スリー・ビルボードのレビュー・感想・評価
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負の連鎖とか赦しとかじゃなくって、その先にあるモノ。おっさんは本作にそれを観た!!
完璧。
完璧だ。
今年のアカデミーは、またかっこつけたせいで、この大傑作の監督、マーティン・マクドナーを候補から外すというイカレた結果。
まったく何考えてんだか。
その演出力は、前作「セブン・サイコパス」の収拾がつかなくなったタランティーノのバッタもののイメージから一転。本作を、タランティーノ以上に人が描け、デヴィッド・リンチ以上にわかりやすい映画に仕上げた。
それは、フォーマットが西部劇であり、田舎町での珍事、という「ツインピークス」を彷彿させることでも分かる。
うまい!!こりゃ映画オタクにはたまらない。
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「スリー・ビルボード」
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本作の登場人物は常に対比の関係を持っている。親子、夫婦、黒人。白人、小人、ホモ。イカレた元軍人。
すべて何らかの形で「異形の存在」である。
そう、それこそが、アメリカ。
「そもそも、お前ら自身が異形の存在じゃねえか、なにを国外で、国内で、街中で、身内でバカな争いをしてんだよ(笑←これ重要)」
これこそが、マクドナー監督のメッセージだろう。
それを皮肉たっぷりに、でも愛すべき「西部劇」のフォーマットに乗せて、「愛すべきキャラクター」として登場人物を描いているのだ。
怒るものは怒る。
どうせお前たちはそうなんだろ?だったら、いっそいくところまで行っちゃえよ。
本作は主人公二人の成長のストーリーでは決してない。彼らは行きつくところまで行き、足を止めたのに、最後の最期でも間違った行動を起こす。だが、ラスト、その道中の一言が本作の、最も重要なセリフなのだ。
「あんまり」
なんだか気乗りがしない。でもまあ、みちみち考えてみようか。
このすこし今までの執着と諦めの分岐点。
人は簡単に転ぶ。また人が転ぶのは、これまでそうと思っていなかった人物の言葉に寄ったりする。
身勝手に自殺した(これはあまりにずるい行為だし、実際そのようにコミカルに描かれていた)署長の手紙に、大好きな曲の影響もあり、簡単に転ぶディクソン。ちょうとその裏では、最も怒りがMAXにおよび明らかに常軌を逸した行為となったミルドレッド。
行き過ぎた感情の爆発による警察署の放火のなかで、改心している奴がいるというブラックな笑いの構図。
あんなに差別的なディクソンの母親もとてもいい。ディクソンがああ育ったのはこの女のせいだが、ディクソンの支えになっているのもこの女なのだ。ソファーで眠る母親に赤い照明は、リンチの映画のよう。だが、その感情はリンチとは違い、とても穏やかだ。
誰もが、自分勝手、だが誰もが愛され、大事にしている人がいる。でもつまんないことで転び、つまんないことに改心させられる。
これって実はオレたち、外から見たアメリカのことでもあるんだよね。
本作は常に、怒りと笑いが寄り添う。それすなわち、執着と諦めの関係と密接に関わっており、それが本作の味わいとなっている。
声高に負の連鎖とか、赦しとか、じゃなくって、その先にあるものがこの映画の在り方なんだと思う。
追記
映画で使われる楽曲が、字幕なしになったのは本当にイタイ。何とかしてほしい。最近の映画は本当に楽曲はセリフなのだ。
追記2
本作を観ると、「デトロイト」の今年のアカデミー完全無視の事情もよく分かる。やっぱり「デトロイト」が古臭いのは、何も手振れの撮影方法だけじゃないってのが分かるというもの。
追記3
署長、もと夫、広告屋。田舎の野郎はみんな若いキレイな奥さんを手にしているなあ。
と最後にくだらないことを言ってみる。
3つの看板広告で、ここまで広げられる発想力が凄い! 一方で2年経っても解けない謎も…
