「シーシェパード的動物愛護」ピーターラビット とみいじょんさんの映画レビュー(感想・評価)
シーシェパード的動物愛護
こりゃ、世界から戦争がなくならないわけだ。
『クレヨンしんちゃん』はダメで、なんでこの映画なら良いのだろう?
かわいいならいいって?
ビアが、ピーターラビットたちの理解者として登場するが、ほとんどシーシェパードの発想と同じ。
「ここはピーター達の土地なんです」と、お隣のマクレガー老人を諭すけれど…。
マクレガー老人が丹精込めて作った作物を、ピーター達が荒らすのは許容しろと言っておいて、自分の作品・絵を傷つけられると怒り出す。
なんじゃ、それは。
ピーター達が、マクレガー老人の農作物を荒らす理由を、ビアは何だと思っているのだろう?
生きるために仕方がない?実は違う。まあ、ピーター達の言葉をビアは理解できないから、本当の理由は知らないのは仕方がないとする。けれど「餌をとりにくるのだ」と理解しているのならば、自分の庭に、花などでなく、餌になるようなものを植えて、危険を回避するという努力でもしているのならまだしも、していない。そして一方的にマクレガーさんを非難する。「かわいいものは保護をしろ」と。
もう一度言う。なんじゃそりゃ。自己中心的な動物愛護。
そして、ピーターとマクレガー老人・若いマクレガーとの闘い。
のっけに、マクレガー老人の死を喜ぶ場面から始まる。百歩譲って、ピーターにとっては親の仇だから仕方がないとしても、子どもも見る映画なので、気持ちの良い始まりではない。
そして、それに続く、お互いを排除するための仕掛け。本当にこんなことをやったら死人が出るレベル。
昔?今も?カトゥーンではよくあるレベルの攻防戦だけれども、”実写”となると、笑えなくなる。
いや、『トムとジェリー』になぞらえているレビューも多数あるけれど、トムとジェリーはお互いが死ぬレベルの事故に陥りそうなときは、相手を助けようとしなかったっけ?死んだと勘違いした時は、お互い泣かなかったっけ?
やっぱり違うよ。
ここまでやらなければいけないUSA。そりゃトランプが大統領になるし、国内でも銃撃戦がなくならないわけだ。
人間と動物の攻防。
原作も実は、ピーターのお父さんがパイにされちゃったりとか、えげつない部分はある。
ピーターラビットが初めて製作されたビクトリア朝の頃。100年以上前。イギリスでは産業革命が起きていた。とはいえ、物の流通は今と同じなのだろうか?食卓に並ぶメニューは今と同じなのだろうか?今では、特に日本では朝昼夕食ともに、何かしらのたんぱく質が並ぶ。この頃は?今のように、農村地帯で牛肉・豚肉・鶏肉が売っていた?今では、プラスアルファとしての高級食材ジビエ(ウサギ)料理だろうが、この頃は自給自足の営みの中でのたんぱく質の一つ。『ウィンターズ・ボーン』で、経済的困窮に陥って肉を買えない兄弟が、飢えないために森でリスを捕まえて食べるのと同じようなもの。資産である家畜をつぶさずにたんぱく質が取れるご褒美的なジビエ。しかも、生きていくために育てている作物を荒らす害獣。かつ、野ネズミ・ドブネズミとなれば、ペスト菌等も心配だ。「かわいい」なんて言っていられないレベル。
つまり、言いたいのは、原作では、ピーターは冒険心あふれるいたずらっ子ではある(作者が子どもの時にやりたかったこと)が、基本どちらも生活をかけた闘いなのだ。
原作者は、幼少期は都会で育ち、後にはナショナルトラスト運動もしていたけれど、農園経営もしていて、どちらかというとマクレガーの立場に近い。
そんな背景も無視して、”気に入らないから排除してしまえ”の物語にしてしまうなんて。
こんな映画を子どもたちに見せておいて、「最近の子どもは命の感覚が…」って言われてもね。
死に至るいじめのやり方教えているのは、メディアであり、何をどう見るかチョイスしている大人だよ。
確かにCGは素晴らしい。
若いマクレガーの性格・行動にはついていけないが、グリーンソン氏の表情を見ていると応援したくなってくる。あの人物をそんなふうに演じられるところが凄い。
その努力を他の映画に注ぎ込んでほしかった。
久しぶりに、マイナス評価をつけたい映画。
(2018東京国際映画祭にて鑑賞)