一面も。ストーリーの展開などで新鮮味が欲しかった。
淡々と、、、
樹木希林さま目当てで鑑賞。
ありきたりな厳しいお稽古物の感じではなく、ユーモアのある柔らかい、素敵な先生を魅せて頂きました。
黒木華は想定内、多部ちゃんはこれと言って
ひっかかりのない演技でした。
2人で海辺をアハハハハ!っとじゃれるシーンは
とても古い感じを受けました。
あえて、、、??なんでしょうか?笑
でも最後の教える側になってからまた始まり、、のセリフにはハッとさせられたなぁ。
茶道の奥深さに、少しだけ触れされて頂きました。
ついこの間映画館で上映していたと思ったらもうdvdに! 見損ねてい...
ついこの間映画館で上映していたと思ったらもうdvdに!
見損ねていた私には嬉しい限りですが。
お茶の世界を通して主人公典子の人生が坦々と描かれていく
学生生活 フリーター 失恋 父の死と
様々な出来事を描かれるのと同時に
お茶の世界も並行して映し出される
丁寧に丁寧にゆっくりとゆっくりと
静かなお茶の世界は現代の忙しくざわざわした今の日本に
失われたものが映し出されているような気がした
お茶の先生を演じる今はなき樹木希林が演じていて
私はお茶の世界は知りませんが、真のお茶の先生に見えた
とにかくお茶の作法は細かい決まりがあり
動作も美しく私には無理だと思ってしまったが
あの静かな作法はなんともいえない不思議な空間だった
悩みながらも決して腐らず前向きに生きて行く典子にも
共感できた。こうして生きていけたのはお茶とお茶の先生との
出会いもあったからかなとも思った
茶道が教えてくれたこと
主人公の心の成長を茶道を通して描いている。茶道の本質は一期一会の客人へのもてなしで、形で表し、そこに心を込める。そして込めた心をまた形で表す。古代中国の思想家、孔子の仁と礼の思想に似ている。その客人へのもてなしを、日本の風土のその都度の四季を織り交ぜ、茶道は芸術にまで昇華させた。映画に戻ると、四季折々の映像と茶室、茶道具、茶菓子まで全て美しかった。主人公を始め門人達の所作や佇まいの上達の様子も丁寧に描かれていた。物語では、そこに主人公と周りの人々の人生模様が絡んでいく。就職、結婚、親の死。主人公の人生は決して順風満帆ではない。挫折や死別にさえ見舞われる。そして主人公は時に自分の悲運に号泣する。しかし次第に悟る。四季は流れ、良きも悪きも一切は過ぎてゆく。日日是好日。毎日が初めて訪れる素晴らしき日であると。それを気付かせてくれたのが、主人公にとって茶道であった。今度はそれを後進に伝えるために、指導の側にまわるようだ。
教えることで教わることがいっぱいあります
映画「日日是好日」(大森立嗣監督)から。
原作「日日是好日 『お茶』が教えてくれた15のしあわせ」
(森下典子著・新潮文庫刊・252頁)を9年前に読み、
その後、映画館で本作を鑑賞し、そしてまたDVDで観直した。
これが私流の映画の楽しみ方の1つとも言える。
そして、そのかすかな違いに気付き、自己満足の世界だけど、
心が豊かになった、と1人でほくそ笑むが、この作品には、
そんなちょっとした気付きが散りばめられていた。
「梅雨の雨音だわね」と、樹木希林ささん演じるお茶の先生が
呟いたのを受けて、黒木華さん演じる主人公、典子は心の中で、
「秋雨の音とは違うと思った」と反応する。
また「ある日かすかな違いに気づいた。お湯の音と水の音、違う。
お湯はトロトロって。水はキラキラって聞こえる。
私の中で何かが変わっていった」
この違いを感じることができた自分を褒めてやりたくなるくらい、
嬉しい発見が、お茶の世界にはある。
そして最後に、お茶の先生が主人公たちに、こう助言する。
「雪野さん、典子さん。あなたたちも教えてごらんなさい。
教えることで教わることがいっぱいあります」と。
これが、他界した「樹木希林さん」からのメッセージと心に刻み、
教えることで教わる経験を楽しみたいと思う。
静かで、ゆっくりした映画だったなぁ。
移りゆく季節をしっかり感じる世界観
樹木希林が観られるので、レンタル開始を心待ちにしていました。
期待通り、自然体でいて、ちゃんと茶道の先生の姿で、心が温まりました。
時が移る演出として
二十四節気や、干支にも触れていて
季節が変わると作法も変わる そんな茶道の風流な世界観に心を奪われました。
数々の失敗例も、自分がやってみたら絶対にこっちだなっていう場面にただただ共感しました。
一畳を歩く歩数も、何歩かわからなくなっちゃったシーンも笑いました。
洗練ももちろん大事なコトだとおもいます。
形だけではなく、心も磨いてこそ、ホンモノになるなと感じました。
頭で考えず、五感でとらえる。
体が勝手にーという言葉も、希林さんが発するから、深みが増しているなと感じるセリフでした。
日々是好日
日々是好日。
このことばの持つ意味がこころにじんわり
温かく沁み渡りました。
世の中には すぐわかるもの と
すぐわからないもの の二種類がある。
すぐわからないものは
長い時間をかけて、少しずつ気づいて、わかってくる。
とてもとても心が救われました。
お茶を習ってる方はもちろん、習っていない方も
きっとお茶の世界やこころに心が癒される
そんな映画。
お茶を習うということから
たくさんのことを学べる。
千利休から始まった一期一会の言葉も
茶道の持つ奥深さも。
樹木希林さん演じる先生や
黒木華さん演じる生徒さんを通して
季節を感じながら
雨の音、夏の音を聴き、お茶を点てる時間。
水やお湯の音。。。
すべてが愛おしくて
本当にしあわせな気持ちになりました。
春や冬の作法も学べて
とてもためにもなりました。
これは表千家の作法なので、裏を習っていると
少し混乱してしまうところもあったのですが
袱紗のさばきかたから、お茶道具の扱い方
作法、お軸の意味など
本当に勉強になります。
わたしもまだ茶道は習い始めたばかりで
畳の歩きかたもぎこちなく
なんだか被る部分もあり
笑ってしまったり、、
華ちゃん演じる典子さんのおとうさまとのお別れは
涙が止まらなくなり、、
でも、その中でお茶に通い続けることで
受け入れていくことを学んでいき、、
映像や音、こころに本当に癒されました。
見終わったあとの清々しいしあわせな気持ち。
この気持ちを持続できるように
茶道を習い続けようと思いました。
最後に茶道具が本当に素晴らしくて
お茶事のお料理も素晴らしくて、、
感動しました。
樹木希林さんも黒木華さんも
大好きな女優さん。
ふたりだから出来た映画、感動作。
人生のバイブルと言われるエッセーも
読んでみようと思います。
また、来週も観にいきたいです。
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