本作は、(2018年の)第90回アカデミー賞で作品賞を「シェイプ・オブ・ウォーター」と競っていた名作で、作品賞、脚本賞など7つノミネートされ、結果は(「ファーゴ」に続き)フランシス・マクドーマンドが主演女優賞、(遅咲きの)サム・ロックウェルが助演男優賞を受賞しました。
本作の面白さは、何と言っても脚本だと思います。たったの3つの看板を使って、よくここまで緻密で深い話に持っていくことができたと感心します。会話も(良い意味で)高度で、例えば聖職者らが注意しても、辛辣でロジカルな皮肉で返していくといった攻防も非常に痛快です。
何度も繰り返して見たい「映画史に残る名作」であることは間違いないでしょう。
(ちなみに、私は作品賞を受賞した「シェイプ・オブ・ウォーター」よりも本作の方が好きでした)
ただ、脚本の進行が高度であるからこそ、こちらも注意深く見てしまうからか、どうしても私には解らない大きな2つの「疑問」が存在しています。
そこが少しだけ引っかかるため、評価は4.5としています。
【以下、ネタバレありで書きます】
1つ目の疑問は、悪徳警官を演じるサム・ロックウェルが広告マンを2階の窓から投げ飛ばし、ボコボコにした件ですが、いくらミズーリ州の架空の田舎町と言っても、さすがにこれは「訴訟大国アメリカ」なのでアウトでは? 時代設定なのかと思ってみても、携帯電話は登場しますし、新署長の会話から2000年代ではあるので、訴訟は日常的な時代です。しかも他のシーンでは法律案件の会話も複数あるので、ここは論理矛盾が出ないような「何か」が欲しかった気がしています。
2つ目の疑問は、警察署放火の件ですが、「人がいるかの確認」のために電話をしていますが、これは放火の決定的な証拠になってしまうのでは? そもそもDNA鑑定が当たり前にある時代で、不自然な電話の通話記録の確認など当然のはずで、しかも手袋をせずに電話をしているので指紋の証拠としても厳しい気がします。
この2点は試写の段階から「解けない謎」でしたが、やはり現時点でも変わらない結果でした。
実は、本作のマーティン・マクドナー監督は、これだけの名作なのに、なぜかアカデミー賞で監督賞にノミネートされなかったのですが、私には理解不能で、せいぜいこの2つの「疑問」くらいしか思い浮かびません。
本作で好きになったマーティン・マクドナー監督の次回作もオリジナルでサーチライト・ピクチャーズ作品のようなので、またアカデミー賞級の作品になると思われ今から期待してしまいます。
脚本の巧みさ、役者の個性を活かした役割、作品の完成度
どれをとっても超一流。
娘をレイプして焼き殺された母親の怒りが3枚の広告看板・・・
ビルボードにしたことから、巻き起こる小さな町の騒動。
重苦しいテーマなのに、個性的な登場人物それぞれの超一流の演技が
化学反応を起こし忘れられぬ名作として心に残る。
人物造形・・・これが素晴らしい。
主役のフランシス・マクドーマンド、
彼女からボードの一枚に、
「なぜ?ウィロビー署長」と名指しされる
警察署長役のウディ・ハレルソン。
ミルドレッド(マクドーマンド)と対立する黒人差別主義者
の警官・ディクソン巡査(サム・ロックウェル)
広告を請け負う代理店のレッド。
彼はディクソン巡査から暴行を受けて大怪我をする。
小男のピーター・ディンクレイジ。
ミルドレッドの別れた夫。
それぞれ適所適材で役割を果たす。
《事件》
7ヶ月前、ミルドレッドの19歳の娘がレイプされ焼殺されてた。
なんの進展もない捜査に業を煮やしたミルドレッドは犯行現場の町外れに
3枚のビルボードを立てることを思いつく。
①枚目は「レイプされて死亡」
②枚目は「逮捕はまだ」
③枚目が、「なぜ?ウイロビー署長」
この看板は目立った。
土地のテレビ局が取材に来る。
このビルボードは波紋を呼ぶのだ。
一番面白くないと思ったのはディクソン巡査。
ミルドレッドの勤務先の店長を逮捕拘束する・・・に始まり、
広告代理店のレッドは店の窓をディクソンに割られ、
レッドは窓から投げ飛ばされ、靴で顔を踏ん付けられる。
更に激昂したミルドレッドは警察署を襲撃。
火炎瓶で放火するのだった。
そこに警察署を首になったディクソンが居たのだ。
膵臓がんで余命わずかな署長ウィロビーは拳銃自殺を図り
死んでしまう。
ディクソンはウイロビーの遺書を読んでいたのだ。
あれよ、あれよの展開!!
