「時代設定がいつなのか悩みながら見たが」スリー・ビルボード asicaさんの映画レビュー(感想・評価)
時代設定がいつなのか悩みながら見たが
10年程前か、娘夫婦がノースカロライナに数ヶ月住んでいた時に、初めてアメリカ(大陸)に行った。
シカゴ乗り換えだったが、成田から10時間以上飛行機に乗ったにもかかわらずシカゴ到着時刻は乗った時間より4時間も前、さらに1時間も飛行機に乗ったのにノースカロライナに着いたのはシカゴに着いた時間。
地球の回転の妙を切実に味わったのだった。
というのは無関係な余談ですけれど。
シカゴの空港には私以外日本人らしき人は見かけなかったし、ノースカロライナに至っては
例えば日本の田舎町で外国人を見かけた時よりさらに無遠慮な視線を浴び 挙句にはフードコートのメキシカンなお姉さんたちが、私たちが何人か( 中国?韓国?日本?)で賭けをしていて、当たった人が大喜びしたという目にもあった。率直すぎて不愉快な思いなど全くなかったが、人生初のジャパニーズを見たという経験をそのフードコートで働く彼女たちにさせたのだった。
ほんとに広い国土なのだ。
ミズーリ州の人なんて海など見た事ない人が半分、いや8割か?と想像してしまう程の内陸部。
黒人だけでなく有色人種に対する差別はまだまだ根強い。
黒人よりも、ヒスパニック系の人々の貧困が犯罪を生むしコロナのせいでアジア人は一括り的にチャイニーズだ。
そういう土地であっても
いくらなんでも (いくら腹がたったって言ったって)
やる事がヤクザの抗争並みの荒っぽさだし、その事が事件とならないのかなるのかも警察の匙加減的ないい加減さ。
アメリカは州によって警察は独立しており、トランプさんが大統領時代に起きた警察案件も 大統領の権限では目の届かない部分。
1960年代くらいなのかと思いきや携帯もあるし、ネットで検索しろというセリフもあるので、文明レベルで言えば2000年代のようにも思える。
つまり アメリカの田舎町ではそのくらいの時代であってもなお閉鎖的で排他的な町が存在する、という
その空気感を味わってないと
この映画の閉塞的なイライラとか爆発的な行動は 理解し難いものなのかもしれない。
母は娘をレイプの果てに殺され
それが全く解決の方向に向かない苛立ちを解き放つ方法を
朽ち果てた看板を見ながら、思い立つ。
登場人物たちは皆 苦悩を抱え 持って行き場のない怒りを持て余し、時に諦観によって心に平穏を取り戻す者や外に爆発させずにいられない者の対比がある。
一番 苦悩もせず 自分のした事(看板に火をつけた事)に対しても自己完結的に言い訳を披露する 元の夫が
もっとも そう言ったわけで 成長もないアホなので
あほヅラ下げた顔だけ可愛い19歳とお似合いなのだった。
コメントありがとうございます。
私のレビューは、いつも迂闊な言動ばかりしてしまう自分に向けたものなので、ほとんど自戒と反省です。
アメリカ映画で、色々な土地柄が描かれているのを見るたびに思うのは、もしかしたら、我々日本人がテレビや新聞で見てるよりもアメリカで起きてる現象を知らずに過ごしてる人たちが少なからずいそうだということです。あれだけ広いと、一定の閉ざされた地域の窮屈さ、偏狭さもまた、キツいんだろうなと想像したりします。
今晩は
今作は、出張先で観て強烈な作品感に圧倒された作品です。
恥ずかしながらフランシス・マクドーマンドも今作で初めて観たのですが、娘を無慈悲に殺された女性の行き場のない怒りと、彼女を取り巻く余命僅かな悩めるウィロビー署長や、屈託した思いを抱えるサム・ロックウエルが演じた巡査の姿は今でも鮮明に覚えています。
旅先(出張先・・)で観た映画の中では、特に記憶に残る作品でした。非日常の状況で観る映画の面白さに開眼した映画でもありました。