わたしたちの家のレビュー・感想・評価
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観る者を穏やかに挑発する、スリリングな「ホーム」ムービー
わたしたちは「家」という舞台装置について、よく知っているようで、実はあまり知らない。なるほど、古い家であればあるほど、時代ごとに住人は異なり、そこで展開するストーリーも全く異なる。本作はその鋭い視点を用いて、一つの家を舞台にした、全く異なる二つの物語を同時並行的に描いていくのである。片や、母と娘が織りなすホームドラマ。片や、記憶喪失の女と彼女を助ける女性をめぐるミステリー。これらが果たしてど結びつくのかが大きな鍵となるが、そこにナチュラルに時空を超えたマジックリアリズム的な趣向が入り込んでくるところこそ本作の大きな魅力。それが炸裂する瞬間、アイディアの冴え渡った、極めて映画的な心地よさを感じずにいられなかった。カメラがとらえる角度に複数の鏡を置いて一度に多面的な表情を捉えたり、影のうごめき、奇妙な雑音が忍び込むサウンドデザインなど、細部にもこだわりが光る。非常に楽しみな才能が現れたものだ。
ちば映画祭2024初夏
初めてのつもりが二回目でした笑 微妙に干渉し合う二つの世界。それを繋ぐ1つつの家。これが「大学院卒業制作作品」だと言うのだからおそれいる。スッキリしたい派にはモヤモヤが残る作品だが、余白が好きな我々にはご馳走の様な作品だった。初めて観たのが5年前。その時のトークショーも追々思い出して来たのだが、監督もその時の事を思い出したりしつつ、心境の変化とそこからの気付き等を思いつくままに語って頂けたので、中々に贅沢な二回目となった気がしました。また忘れた頃に三回目がある、かな笑
現代アートシネマの最前線
藝大大学院の修了作品としては同窓の先輩・濱口竜介の『PASSION』が有名だけど、それに匹敵するすばらしい長篇デビュー作。ニューヨークの小さな映画祭で見たとき、いまの映画の世界を知りつくした見巧者たちが、そろって感嘆を口にしていたのを、よく覚えている。
すぐれているところは数多い。画面の構成力、照明の操作、編集のリズム、全体のトーンの見事な統一。白とも黒ともつかない「あわいの世界」の空気感を映像でとらえるのは物凄く難しいが、この映画はそれにほとんどの場面で成功している。ともかくそこをきちんと評価するのがスタートライン。
文句なく今の世界の映画にまっすぐつながっている感受性と技術。一度も国外で映画の勉強などしたことがないのにここまで到達できるのは立派な才能。
惜しむらくは、踏み込みが弱い。曖昧で意味ありげな気配が、要するに何なのかを映画の中で描かれないとしても作り手は完全に把握していなければ。それをやっていない映画は日本国内では大きな顔で上映されて称賛もされるかもしれないが、国外では通用しない。
だけども、そうした弱点を上回る魅力があるのも確かなんだよね。
あおくてくさい
少女達のダンスのあと、古風な家屋内を、まんま小津な腰位置のカメラがとらえる。
そのあと海岸で少女が少女らしき屈託を語る。
15分ほどで青臭さに嫌気した。
と同時に、筋が追えなくなる。
二家庭がパラレルに存在する話。ゆえに編集を交錯させている。
おもしろくない+わからない。
にもかからわず、映画は叙情を露わにしてくる。
岩井俊二風の多感な気配を見せる少女。
いきなり、丘を越え行こうよ口笛吹きつつと歌い出し、きゃははとたわむれる、ふたりの女性。
こっちが何にも理解していないのに、リリックな情景をやらかす──その圧倒的な恥ずかしさ。
パラレルはあるていど補完される。それにしても、その途上、楽しくはなかった。
多重世界に独自性が有るか無いか、小津安二郎へのオマージュ、それらは、ひとまず置いて、監督は根本的なドラマ演出のメソッドを学習すべきではないだろうか。
しかし、この映画はなんかのアワードを獲っている。
