「アメリカ南部の文化の知識ありき」スリー・ビルボード maruさんの映画レビュー(感想・評価)
アメリカ南部の文化の知識ありき
物語は、娘をレイプして焼殺した犯人を捕まえるために母親が、警察のケツを叩くために3つの広告看板を設置するところから始まる。
娘を惨殺された母親、死が近い警察署長、使命感を履き違えた警官。
黒人差別・虐待が未だ色濃く残る片田舎で、娘を惨殺した犯人が捕まらないイラだちから、警察すら敵に見えてしまった母親。
死が近くなったが故、自分の価値観が時代の変化(例:人種差別に対する見解)を認め始め、『周り』が見え始めてきた署長。
幼い頃父親を亡くし、母親に溺愛されながら育ったため、ティーンエイジャーがそのままバッジを持ってしまったような警官。
ビルボード=屋外広告の看板や掲示板。
広告看板は、
「見てほしい」から設置する「=関心を持ってもらいたい」、ということ。
この3つの広告看板のようにこの3人には、自分を「見てほしい」理由があった。
未解決事件を、死にいく自分を、自分の行いを「見てほしい」。
未解決事件に、死にいく自分に、自分の行いに「関心を持ってもらいたい」。
だから、母親は諦めなかったし、署長は手紙を書いたし、警官は目立つような行いをした。
そして、自分を「見てもらった=関心を持ってもらった」3人は、ほんの少しの安らぎを得る。
ラスト、若い警官と母親が一緒に出かけたことは、単に改心した若い警官を許したのではなく、互いの共通点を無意識で感じていたからだと思う。
(この人は私に関心を持ってくれている)と、愛にも似た説明し難い、まだ名前のない感情が、2人をつなげた。そんな気がするラストでした。
おもしろかったです。