ナチュラルウーマンのレビュー・感想・評価
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ダニエラ・ヴェガの熱演に驚歎。
最近は、トランスジェンダーや同性愛者などが映画に登場することも珍しくなくなったし、以前のように「道化役」としてその存在を笑い者にするためでなく、我々が生活する社会のごく当たり前の一部として描かれることも多くなってきたように思う。だから私はきっと油断したのだと思う。そしてとても単純な思い違いをしていたのだと思う。きっと今の社会はこういった差別から脱却しつつあるはずだ、というとてもシンプルな誤解を。
この映画のヒロインであるマリーナを見ても、序盤ではもう十分マリーナは社会と調和したトランスジェンダーに見えるし、最愛の恋人の死後、彼の妻にかけた電話のやりとりを見ても、マリーナに対しての差別的な物言いはまだ見えてこない。しかし、そこからストーリーが進んでいけばいくほど、妻がそして相手方の家族が、そしてこの社会が、マリーナに対して潜在的に抱いている差別意識と偏見がいかに根深いかが浮かび上がり、実は彼女のことを肯定などしてないという事実が次々に明らかになっていく。「差別から脱却しつつあるはずだ」なんていう私の思い違いを叩き割るように、厳しい現実を突きつける。
そしてそういった厳しい社会の中で差別にさらされて生きる女性を姿を、ダニエラ・ヴェガが心と体をすべてさらけ出すような演技で体現。実際のところ、この映画は物語が語るもの以上に、ダニエラ・ヴェガの存在が語るものの方が大きい気がする。彼女の姿、佇まい、演技、肉体、言葉などが非常に多くのことを訴えかける。こういうのが熱演だと思うし、彼女でしか表現できなかったことが見事に表現されていたように思う。マリーナは、そしてダニエラ・ヴェガは、決して強い人ではない。聖女でもないしそもそも特別な人なわけではない。ただ、次第に彼女のことがヒーローに見えてくる。現実の世界で傷ついたり失敗したりしながら闘い生き抜く、私の隣にいる英雄。私にとっては、彼女の方がワンダー・ウーマンよりもずっと英雄に思えた。
ヒトを思いやれる人間か。シンプルにそこなのかな、と。
トランスジェンダーの女優がトランスジェンダーの役を演じている。
LGBT作品はあまり足が向かないのだけれども、ここのレビューにあった「女性として扱ってほしいとは言わない。ただ人間だと主張するだけ」という記述に惹かれて観賞。
正直、主人公を含め登場人物の思惑がわからない行動が多々で…うーむ。
本人の意思の強さ、より周りの人の接し方が印象に残ってる。
LGBTに理解がある、関係性が私的/公的か…でなくヒトを思いやれる人間か。シンプルにそこなのかな、と。
理不尽な世間と戦う人の物語
トランスジェンダーが主演の映画を劇場で観るのは、たぶん本作が初めて。
現代が舞台だと思われますが、彼の地ではトランスジェンダーは批判の目に晒されているようだ。
主人公のマリーナは、パートナーであるオルランドと楽しい一夜を過ごすけれども、オルランドは急病で亡くなってしまう。
オルランドのアパートで共同生活を送っているものの、法的には夫婦や家族の関係ではない。
ましてや、トランスジェンダーの社会的地位は低い。
オルランドの弟に電話で連絡はしたものの、マリーナはそのまま姿を隠そうとする。
そのことが警察に咎められ、容疑者として取り調べや検査を受ける羽目になってしまう。
検査官の前で裸体を晒さなければならなかったマリーナ。さぞ屈辱的だったろう。
2人の思い出の場所だったアパートも、遺族からは早急に出ていくよう求められる。
オルランドの弟であるガボ以外は、マリーナに対して冷たい態度をとる。
「夫(父)の浮気相手」としてではなく、「受け入れがたいセクシャリティの持ち主」への理不尽な嫌悪感が強烈に感じられる。