世のなか、芸能にプライズは数あれど、未熟でも与えられるのは映画製作者だけだ。その理由は、文や絵などの個作品に比べ圧倒的に応募が寡ないこと、加えて、賞が産業振興を目的としていることにある。アワードの知名度が低ければ低いほど、振興が主眼になってくる。すなわちクリエイターの背中を押してやることを目的としている。
ただし、こういうセンスの人が映画をこころざし、授賞に気をよくし、果然、映画製作に打ち込むなら、日本映画の未来は暗い。
この国の映画の新人は、振興コンペティションに勝った「鬼才」であることが多い、と個人的にはみている。やりたくて熱いひと、かれが厨二であろうと、門戸を開けている。
映画監督という職業は、この人のように芸術──ぬるいコンペティションから出発する人と、現場で叩き上げる人の二種類に大別される。
もし芸術から出るなら、社会/人間のことをじゅうぶんに知らなきゃいけない。
基礎技術を経たなら、人生経験がものを言う──そうでない芸能は、この世に存在しない。大衆に伝わらない映画を撮るんだったら、インスタレーションでもやってりゃいい。
未来の河瀨監督?
多分、今の映画界で一番フロントラインに立っている監督が河瀬監督なのだろう。勿論他にも優れた女流監督がいることは前提での話で、自分のようなズブ素人が見聞きするレベルでのマスコミへの露出度を元での考察である。そして想像だが、女流監督の卵達が目指している憧れであろう。
東京芸術大学大学院映像研究科映画専攻修了作品と、長ったらしい権威の今作品は、それでも権威に臆せず果敢に実験的プロットにて制作されたものである。それは、上映後のトークショーでしきりに登場したキーワード『ポリフォニー』と『パラレル』いう表現方法を利用したことである。異なる二つのストーリーが同一の舞台装置で展開されてゆく。有りそうでなかった技法での作品は、なるほどかなり実験的であり、アカデミカルではある。今作はそういうチャレンジ作であるが故、その二つのストーリー自体は完全体ではないし、実際、フリの回収は殆ど行なわれていない。多分その部分は作品にとっては重要ではないのであろう。登場人物が実際どんな人間で、どんな思いで、そして何を成したいのか、そこは敢えて観客に全投げしてしまっている。そういう意味では当然ながら商業映画ではないので、突っ込みを入れることは野暮である。ただ、それならば正規料金を取ることへの配慮も必要だったのではないのだろうかと思うのは、自分のケチさ加減が極まったが故である(苦笑
技法としては大変興味深く、もっと膨らませれば複雑怪奇な映画が作られるのではないかと、未来を予感させる作品である。
追伸:全く関係性のない併行世界であることへの潔さと、だからこそ観客がその関連性を勝手に結びつけようと意識してしまうという心理を利用している点も大胆である。
まだまだ映画はいろんなことができる。文学的感性の高い人がカメラを使...
まだまだ映画はいろんなことができる。文学的感性の高い人がカメラを使って、音響を駆使してフィクションを構成していって、それがまた怪奇的でもあり、幻想的でもあり、いろんなワクワク感を感じられる一品だった。
それにしても藝大とはいえ、いろんな俳優を使うこともできたろうに、あえて選ばれた「俳優」がまた奇怪でいい。初期大林宣彦の棒読み方法論に似ている。
体温を感じない
母娘二人で暮らす母子家庭の家と、工場で働く女性とフェリーで出会った記憶喪失の女性の居候が暮らす家という異空間の同じ家を題材にした話。
設定こそ面白いけど、何てこともない二つの世界の取って付けた様な日常を交互にみせるだけで、大した繋がりが産まれる訳でもないし、特にこの家に纏わる何かがある訳でもなく、ドラマそのものがつまらない。
演者の演技力も残念だし、自分には面白さがわからなかった。
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