短気で抑制の効かないミルドレッド。
何も捜査してくれないように見えるウイロビー署長が
実は感慨深い人物。
彼の残す3通の遺書は実に筋が通っていて感動する。
レイシストのディクソン巡査のレッドへの暴行を目撃するのが、
次期警察署長として赴任した黒人署長。
実に人を喰ったストーリー展開で、こじれにこじれるのだ。
今になって分かる後付けの情報。
監督・脚本はマーティン・マクドナー。
劇作家で脚本家で映画監督。
2022年公開「イニシェリン島の精霊」の監督で脚本も書いている。
この映画は実に面白くて非常に好きな映画です。
友達だった2人の男の《凡人には理解し難い分断》が際立った。
逆に「スリー・ビルボード」では、全く分かり合えなかった
ミルドレッドとディクソン巡査が共犯者のように旅立つラスト。
ちょっとした雲行きで《同志になる不思議》も人間関係にはある事を
示唆して終わる。
怒りをたぎらせるミルドレッドだけれど、
広告料をカンパしてくれる匿名のメキシコ人や、
ミルドレッドの放火を庇うてくれ、
貼り直す看板の脚立をそっと支える小男ディンクレイジ、
何も責めずに母を見守る息子のルーカス・ヘッジス、
そして何より、遺書に小切手を忍ばせて事件の解決を望んでる
ウィロビー元署長。
ミルドレッドは優しい善意に守られている。
アイダホ行きの車中には、心地よい風が吹いている気がした。
エンディングは人それぞれですかね...
音楽も含め、のどかな雰囲気の街で「突き止めてやる」と挑発的な看板を掲げた母。威勢のいい風貌で、これから戦うような気合が入ってていいです。
事を穏便にしようと周りが気を遣うのですが、悪いことしてないので聞く耳を持つ余裕なんてありません。母にとっちゃ世間体より死んだ娘の事件を解決したいと思うのは当然でしょう。
しかし怒ってる相手でもある警察署長が癌だったり、(自分も聴きますが)ニルヴァーナが好きでマリファナやってる娘だったり、事件は娘とケンカした後に起きた...どれも悩ます問題で心中おだやかになれるわけありません。
ただこの映画は主人公だけでなく、他の登場人物にも重み・問題があるため「しながら観」しているわけにはいかない魅力があります。
「え~、これで終わりなの?」と感じましたが、考えさせるラストの運転でした。
(二人の気持ちは)
・そう言われても可能性はゼロじゃない気がするから行く
・ここまでやってきたんだから、流れついでに行く
・ひょっとしてもう警察は関わりたくないのでは? じゃ自分達で確認する
・犯罪であることに変わりはない、違う人でも許せないから行く!
・行けば少しは気持ちが落ち着くかも
等々...それはもう色々な気持ちが入り混じってる。
スキのない素晴らしい映画でしたが、個人的には白黒ハッキリさせてほしい気持ちが多めに残ってしまいました。だって悪いことなんだから世の中のためにはその方がいいじゃん。上手くいかないもんなのかなと。。。
下衆の勘繰りかもしれないが。
アカデミー賞の部門賞を幾つも取った作品で、サム・ロックウェル、ウッディ・ハレルソンも出ているのだが、僕は余り楽しめなかった。一番の理由は主人公の生き方にかけらも共感出来ないこと。勿論娘さんを殺されたことには大いに同情するが、余りにも生き方が自分中心。なんでも自分以外の何か(他人とか、政治とか、世の中とか)のせいにする姿勢には共感できない。そもそもこの作品はやたら社会問題(人種問題、移民問題、銃のあり方、LGBTなど)を取り上げているが、製作陣がそうすることによって賞を取りに行ったのではないかと邪推してしまう。ほぼ同じ製作費で監督も同じ、出演者もやたら被っているセブン・サイコパスは商業的には全く成功しなかったが、僕はこちらの方が好き。サム・ロックウェル、ウッディ・ハレルソンの2人は今回もかっこいい。
魂が震える
9ヶ月前に娘を亡くしたミルドレッド
事件の進展がないことに対し、警察の怠慢を訴える看板を立てる
街の見る目は冷たく、警察に非はない
署長は人生の最後を最高の思い出にするために自殺する
自らを名指しで批判する看板の設置料を支払い、それぞれの主人公に手紙を送る
警察をクビになったディクソンは酒に浸るうちに犯人と思しき人物の話を聞く
この件の犯人ではなかったものの(軍の関係者と匂わせられているのでもみ消された可能性も)ディクソンとミルドレッドはこの男の元へ向かう
あまり気が向かないが、道々考えるという
ヴィロビー、ミルドレッド、ディクソンがメインで話は進む
3人共に行動に対して躊躇いがない
理不尽な犯罪や世間の偏見、病など問題を抱える中それぞれに対して行動する
上手くいかないことの方が多く決してスカッとする話ではない
世の中を呪い生きる2人か、希望をもって死んだ1人か
3つの誇大広告で終わらない!