中盤、オルランドの親族がマリーナを拉致し、車内でマリーナの顔をビニールテープでぐるぐる巻きにする。
あまりの酷さに、観ていて涙が出てきた。
自分とは異なるセクシャリティというだけで、なぜこんな真似ができるのか。
子どもの「いじめ」と全く同じ構造ではないか。
恥を知れと言いたい。
マリーナは、オルランドとの思い出の品をことごとく奪われていく。
オルランドが残したサウナのロッカーの鍵も、開いてみたら中には何もなかった。
2人で約束した旅行のチケットが入っているのかと思っていたけれど、それすらも形としては残らない。
マリーナは、オルランドの飼い犬を奪い返すために、遺族たちと対峙する。
マリーナは何度も傷つき、傷つけられる。
しかしマリーナは、それでも何度でも立ち上がる。
パンチングマシンで、シャドーボクシングで、マリーナは何度も拳を打ち付ける。
理不尽な攻撃と戦うために、マリーナは戦う。
ストーリーとしては、正直新鮮な展開はない。
でも、マリーナが自分らしく生きるために、時には傷つき、自暴自棄に陥りそうになりながらも、必死に前を向いて進む姿には感動を覚えた。
セクシャリティに対する「他者からのラベリング」が、いつか必要なくなる世界になればいいなと思う。
私のセクシャリティは私が決める。それでいいのだ。
悲しかった。
マリーナという女性がとてもひたむきで素敵で優しい女性だっただけに、マリーナの受ける扱いが終始酷くて辛くて悲しいものだった。トランスジェンダーの方って、実際の女性よりも女性らしく、内面が素敵な方ばかりですよ?まだまだ、これが現実なのか?と思うととても悲しかった。
社会は自分を映す鏡
LGBTというテーマが映画で頻繁に扱われるようになって久しいが、ここ数年はさらにその傾向に拍車がかかっているかのように感じる。少々食傷気味ではあるが、いわゆるストレートな人々を通して描くものには限界を感じている映画製作者たちの事情も伺える。
つまり、映画を量産するような経済的に豊かな国々においては、人々の生活は満たされきっており、観客や映画祭の審査員たちの心をつかむような物語や世界の切り取り方は難しい。
もちろん、政治の世界だけでなく、教育や職場でもLGBTへの偏見や差別をなくそうという機運は世界的に高まっており、これが現在最も人間社会を語るうえで外せないテーマであることは間違いない。しかしこのこととて、物質的に何の不自由もない世界であるからこそ議論される問題なのではないだろうか。
この作品もそんなLGBT映画である。原題の直訳は「素敵な一人の女性」。このような素朴な自意識を持つに至るまでの苦悩が描かれる。
人間は自己の有様を、他人の目を通じてしか意識することができない。とは、社会学の本に書いてあったこと。
差別や偏見に苦しむとは、まさにこのことであることをこの映画は語っている。しかも、鏡という映画ではとてもオーソドックスな道具を使用して表現しているのだ。
自分を映し出す鏡面の状態によって、そこに映る自分の姿は変容する。業者が運ぶ鏡がゆらゆらとゆがむことで、鏡の中の自分が現実とは似つかない姿になるのを見つめるシーンはその象徴である。
そして、膝を抱えてベッドに座るラスト近く。マリーナは股間に置いた鏡に映る自分の顔を見つめる。鏡の下に隠れたものが何であろうと、自分は自分でしかない。
「オンブラマイフ」の歌詞の意味を知り、その言葉を噛みしめるようにこの歌を聴いた。
選別
男、女、トランスジェンダーの前に、人間であるということ。私達はまず、人間です。そこから性別を分けたり肌の色で選別しているだけです。誰が選別してるって?私達が自ら選別しているだけです。ただ、それだけです。
それでも歩き続けることの力強さ
