ナグラチームが解散する日のレビュー・感想・評価
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主人公にとって俳優でいることは何だったのだろうか
クリエイターとそうでない人を分けるのは創造物を形にするか否かだと思います。
何かを作りたいと想像している人は多いけど、それを実際に形に出来る人はごく限られていて、自分の創造物を形にする熱意や続ける忍耐力、それこそがクリエイターと一般人の違いだと思います。
ましてや映画という媒体で形にしたこと、それを達成したことは並大抵の努力では無く想像をはるかに超える苦労があったと思います。企画書、脚本、資金、俳優、機材、スタッフ、撮影、編集、音響、宣伝・・・。映画を一本撮った、それだけで僕は本当に感動しました。
しかし、「映画を撮った」という行為に対しての賞賛は「映画を見た」感想とは別でそれを書かないことは、この作品に携わった方にも大変失礼なことと思います。
正直、僕がこの映画を見て感じたことは納得がいかなかったという気持ちです。
俳優の方の演技も良かった、画も面白い所がたくさんあった、でもどうしても納得がいきませんでした。
どうして納得行かなかったのか考えてみると、創作に対する向き合い方について映画を一本撮りあげた作り手側の熱意と劇中の主人公の姿勢が相反しすぎていて、主人公にどうしても感情移入出来なかった所です。
主人公の劇中での流れを見ると、
始まり:別れた恋人のヒロインに会う為、ナグラさんの見送りに来ない
→ナグラさん無き後の会合もおざなり
→ヒロインが来たらオーディションをすっぽかす
→自身主演の撮影をすっぽかす
→ヒロインとの結婚を夢見てナグラチームを解散
→就職活動(ただ、どうも本気で働きたいようでは無いように思える)
→就職が決まるがヒロインに振られてしまう
→また、創作をやりたくなって仕事を辞める。
→前の仲間に声をかける。
→もう一度、創作を始める(とそこへナグラさんが通りかかり声を掛ける)
主人公はヒロインのためにずっとやってきた創作を放り投げて就職、しかし、振られたらまた始める。
「何かを作る」ことが主人公にとっての逃げになっているように感じました。
また、創作を放り投げた後に仲間が何の怒りもなく集まって来て良いのだろうか、仕事も内定を貰った責任を放り投げてしまってよいのだろうか、と感じました。
最後に通りかかったナグラさんに声を掛けても、最初に見送りに来なかった時点でナグラさんへの気持ちはそこまで強くないだろうとも思いました。
あと僕はヒロインがどうしても好きになれませんでした。
ヒロインの劇中での流れを見ると、
始まり:抽象画をやっている。彼氏がいるようだ。
→なぜか主人公の周りに現れる。
・バイト先の漫画喫茶に現れる
・オーディションに突然現れる
・夜、浴衣でデートに来てくれる
→主人公と条件付の結婚を約束
→彼氏との婚約を受け入れる
→主人公を振り、海外へ引っ越す
僕はなぜヒロインが主人公に接触したのかどうしても分かりませんでした。女性は男性から「この娘、俺のこと好きなんじゃないか?」と思われたら厄介だと分かっているから男性に勘違いさせる行為はしないと思うのです。また、劇中でも語られていたように年収でしか人を見ていない嫌な人間だと思いました。
この映画ではヒロインがなぜ主人公と一緒に居たいと思ったのか伝わりにくかったように思います。ヒロインの行動に理由が無く、主人公をときめかせる装置として人間性のない機械のように感じました。
例えばヒロインは彼氏と上手くいっておらず、本気では無いけれど自分の別の可能性を夢見るために主人公と接触した、という描写があればヒロインがとても人間味に溢れて魅力的になるとでは思いました。
又、ナグラさんの子供の登場が遅かったのではないかとも感じました。後半で人物が登場すると、登場人物を理解する方に頭が行ってしまって、せっかくのサスペンスの緊迫感が失われてしまうと思いました。
全体的に作りたい場面や画が先にあってそれを繋げて物語を作った為に登場人物の人間性が失われてしまったのかな、と感じました。
例えばナグラさんを主人公たちの創作の象徴として画面に出さない。主人公は自分の俳優としての生き方に疑問を持ち始めている(周りの活躍、オーディションの落選etc)、
そんなときナグラさん(主人公たちの創作の象徴)がドイツに行ってしまう(消えてしまう)。創作を続けていく気持ちが揺らぐ主人公。ヒロインは海外赴任が決まった彼氏と喧嘩して仲が険悪に。このまま別れるか、自分の夢もモノになるか疑心暗鬼になり始めている。
お互いに将来への気持ちが揺らぐ中で主人公とヒロインが偶然再会する。
自分の別の可能性を求め始める二人。年収600万を条件に主人公との結婚を約束するヒロイン。ヤクザに脅されて一緒に創作を続けることが困難になった友達も居り、主人公はナグラチームを解散させて就職活動を開始、何とか激務の工務店に職を得る。借金をして婚約指輪を購入する主人公。
しかし、ヒロインは自分の夢のことも考えて一緒になろうといってくれる今の彼との結婚を受け入れる。
ヒロインに振られる主人公。指輪の借金返済のため仕事を辞めるに辞められない。
激務と罵倒の中で磨り減る主人公。自分は何をしたかったんだろう、何をすべきなんだろうと葛藤する。そんな中、創作とは無縁と思っていた同僚が仕事を続けながら週に1回あるかないかの休みの中で創作活動をしていることを知る。
婚約指輪を売りお金を作る主人公。そのお金をヤクザへの禊として渡し、友人たちを集め再び創作への戦いに戻っていく。
というようなストーリーにしたら主人公にとって創作が逃げではなく、自分の戦いを見つめ直す物語になるのではないか、思いました。
勝手な長文、大変失礼しました。
でも、僕はヒロインの彼氏が焼きそばソースを買いに行く場面や誘拐犯とナグラさんの子供が遊ぶ場面に凄く感動しました。人の気遣いや、水の光の綺麗な画の中に居る人がまるで夢を見ているようで、不思議な心地よさを感じました。
映画を見せるということは観客からお金だけではなく時間も奪っている。鑑賞時間分殺している。その死なせた時間をかけがえのないものにするのか、時間の無駄にしてしまうのか、そこを問われているという話を聞いたことがあります。
一本映画を作ったということは、作れるノウハウを手に入れたということだと思います。「映画を撮った」という行為はもう既に100点取ったのだから、次は観客が「映画を見た」感想が100点の映画を絶対撮れると思うのです。次も見たいです。
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