フィクションの映画ですが、実際に起きた事件のようにリアリティがあります。
全体を通して、皮肉と悪いジョークが味付けではなくメインディッシュのようになっていて笑えました😂
娘を殺されてしまった母親が主人公ですが、街の関わりがある人々も人物像がしっかり描写されています。
すべての登場人物がとても重要な役割を果たしていて、母親の味方をしてくれる人に平等に感情移入してしまいました…
署長が自宅で亡くなってしまうシーン、病院のオレンジジュースのシーンがなんとも言えない悲しい気持ちになります😢
真犯人や犯人候補をのぞいたとして、本当に悪い人は登場しないので、私はあまり嫌な気持ちになりませんでした。
人は追い詰められたり、怒りでまえが見えなくても
誰かを助けてあげたい・誰かに支えてほしい
という本質的な優しさがあるので、支え合う事の大切さを実感した映画でした。
映画館で鑑賞後、終わり方がスッキリしませんでしたが、2度目を家でみたあとは意外と気になりませんでした!
これほど重要なタイトルがあっただろうか
微妙なラストである。ラストを見るまでは、もしかしたらこの映画はクライムサスペンス映画史上の傑作の一つになるのではないかと予感したくらいだ。特に自殺した署長が2人に宛てた手紙は感動的だった。その手紙のおかげで、署長は良い人だったこと(広告料を払っていた点を含む)がわかる、また、警察をクビになったディクソンのその後の生き方が、この映画のその後の流れを変えるポイントとなって、演出的にも面白い。
俳優陣の名演技もさることながら、予想を遥かに超えた想定外の展開が素晴らしい。それが結局あの消化不良のラストになってしまった。普段は想定外のラスト(どんでん返しといっても)が大好きな私であるが、この映画に限っては好きになれなかった。
犯人と断定するのを避けたいのであれば、せめてあの男の皮膚の一部を鑑識に出して、その結果を待つディクソン元警官と主人公(被害者の母親)の会話のシーンで終わるとか。主人公がディクソンへ「あの男が犯人じゃなくても、あなたには感謝しているわ」で終わるとか。
もしかしたらあの男は他の女性へのレイプ自体もやってない可能性があるので、想像だけで犯人とみなして殺してはいけないだろう。さすがに映画の中では、アイダホ(あの男がいると考えられる所)に行く途中で予定を変更する可能性を示唆している点は良かったが。
しかもあのラストは殺しに行くと言うよりもピクニックに行くような感じだ。主人公が自分が警察署に火をつけたと告白した時、ディクソンが他に誰が考えられると言ったら、この映画で初めて主人公が笑った。しかもバックに流れるのは、爽やかなカントリーミュージックだった。いずれにしてもそれまでの流れとはかなりの違和感ありありのラストだった。それとも、あのカントリーミュージックの心地よさは、二人の怒りが既になくなっている証なのか、つまり奴を殺しには行かないということか?