マリーナは歩く。風が吹こうが、雨が降ろうが、彼女は歩き続ける。カメラは彼女を追い続ける。時に後ろから、時に正面から、時には側方から…。
トランスジェンダーに対する、過剰な演出は最低限に抑えているが、遠巻きに彼女を見る世間の人々の姿にリアリティが生まれる。辛辣な言葉も、オブラートに包んだ表現も、主張の本質は変わっていない。どうして世の中は自分と異なる者に対し、これほどまでに排他的なのか?かくいう自分だって価値観の違う人に攻撃的な態度をとってしまうこともある。人とは実に愚かな生き物である。
しかし、どんなに差別的な扱いを受けようと、どんなに酷い言葉を浴びせられようとも、彼女は決して乱暴な言葉で言い返さない。内に秘めた怒りを抑えながら、溢れ出そうな涙をこらえながら、一人の人間として歩き続ける。それが彼女の強さであり、最大の自己主張なのだと思えてくる。
風が強く吹き付ける、雨が強く打ち付ける、けれども、時に暖かな日差しや美しい夕焼けが彼女を照らすからこそ、この物語の向かう結末に一抹の希望を感じられずにいられない。物語の後半、彼女は遂に涙をこぼす。愛する者を失った哀しさか、それとも自分の在り方が正しかったという安堵感か。恐らくは、その両方が入り交じった感情だろう。そのことを表現するかのようなラストの歌唱シーン。穏やかな感情を歌い上げる彼女の声がいつまでも耳に残る。
自身のバランスを保っているものは何でしょうか? 主人公マリーナの、...
自身のバランスを保っているものは何でしょうか?
主人公マリーナの、人生を表現するような歌ぶりがとても良いこの作品、トランスジェンダーという身体的なたくましさを表すシーンがあるけれど、彼女の真っ直ぐな眼差しで歌う姿に、強さと同時に美しさを感じ、心を動かされる。
悲劇的な流れで物語が進むが、いつだって彼女が歌う姿は冷静で美しいく、水を得た魚の様だ。
真っ直ぐに愛に直面して、健気に愛を追い続ける彼女だが、彼女のバランスを保ってるのは、愛じゃなくて歌なのかもしれない。
「あなたの愛は昨日の新聞みたい」ナイトクラブでマリーナが歌う歌がとても印象的で、恋人のオルラルドのやりとりも愛情を感じるシーン。
あなたの愛は昨日新聞みたい、朝に衝撃を受けて、昼には知れ渡り、夕方には忘れ去られる。
ラテンを感じる歌詞がユニークで笑ってしまいました。
素のまま自分を再び見出す力強さ
チリのサンチャゴ。
ウェイトレスをしながらナイトクラブで歌うマリーナ(ダニエラ・ベガ)。
トランスジェンダーの彼女には、年の離れた恋人オルランド(フランシスコ・レジェス)がいて、誕生日を祝ってもらうなど幸せな日々を送っていた。
が、突然、自宅で倒れ、救命処置もむなしく、彼は逝ってしまう。
遺されたマリーナは悲嘆にくれるまもなく、オルランドの弟や元妻により、彼のもとから引き離されてしまい、トランスジェンダーであることを理由に理不尽ともいえる仕打ちを受けてしまう・・・
といったところから始まる物語で、監督は『グロリアの青春』のセバスティアン・レリオ。
前作では、60歳にしては男を見る目がない女性を主役にして、少々ガサツな感じで引いてしまったのですが、今回は、マリーナが受ける理不尽な仕打ちを的確に描いていき、そこいらあたりは少々気が滅入るくらいです。
とはいえ、まだまだトランスジェンダーに対する偏見は相当にあるでしょうし、かなり現実的なヒリヒリ感です。
で、この映画、そんなヒリヒリ感だけでなく、マリーナが自分自身と向き合う中盤以降、さらに胸に沁みる演出をみせていきます。
「男おんな」と侮蔑され、顔に透明テープを巻きつけられ、「怪物」と罵られて道端に放り出されるマリーナ。
テープを取るために、路上の自動車の窓ガラスに顔を写すあたりから、鏡に映るシーンを巧みに取り入れた演出が続きます。
自分は何者なのか、自分は愛される資格はあるのだろうか・・・
そのように問い続けるマリーナ。
