「【”ロープは人を吊るすために使うのではない!生きるために使うのだ!”UNの動きが鈍い中、停戦直後のバルカン半島で奮闘する国際援助活動家達の姿を描く。】」ロープ 戦場の生命線 NOBUさんの映画レビュー(感想・評価)
【”ロープは人を吊るすために使うのではない!生きるために使うのだ!”UNの動きが鈍い中、停戦直後のバルカン半島で奮闘する国際援助活動家達の姿を描く。】
ー 舞台は1995年、ユーゴスラヴィア紛争停戦直後のバルカン半島の何処か。
国際援助活動家”国境なき水と衛生管理団”は、ある村で井戸に死体が投げ込まれ、生活用水が汚染されつつある中、死体を引き上げるため、地雷があちこちに埋められた危険地域を、一本のロープを求めて、探し回る。-
◆感想
・このようなテーマの映画では、雰囲気が重い映画が多いのであるが、今作は随所でブラックユーモア溢れるシーンが描かれる。
例えば、道の真ん中に牛の死体があるシーンが2回出てくるが、1回目は活動家のビー(ティム・ロビンス)が、経験の浅いソフィ(メラニー・ティエリー)に
”このような場合、牛を避けるために通る、右か左に地雷が仕掛けられているんだ・・”
と言いながら、猛スピードで牛を踏みつぶして、道を進むシーン。
絶叫するソフィ。笑うビー・・、のような感じだ。
・又、同じ活動家であるマンブル―(ベニチオ・デル・トロ)が、サラと言う恋人が居ながら、且つて肉体関係があったと思われるロシア美人、カティア(オルガ・キュリレンコ)と再会するシーン。
彼らの関係性を知るビーはにや付きながら見ているし、カティアはお手並み拝見といった態度でマンブル―と接する。
- UNが手を出せないような過酷な環境下で、人民のために活動する尊崇な”国際援助活動家”達にとっては、ユーモアの精神が無いとやっていけないのだろう、と勝手に推測する。-
・ロープを求めて、村に”残された”二コラ少年の実家に皆で言ったシーン。家の屋根は、吹き飛ばされ、ロープにぶら下がった女性の姿が、チラリと映る。慌てて、少年に見せない様にするマンブルー達。
- ユーゴスラビア紛争の悲惨さが、語られる・・。-
・水が無い為、高値で水を売る連中の姿。
- マンブルー達の命を懸けた崇高な姿の理由が、沁みるシーンである。-
・井戸に落とされた死体を、”爆発物があり、危険だ”と漸く手に入れたロープを切断するシーンの後、大雨により井戸から水が溢れ、死体が浮かび上がるシニカルさも、良い風合を醸し出している。
<紛争地帯で人々を救うため奔走する国際援助活動家たちの戦いを、少しのユーモラスシーンを絡めながら描いた作品。
再後半に流れる反戦歌「花はどこへ行った」の使い方も効果的である。>