劇場公開日 2020年8月22日

「シリアから戦争はなくならない」シリアにて 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)

2.0シリアから戦争はなくならない

2020年8月25日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 イスラム教徒はタバコを吸わないし酒も飲まない。少なくとも知り合いのイスラム教徒はそうだった。本作品はシリアの庶民の一日を描いているが、おじいさんはチェーンスモーカーで家族の誰もお祈りをしないことから、この家族はイスラム教徒ではなさそうである。
 爆撃を受けたアパートに他の階から逃げてきた親子が一緒に住んでいる。その母親が「神様」という言葉を口にすることから、あるいはキリスト教徒なのかもしれない。そんなことはどうでもいいというなかれ。立場と状況を把握しないことには作品全体が把握できないのだ。
 家族が置かれた状況は微視的にはすぐに理解できる。戦場のど真ん中に住んでいて、タイトルが「シリアにて」だからシリアのどこかの市街のアパートであることは間違いない。母親と娘二人と息子一人、それに母親の父親、家政婦、それに遊びに来ていて帰れなくなった娘の彼氏、上の階から避難してきた夫婦と赤ん坊。
 いないのは普段はとても頼りになる夫で、仕方がないから夫の代わりに妻が気を張って家族を守ろうとしている。外は戦場で、どこから銃弾や砲弾が飛んでくるともしれない。人心は乱れていて、夫と夫の仲間以外は誰も信用できない。家政婦が目撃した光景についてどうするのか、押し入ろうとする悪人たちにどうやって対処するか。次々に究極の選択を迫られる。ほとんどの住民が逃げた街で、アパートにこもることを選択した家族にとって、戦争が終わることだけがただひとつの願いだ。女と子供と年寄りの家族。あまりにも無力である。

 家族の置かれた状況は絶望的で、平和な現在の日本から見れば本当に気の毒なのだが、どういうわけかこの家族に少しも感情移入ができない。どうしてなのかなと考えつつの鑑賞だったが、途中でその理由に気づいた。この家族は母親による専制的な共同体なのだ。戦時中のミニ国家なのである。他人を支配しようとする精神性は戦争へ向かう精神性である。
 独裁者たる母親の判断は、街から逃げ出さないでアパートにこもることを選択したことも含めて、必ずしも正しいとは限らない。加えて、長く続く武力紛争の状況下で子供を作ることも理解できない。戦時下で様々なものが不足する中でタバコを吸い続けることも意味不明だ。ただ戦争が早く終わることだけを願っているだけのこの家族の望む将来の姿が見えてこない。

 シリアの悲惨な状況は理解できたが、主役の家族に共感できないから、どうしても醒めた思いで観てしまうことになる。家族のその後の運命を案じることもない。この映画の精神性がシリアのパラダイムであるなら、この地から戦争を無くすことは非常に困難であると言わざるを得ない。

耶馬英彦