<気になった点>
・焼死したのに犯人のDNAは残るのか。
・主人公が警察署を燃やすのはやり過ぎだ。これまで共感できていた主人公だったが、この辺から共感できなくなってしまった。また、娘に車をかさなかったことが間接的な原因でレイプされたことがわかった時も、共感できなくなってしまった。
・他の人のレビューで、新署長がDNAは一致しているのに一致していないと嘘をついているのではないかとの感想もあったが、もしそうであれば、ラストで二人が殺しに行く展開が非常に重みが出てくるので面白かったかもしれないが、嘘をついているとは思えなかった。確かに、奴が事件当時いた場所を機密情報なので教えてくれなかったが、それだけで犯人ではないと嘘をついている理由にはならないと思う。
・自殺した署長の手紙を、彼の奥さんが主人公に渡すが、奥さんはその時点でもあの看板が自殺の原因の1つだと思っているのは、主人公が気の毒だ。その手紙を渡す前に、奥さんは既に手紙を読んでしまっていて、「ごめんなさい、手紙を読んでしまったの。あの看板が自殺の原因じゃなかったのね。」と言って謝るようなシーンがあっても良かったのではないか。
<その他>
見終わったあとでキャストを調べたら、歳とってたので気づかなかったが、主人公は「ファーゴ」の主人公だったのですね。
<追記>
ラストは消化不良と言ってしまった手前、じゃあどんな結末になったったらいいのかと突っ込まれそうなので、以下のような続きを考えました。
ようやくアイダホの彼の住んでいる家を突き止め家に入る。そこには娘が所持していたアクセサリーがあり彼が本当の犯人であることが分かる(新署長は嘘ついていたことになる)。
ディクソンが奴に向かって一発撃ち瀕死の状態になる、そこで奴が「俺を殺しても娘は戻らない」と言う、そして主人公がトドメの一発を撃つ。
感動的な遺書を読むその後ろに火炎瓶ボンボン投げ込むシーンが、映画を...
感動的な遺書を読むその後ろに火炎瓶ボンボン投げ込むシーンが、映画を観終わった後も脳に響く。
【刑事になるのに求められるのは愛だ】
画面切り替わって
「くらえ!」ボワーー
そして看板屋と同じ病室に。
物語として、もうちょい先までみせて欲しいと思うけれど、署長の言葉で覚醒したサムロックウェルの盛り返しが非常に良かったのと、「アンタ以外に誰がやる」という台詞が、ラストにピタリだった。たぶん全員思ってるよね。
敵だと思っていても味方であることもある
怒りは怒りを来す
この言葉がまさにこの映画そのもの。
娘の死を境に悲しみと怒りに支配される感情。犯人を捕まえられない警察に対する苛立ちと怒り。
その行き着く先にどのような展開があるのか。最悪の展開すら頭をよぎる中で、いろんな結末を想像したけど、予想を大きく外しつつ、考えうる内で最も良いと思える終わりでした。
ディクソンへのミスリーディングが凄すぎて、最悪の展開を想像してました。見るの辛いなぁと思いつつ、展開が気になってみてた。途中はおいおいおいおい、という展開もあったけど、最終的には良い方向に収まりそうな雰囲気を漂わせて終わったので一安心。
犯人が確定、というと普通のサスペンスだけど、確定ではなく、犯人じゃない可能性の方が高い人間だけがわかるというだけ。でも、この映画としてはそれでいい。犯人がどうとかではない、人間の怒りそのものがこの映画のキーワードであり、その怒りとどのように人間は戦うのか。良い人間であり続けられるのか。
そこがテーマであった。その結末はまさにこの映画だからこそのもの。最高レベル!
二人はきっと、怒りに身を任せたりはしないだろう。そこが救いか。
あなたの周りは敵ばかりじゃない。怒りでそれを見失わないようにしよう。
怒りではなんも解決しないってことを言いたかったのか?
予備知識0で観賞。警察不審を正す正義物かと思っていたら、娘の死にいくぶんからむ自責の念を晴らすために人のせいだと転換し、周囲の人たちをとにかく不幸にしていく胸糞物。一方、対照的だったのが広告代理店の元警官に対する罪を憎んで人を憎まず的なシーン。主人公の心の着地点が描かれていないので想像するしかないけど、要するに、怒りという感情は誰の得にもならないっていうことや、人のせいにしたところで自分のわだかまりは消えませんよっていうことをさとすための映画で、見ているあなたはこんな主人公のようになっていませんかっていう警鐘を諭すためのものなのか。そんなふうにとらえ、子を持つ親として気をつけようと思うことにしよう。
スリー・ビルボード
怒りの連鎖は時に関係のない人を巻き込んだり、後から後悔することになる。
作品全体は暗くて遅い印象たが、署長の自殺や看板の焼失等によって良いテンポ感に。
常に復讐心に燃える女性の演技が素晴らしい。だからこそ最後の笑顔が印象的だったし、良かった。
炎が怒りのメタファーに?
