ラッキー(2017)のレビュー・感想・評価
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仏教的な悟りへ
人間もここまで生きれば、おのおの色々なものを背負っているわけだけど、最終的に行き着く先は同じ、「死」です。
誰も避けることができないそれを、どう受け入れていくかというのは、本当に自分のこころの持ちようでしかないわけで、それはおおいに、自分を囲む人々に寄るところがある。
しかしそれが亀である人もいる。
デヴィッド・リンチの怪演が、正直一番の見ものであると思うけども、この「死」をいよいよ目の前に迎えた老人の話が、こんなふうにカラッと軽快に観られるとは、ファーゴの旦那さん、なかなかやりますね。
2025年2月1日追記
瞑想を始めたあとに再度みなおしたら、デヴィッド・リンチの「執着を手放した」のセリフが、瞑想や仏教の本質的なことだなと気づきました。
デヴィッド・リンチが瞑想やってたことに関係があるのか、はわかりませんが。
ちょっと歳をとってまた観てみたら、前回とはまた違うことを色々感じ…数年ごとにみなおすのも面白い作品と思います。
生への渇望とウンガッツの同居
とてもいい映画だった。
アメリカの片田舎に住む90歳の爺さんは
結婚せず、子供もおらず
朝起きて、タバコを吸い、喫茶店に行き、
クロスワードパズルをしてミルクを買い、
バーに行く。そんな代わり映えしない
日々を過ごす。
側から見れば、今更
生に執着する理由もなかろうと
老成していて当然と決めつける。
が、爺さんは生きることを何一つ
諦めていない。
「リアリズム」という
言葉の意味を突き詰める知的好奇心を持ち、
気に食わないことがあれば
素手で殴り合いをしようとする。
だからこそであるが、立ちくらみで
倒れたことに心底、ショックを受ける。
「死期が近づいている」と。
そんな爺さんが言うからこそ
考えさせられる「死んだら何も残らんのさ」
という死生観。
前のめりで死ぬ、ということは
決して何かを成しているかどうかに関わらない。
それは死への恐怖に対峙し続ける
気概を持っているかどうかなのだ。
若いうちは生命力に溢れ、やるべきことが
山積しているから、死への恐怖なんて
時々、顔を覗かせるだけなのだ。
直視せずに済む。
でもこの爺さんはきっと死ぬまで
ウンガッツ(無)からは目をそらさないのだ。
あとね、タバコが効果的に使われている
映画ってだいたい外さないんだよな。
なんでだろう。
そうそう。追記ばっかだけど
この映画のアジア版は
「胡同(フートン)の理髪師」
という映画だと感じました。
この映画が好きならオススメ。
お爺ちゃん萌え間違いなし。
老い
老いてきた父親と主人公を重ねて観ている自分がいた。毎日同じ事を同じ時間に決められた事のように儀式のようにする様子、偏屈な所など似ているからだ。だから切なくもなる。きっとまた10年後観れば感想と共感度は変わってくるだろうし、今は気付かない部分も見えてくるだろう。そう、また時間を空けて観てみたい映画だ。
寝てしまった
シネウインドでみたら、代表の斎藤さんが「俺がこんなに働いているのにラッキーは仕事してない」とおっしゃっていて、見たら本当に仕事しなかった。しかしかなりな老人なので、あれで仕事をするのも酷だと思った。うちの祖母は99歳で老人施設に入っていて痴呆で記憶が曖昧で、食事の時に車椅子に乗る以外はほぼ寝たきりだ。ラッキーはそこまでではなく、日々ヨガで体を動かしているので、寝たきりにはなりそうになかった。しかしいつ病気や怪我で動かなくなるか分からない。俺ももし長生きして体を動かすのがやっとになったらどうしようと悩ましい気持ちになった。
淡々としているのでちょっと寝てしまった。
Harry Dean StantonのVolver volver
ツインピークスの不気味なおじさんのイメージが強かったので、素敵な声で歌うMariachiを聴いて感動してしまいました。
枯山水庭園を観るような
脚本がエンドロールにも公式サイト、チラシ、パンフレット、各種サイトに言及がないのは何故だろう不思議。
この作品は脚本第1、第2がカメラワークだと感じた。枯れた風景に達観した老人。健康元気なミドル層。メキシコまで近くのラテンコミュニティ。ラッキーの病院診察。全てが多弁ではなくピンポイントで語られてる。
何度かのラッキーの台詞「孤独と一人暮らしは違う」が映画全体を語り尽くしてる、と思う。funeralではなくterminalなこの世との別れ。あぁかくぞありたし。
また朝の行き着けカフェで、土地外部の客の元海兵隊員と退役海軍(ラッキー)の沖縄戦の従軍戦闘経験を語り合うシーン。短いながら、戦争の民間人を含めた生と死の境を巡る淡々としたエピソードにズシリときた。スタントンは実際に沖縄陸戦の経験がある
D・リンチがラッキーが日柄訪れるバーの常連仲間で主演級で出演してるが、余り印象に残らなかったな。
スタントン絡みの映画ではヴェンダースの『パリ、テキサス』が一番に彷彿とさせる。
100年のサボテンと100歳の亀。90才のジジイ。
感銘のラストシーンだった。
哲学的
ものすごい頑固爺が主人公なのかと勝手に思いながら鑑賞したが、
独り身ではあるものの、毎日同じレストランに行ったりしているし、
バーで飲んで、友人もいて、それなりに社会と繋がりながら生きていて、孤独という感じはしなかった。
朝起きて体操、牛乳飲んでタバコ吸って、クロスワードパズルを解き、テレビのクイズ番組を見たりバーで飲んだりしながら過ぎていく毎日。
そこにあからさまに死が忍び寄る、というのでもなく、
漠然とした何か(不安なのか恐れなのか悲しみなのか後悔なのか)が時々しゅっと心を過ぎる感じ。
うまく言えないけれど、20年後ぐらいにこの映画を観たら感想もまた変わって来るのかな。20年後はまだ生きてると当然のように思ってる自分にはまだ分からない、ということか。
ところで沖縄の少女の「死を前にして微笑んでいた」という話は、
恐怖で顔をひきつらせていただけじゃないのかなと思ったり。
タイトルなし(ネタバレ)
片田舎の小さな町で暮らす90歳の独居老人ラッキーは極端な現実主義者でありながらお茶目な海軍の退役軍人。寝起きで煙草に火をつけ、体操後にカフェオレを飲み、近所のダイナーでクロスワードパズルに興じ、帰宅してバラエティ番組を観ながら一服、夜は近所のバーでブラッディ・マリーを傾けるという単調な1日を毎日繰り返しているが、ある朝自宅で昏倒したことをきっかけに自分の生き様を見つめ直す。
大したことは何にも起こらずラッキーと近所の人々とのふれあいを淡々と見つめるだけの90分弱ですが、これが凄まじくチャーミング。長年飼っていた亀に逃げられて途方にくれるデイヴィッド・リンチ演じるハロルドを筆頭に善人しかいない町で人々が語る何気ない言葉のどれもが暖かく人間味に溢れていて胸がジンとします。とんでもなく長いキャリアとデタラメにも程があるフィルモグラフィだけでもその温厚な人柄が偲ばれる名バイプレイヤー、ハリー・ディーン・スタントンの佇まい、表情、セリフ、何もかもがかっこいい堂々たる最後の主演作、さめざめと泣きました。合掌。
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