「孤独と一人暮らしは意味が違う」ラッキー(2017) 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)
孤独と一人暮らしは意味が違う
主人公はラッキーというあだ名の老人。身寄りがなく頑固で偏屈。牛乳を飲むが喫煙もする。周囲の親切や節介に対して冷淡だが、ほんとうは死が怖くて仕方がない。
憑かれたように砂漠を歩く男はパリテキサスを彷彿とさせたが、この映画は彼が立ち寄るダイナーかバーでの会話に軸を置いて、どこへも行かない。
あだ名の理由を、海兵隊になったものの調理兵に配備されたことで楽なシゴトだからラッキーと呼ばれるようになった、とラッキーは言う。
じっさいのハリーディーンスタントンも料理人として戦車揚陸艦に乗り込み沖縄戦に動員された。
自らもバイプレイヤーでこの映画で監督デビューしたJohn Carroll Lynchは、本作をスタントンへのラブレターだと明言した。
ハリーディーンスタントントリビュート映画だが、存命中だったから本人に演じてもらった、という感じ。
スタントンは100本以上の映画に出演したが常に脇役だった。例外は二つ、パリテキサス(1984)と本作ラッキー(2017)では主役だった。
ダイナーにいるとき同輩の退役軍人と出会った。激戦のタラワから沖縄へ回されたというアンラッキーな老兵だった。そこでおそらくスタントン自身が経験した沖縄での話をトムスケリット演じるその老兵が語った。
『米軍を怖れて隠れていた島民をときどき思い出すんだ。日本人たちは俺たちがレイプして皆殺しにすると信じて疑わなかった。おれたちが浜辺を掌握すると、生き延びた島民たちは子供を崖から突き落として自らも飛び降りた。殺されるより自死を選んだ』
じぶんは保守だから左翼的見解が嫌いだが、ただし沖縄戦で住人たちに米軍に殺されると流布し、信じ込ませた在郷軍人や日本軍には罪があると思う。まっさきに女子供を投降させるべきだった。軍国主義下だから判断しかねた、とはいえ悲惨すぎる。軍と軍国主義が集団自決を惹起させたと言っていい。
でももしじぶんがそこにいたら同じ事をしたかもしれない。
『沖縄においても戦陣訓の「生きて虜囚の辱を受けず」という一節や長年にわたる皇民化教育の影響の他に、日本本土においても鬼畜米英の宣伝の結果として、「米軍が上陸してきたら男は殺され、女は○姦される」といった噂話が流布したりもしていたが、沖縄ではさらに、住民らがしばしば日本軍兵士らによって「捕虜になれば男は戦車でひき殺され、女は暴行され殺される」といったことを言い聞かせられ、米軍に降伏しても命が助からず、陵虐の果てに殺されるだけだと考えたこと等により、自決に追い込まれたという。』
(ウィキペディア「沖縄戦における集団自決」より)
ライクーダーのアルバムGet Rhythm(1987)にAcross the Borderlineという曲があってスペイン語が交じるパートをハリーディーンスタントンが歌っている。その後、Across the Borderlineライクーダーバージョンは移民の出自を持つギャビーモレノが持ち歌のように歌っている。
映画の白眉は近所の男の子の10歳の誕生祝いに招かれたラッキーが雰囲気に誘われてVolverVolverを歌うところ。結論や劇的な事件を持たない映画だが、死期をさとったラッキーはあの頃に戻りたいという歌詞を持つVolverVolverを感情を込めて歌う。それで充分だった。
カリフォルニアは人口の4割がラティーノで人口の3割がスペイン語(メキシコの公用語)を話す。個人的にライクーダーのアルバムをよく聴いたのでAcross the Borderlineのハリーディーンスタントンを思い出したのだった。境界線を越えて、約束の土地へ行くんだと歌っているかのようだった。
ジャームッシュのパターソンみたいな実存主義の映画だがパターソンほど洗練されてはいない。しかし現実の人間であるハリーディーンスタントンと映画がシンクロしていることは他の映画には真似ができないことだった。ハリーディーンスタントンは2017年9月15日に亡くなり二週間後に映画が公開されたそうだ。
「孤独と一人暮らしは意味が違う」ってセリフいいね。俺も使わせてもらおっと。
imdb7.3、RottenTomatoes97%と82%。