怒りの連鎖には暗闇の中光る炎があった。火事はもちろん、ライターの炎も。
署長の自殺は怒りとは無関係だったから炎が無かった。
最後、ディクソンは火事を起こした主人公を許したような感じ。ここで怒りの連鎖は終了か。あの後、レイプ魔を殺しにいってまだ怒りの連鎖が終わらないのか、殺しにいくのをやめて怒りの連鎖が終わるのか、どちらともとれる。スッキリとはしなくともベストな終わり方。作品としては綺麗にクローズした。
タイトルなし
一言で言い表せない、怒り、赦し、笑い様々な要素が入り交じる。娘を殺された母フランシス・マクドーマンドが捜査が遅々として進まない警察に怒り、ガンで余命間もない署長ウッディ・ハレルソンと対決するだけかと思いきや、署長は自殺してしまい、そこから複雑にストーリーが急展開していく。どうしょうもない差別的暴力警官サム・ロックウェルが暴走→クビ→火傷→改心赦しへと変化していく。ラスト単なる犯人探しだけで終わらず、結局犯人ではなく残念な気もするが、これはこれで良いのかも。
オレンジジュース
この映画を見たとき、伊坂幸太郎の小説「PK」に出てくる言葉を思い出した。
「臆病は伝染する。そして、勇気も伝染する」
この映画を表すとしたら、以下のようになるだろう。
「怒りは伝染する。そして、優しさも伝染する」
はじめ、登場人物たちはそれぞれが怒りを抱えていた。けれど、署長のディクソンを見守る優しさ、広告屋の青年のオレンジジュースを差し出す優しさが、徐々に皆に伝染していったのだと思う。最後、ディクソンとミルドレッドは優しい顔をしていた。この映画は悲劇だし、ハッピーエンドでもない。でも、不思議と、後味の悪くない映画だった。
母の強さ。そして母の弱さ。
事前知識が全く無い状態で鑑賞しました。タイトルだけ聞いたことがあったので、レンタルDVDの棚にあったのを見かけて借りてみました。
結論から言うと、非常に楽しめました。映画の序盤だけを見ると「娘を殺された母親の復讐劇かな」と思ってしまいそうですが、よくあるリベンジものの映画とは異なり、復讐は達成されないまま映画が終わります。でも、これ以上は無いくらい綺麗で爽快感のあるエンディングです。私は大好きです。
・・・あらすじ・・・・・・・・・・・・・・・・・
アメリカ・ミズーリ州の人気の無い田舎道で凄惨な少女殺人事件が発生する。事件から7ヶ月経過しても一向に解決の兆しを見せない捜査に抗議するため、少女の母親であるミルドレッドは町外れに警察署長を批難する三枚の広告看板を設置した。地元警察や地元住民はこれを快く思わず、ミルドレッドとの間には深い溝が生まれてしまう。そしてこの三枚の広告看板をきっかけに、事件は思わぬ方向に動いていくのだった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
娘を殺した犯人を突き止めたい、母親。
自分たちを批判する看板を撤去させたい警察官。
姉の死を思い出したくも無い弟。
事件解決の証拠が無くもどかしさを感じる警察署長。
娘の死についてミルドレッドを責める元亭主。
様々な人のそれぞれの思惑が交錯し、物語は思わぬ方向へ転がっていきます。
それぞれのキャラクターの考え方や会話がとにかく素晴らしく、アメリカ的な軽妙な会話シーンも楽しいですし、シリアスで重いシーンも引き込まれるような魅力があります。
人間の不完全さとアイロニー
娘を犯され、殺されたミルドレッドが出した3枚の看板広告から始まるストーリー。
ミルドレッドの不器用で攻撃的な性格がもたらすストーリーは、なかなか見ていても辛い。登場人物たちも然り、人間の不完全さとアイロニーが、この作品のテーマであるように思う。
ディクソンが飲み屋で見つけた看板の犯人は、おそらくビンゴだったのだろう。砂の多い場所とはきっとシリアあたり。帰ってきた米軍の軍人が犯した罪を国の力で無いものにしたのか?それをウィルビー署長は知っていたのか?ディクソンも後からそれに気づいたのか?ミルドレッドも分かっていたのか…?
