「何事もないことの豊かさ」日日是好日 シネフィリ屋さんの映画レビュー(感想・評価)
何事もないことの豊かさ
シンプルな映画です。一人の女性が、20歳から20数年間にわたりお茶の師匠の元に通う、ただそれだけの話。たまに、従姉妹と一緒に戸外に出たり、お茶会に出かけたりするぐらいで、主人公はほとんどの時間を茶室か自宅で過ごします。カメラも、ただそんな彼女のお茶のお稽古と、時折の人生の折ふしをじっくりと追いかけていくだけ。
それなのに、とても豊かさを感じさせる映画です。場面はほとんど狭い茶室と庭だけですが、その狭い空間には四季折々の自然の移ろいがあり、雪や雨や刻々と変わっていく陽射しがあります。風のささやき、水のせせらぎ、季節の花々や木々。お稽古の度に変えられる掛け軸、茶器、そして微妙な色彩と形で目を楽しませてくれる和菓子。何よりも、茶道の所作の切り詰めた美しさと、時にふっと挿入される唐突なアクション(それは見てのお楽しみです)が画面を活性化させます。
でも、もしかしたら、この映画の真の魅力は、茶室という閉じられた簡素な場所にあるかもしれません。映画を見ていると、ポッカリと広がる何もない空間に、世界が引き寄せられてくるような、不思議な感覚にとらわれます。実際、主人公は、掛け軸の書を通じて瀧を召喚し、さらに死者との交感すらも行います。それは、茶室という閉ざされた空間の神秘であり、同時に映画という世界の神秘でもあります。そう、映画はスクリーンという閉ざされた空間の中で、自然や歴史や人生や社会を自由に操ることができる素敵なアートなのです。
大森監督は、まほろ駅前シリーズからセトウツミへと連なる一連の作品を通じて、淡々と続く日常の中に生まれる豊かなドラマを描いてきました。この映画は、その延長上にありながら、さらに四季の推移や人生という時の流れを組み込むことで、新たな境地を開拓したようです。もちろん、その背景には、男たちの物語から女たちの物語へと移行したということもあるでしょう。それ以上に、樹木希林と黒木華という素晴らしい女優たちを迎えたことでこのような世界が可能になったと言ってもいいかもしれません。
樹木希林の暖かく包み込むような穏やか声と柔らかな物腰。それでいて、少し声のトーンを変えるだけで部屋の空気が凛と引き締まる緊張感。黒木華のすっくりとした姿勢の美しさ。何より、お茶のお稽古を通じて、女性として、人間としての魅力を増していくその佇まいの深さには目を奪われます。物語の終わり近く、樹木希林が初めて黒木華の身体に触れて言葉をかける時、この二人の間に何かが確実に伝えられたことを観客は感じます。それは、茶道の精神かもしれませんし、あるいはある特権的な女優のみにしか許されないオーラのようなものかもしれません。それに応えるように、黒木華は新たな一歩を踏み出します。
樹木希林の遺作となったこの作品は、同時に黒木華という稀有な女優の新たな旅立ちを告げる映画ともなりました。樹木希林という稀有な女優に感謝と黙祷を捧げつつ、最後にこのような美しい出会いの場を用意してくれた大森監督に賞賛のエールを送りたいと思います。