最後には、素っ裸で股間に置いた小さな鏡で、自分の顔を見つめなおします。
ジェンダーを越えた先にある、自分という存在・・・
そして、オルランドの愛の証(もしくは希望)といってもいい、オルランドが死ぬ直前、誕生日に買ってくれて手渡されないまま行方不明になったイグアスの滝へのチケットを求めて、再び男の姿に戻るマリーナ・・・
チケットは見つからずとも、素のまま自分を再び見出し、オルランドが愛していてくれたことを見つけ出す・・・
素の自分を見つけ出したマリーナが力強く歌うラストシーンは、本当にしびれました。
日本タイトルは、劇中使用されているアレサ・フランクリンの同名曲に由来しますが、「You Make Me Feel Like a Natural Woman」という歌詞、この映画にピッタリです。
自分らしく生きる大切さ
トランスジェンダーの歌手であるダニエラ・ヴェガが、トランスジェンダーの役で迫真の演技。
トランスジェンダーであるために、多くの偏見があるが、向き合い、逆風に立ち向かって行く。そして、自分自身を尊重し、自分らしく、人として生きる、強いトランスジェンダー(女性)。
すごくよかった
主人公の存在感。それだけでものすごく説得力がある。目が素晴らしいですね。
それと、このサイトの紹介文はもうちょっと考えて欲しいです。この映画は「権利」を声高に叫ぶ作品ではありません。
むしろ、ひとりの人物を丁寧に描くことで、共感や社会への疑問が自然と湧き上がるような作品です。
サウナに潜入する時の上半身
トランスジェンダー?(種類がたくさんあるので今回が正確になんと呼べば良いのかわからん)の女性が、亡くなった彼のサウナのロッカーを開けるため、女性ながら男性サウナに入って行ったシーンの、少しだけ膨らんだバストや上半身をさらけ出しながら歩く所が印象的だった。女性でありながら、男性でもあり、どちらでも無いとも言える。でも、勇気を持って誹謗中傷と戦っている人間ではある。そのフワフワした非現実的な感じが、あそこで濃縮されてた。
あなたはどう向き合うか
自身もトランスジェンダーであるという歌手・女優のダニエラ・ヴェガ主演による、本作。
近年の数々のLGBT映画にはややウンザリしてきたが、トランスジェンダーである彼女による(ある意味、ドキュメンタリー的なリアリティを孕む)この作品の訴えかけるものは、まるで説得力が違う。
彼女の意志は非常にシンプルだ。ただ一人の人間として生きたいという、その純粋な思いが、多くを語らぬ作風に現れている。多くを語らぬというよりむしろ、どうして多くを語る必要があろうか、ということである。
この寡黙に抵抗する作品はLGBTの生き方そのものであり、我々に立場の自由を保障した上で、彼らにどう向き合うべきなのか強く問いかけている。
あなたはどう向き合うか。私はまだ答えが出せない。
全てが融合され迫ってくる
監督の志が高いだけに、主張するところが強い作品。単に主張しているだけにとどまらず、映像や音楽、演出など全てが融合して、何か強烈に伝わってくるものがあった。
最近はLGBTをテーマにした優れた作品が多いと思っているけれど、それは単に物珍しさに興味を抱いているだけなのかもしれない。どんなに理解を持とうと思っても、理解できない怪物だと彼女・彼らたちを見ている自分がいる。差別を受ける当事者も同様のようなことが言えて、自分を卑屈に見て人目を避けているようなところもあるだろうし…。
徐々にLGBTが浸透し、偏見も減って世の中に受け入れられていると思っていたけれど、それはまだまだ幻想で、ここから数十年後・数百年後、こういった問題がどうなっているのか全く想像がつかない…と色々と思うところが多い作品だった。
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