レイプ、黒人差別、DV、同性愛、障がい者…ストーリーに散りばめられた弱い立場と強い権力に対する提起が、スリービルボードには込められている。
アメリカ南部の文化の知識ありき
物語は、娘をレイプして焼殺した犯人を捕まえるために母親が、警察のケツを叩くために3つの広告看板を設置するところから始まる。
娘を惨殺された母親、死が近い警察署長、使命感を履き違えた警官。
黒人差別・虐待が未だ色濃く残る片田舎で、娘を惨殺した犯人が捕まらないイラだちから、警察すら敵に見えてしまった母親。
死が近くなったが故、自分の価値観が時代の変化(例:人種差別に対する見解)を認め始め、『周り』が見え始めてきた署長。
幼い頃父親を亡くし、母親に溺愛されながら育ったため、ティーンエイジャーがそのままバッジを持ってしまったような警官。
ビルボード=屋外広告の看板や掲示板。
広告看板は、
「見てほしい」から設置する「=関心を持ってもらいたい」、ということ。
この3つの広告看板のようにこの3人には、自分を「見てほしい」理由があった。
未解決事件を、死にいく自分を、自分の行いを「見てほしい」。
未解決事件に、死にいく自分に、自分の行いに「関心を持ってもらいたい」。
だから、母親は諦めなかったし、署長は手紙を書いたし、警官は目立つような行いをした。
そして、自分を「見てもらった=関心を持ってもらった」3人は、ほんの少しの安らぎを得る。
ラスト、若い警官と母親が一緒に出かけたことは、単に改心した若い警官を許したのではなく、互いの共通点を無意識で感じていたからだと思う。
(この人は私に関心を持ってくれている)と、愛にも似た説明し難い、まだ名前のない感情が、2人をつなげた。そんな気がするラストでした。
おもしろかったです。
自力では気づけなかった、常軌を逸した作り込み。
心理描写と人物関係の描写が秀逸。舞台設定もいいですね。小さな町だから住人みんなが署長を知っていたり。広告代理店が警察署の向かいだったり。
「怒りが怒りを来す」作中のキーワードだと思います。怒りの連鎖でどんどん悪いことが起こっていく。どうしようもない苦しみ、怒りのやり場がない時、どうすればいいのか。見ていて苦しくなりました。
署長の自殺からぐっと話に引き込まれていきました。遺書がまたどれも良く、彼の人柄が表れていました。街の人の反応を見ていても、彼が本当に慕われていたことがわかります。
多少過激ながらミルドレッドが車にコーラを投げつけてきた学生を懲らしめる場面は、頼もしい母親だなと思いました。おそらくスリービルボードの件で前々からロビーは悪く言われたりしていたんでしょう。ミルドレッドがロビーにシリアルをぶっかけるシーンもありましたね。あれ普通はもっと怒るところだろうと思ったんですが、母なりの励ましというか、喝を入れたのだとわかったのでしょうか。家族だったり、お互いをわかり合っている関係だからこそできるやりとりっていいですよね。
登場人物がみんな人間らしいというか、善悪はっきりせず、いいところも悪いところも持ち合わせているのがリアルで、本作の社会派な内容ともマッチしていました。
特にディクソンは、前半は悪いところが目立つのですが、遺書を読んでからはいい部分も見えてくるのが素敵でした。
ディクソンがアンジェラの事件に関するファイルを抱えて命からがら炎から脱出するところや、容疑者の車のナンバーを冷静に確認して、暴行を受けてでも皮膚を採取するところも心を打たれました。警察署に火をつけたのがミルドレッドだとわかっていても口にしなかったり、署長の見立て通りだったのが嬉しい。
ディクソンとは気づかずに優しい言葉をかけるレッドにきちんと謝って、レッドが複雑な心境ながらにオレンジジュースを置くところもすごく好き。許すって難しいけど、許すことで結局は自分も救われるってこともあるんじゃないかと思います。ミルドレッドはずっと許せなくて苦しんできたわけですし、自責の念もあったのだろうと思います。
スリービルボードが燃えてしまって、作り直すところも微笑ましく、いいシーンでした。署長が出資してくれたことで、スリービルボード自体も抗議のためという怒りの意味から、娘のためにも署長の名誉のためにも守りたいものというような、いい印象に変わったことも良かったです。
そしてそれを燃やしたチャーリーを許すところも。前のミルドレッドであれば確実にワインの瓶で頭ぶったたいていましたよね。
虫や鹿のシーンもいつもふてぶてしいミルドレッドの優しさが垣間見えたように思います。人にはああいう面を見せないから誤解されることも多そう。誤解されても意に介しなさそうですし。
ペネロープもちょっと天然なところがありそうだけれど、純真そうで可愛らしかったです。苦しい展開の中で彼女が出てくると気が抜けるので、癒しの存在でした。でもなぜチャーリーと交際しているのか…その点で言えばあまりいい印象は持てなかったので、チャーリーのいい部分も描いてくれたら説得力が出たかも。
署長の奥さんと娘達のその後も気になりますね。少しずつ受け入れられればいいのですが。
みんなそれぞれに異なる事情を抱えていて、時にぶつかり合って、支え合って、思い合って生きていく姿が心に沁みました。
演技面も静かな中にも強い感情を込められていて、みなさん素晴らしかったです。おかげで涙腺ゆるゆるでした。
自分をちゃんと見てくれる人の存在やその人の言葉で、人はいい方向を向いていけるのかなと考えさせられました。私も人の悪いところを受け入れ、良いところを探して好きになることを心がけたいものです。
どういう終わり方をするのかとずっと頭の隅で思っていたら、なかなか他では見ないような終わり方で、新鮮でした。ドラマティックにならないのは本作らしくて良かったと思います。
事件が解決したわけではないけれど、少し気が晴れたような。「道々考える」中で少しずつ明るい方向に向いていきそうな雰囲気が好きでした。2人が一度対立したにもかかわらず、最後は一緒に旅に出るのも素敵でした。
署長とミルドレッドの関係もなんとも言えない良さがありましたね。繊細な人間関係が本当に上手いです。
国外で起こった事件では逮捕できないっていうのもおかしな話ですよね。2人とも「あんまり」でしたし、直接的な方法は取らない…と思っておきます。天気も晴れていましたし、光が差す方へ進んでいくという示唆だと考えたいです。
と、長々とごちゃごちゃ書いてしまいましたが、ここまでは初見での感想です。
私は鑑賞後にとても詳しく解説してくださっているサイトを見つけました。ちなみに『ライアーライアー』の解説でもお世話になったサイトです。
そちらを拝見すると、まさに目から鱗が落ちることばかりでした。私が本作に込められた意味を理解できていないことで受けた違和感の全てを解説してくれました。とはいえ、聖書や英語に詳しくないとこれは気づけませんね。原題『 Three Billboards Outside Ebbing, Missouri 』の意味や、曲の意味、ペネロープのことまで。次回観る時にはブラックユーモア版のアンジャッシュのコントのようにも見てみたいと思います。泣くほど真剣に観ていたのに…実はコメディにも取れるとは…。上記のレビューが一部恥ずかしくなりますが、初見の反応として残しておきます…。
拝見したサイトはとても素晴らしかったですが、それが全てではありませんし、絶対に正解というわけでもない。観た人それぞれで色々な見方ができる懐の深い作品ですね。
知ることで見方が変わるという点ではコーエン兄弟の『ファーゴ』に似ていますね。彼らもブラックユーモア好きな印象です。フランシスマクドーマンドも出演していますし。本作は特にコーエン兄弟の作品と演出の作り込みに類似点が多いようです。
マーティンマクドナー監督の作品は同じくブラックユーモアやバイオレンス面でもタランティーノ監督作に似ているという声もあるみたいですね。
自力では気づけなかったですが、本作は作り込みが半端じゃないです。そして自分の先入観や偏見についても考えさせられました。是非鑑賞後に解説を探してみてください。
解説を見る前でも舞台設定、心理および人間関係の描写、演技面で星4評価を考えていたのですが、解説を読んだ後は星5以外は考えられませんでした。細部までこだわった素晴らしい作品です。
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