「許し」スリー・ビルボード @Ryota_daze27さんの映画レビュー(感想・評価)
許し
ミルドレッドが三つの広告を建てたことによって物語は進行していく。この映画は目的云々ではなく、人間の感情にフォーカスしている。
登場するキャラクターは忠実に描かれていて、個性的な面々が並ぶ。そんな彼らの心境に変化をきたすのだ。
彼女の建てたスリービルボードをきっかけに。
まず始めにミルドレッドは自分の娘がレイプ殺人事件の被害に遭い、一向に解決の糸口を掴めない警察に対しての当てつけとして、三つの広告を建てるよう広告屋のレッドに申し出る。
これが全ての始まりだった。
しかし、責任を押し付けたビル署長は重い病気を患いながらも勤労で、地元の人からも親しまれる人格者であった。そんな彼が突然自殺してしまう。そうなることで、ミルドレッドにとってのある種の復讐は呆気なく完結されてしまい、途方に暮れる。
ビル署長の遺書には、ミルドレッドの攻撃に対しての「許し」が含まれる内容が記載されていた。
ミルドレッドはこれを読み涙する。
娘に対しての仕打ちや彼女に放った一言に対する後悔や自責の念に押しつぶされそうになる姿など、それまでにもミルドレッドの人情が読み取れるシーンはいくつか描かれている。彼女は感情的で怒りっぽい性格だが、まったくの冷酷というわけではないのだ。
だが、ここで新たな復讐が始まる。
ビル署長を慕っていたディクソン巡査が、以前から嫌っていた、尚且つビル署長の死に直結する(実際にはそうではない)原因ともなりうる広告屋のレッドを窓から突き落としてしまうのだ。そうしてディクソン巡査はクビになる。
そんな中、何者かによって広告が燃やされる。
これを署長が自殺した原因が広告にあると(勘違い)した警察や町の人間による仕業だと(勘違い)した(実際は元夫のチャールズ)彼女は、警察署を燃やしてやろうと計画する。これもまた復讐である。
また、観客をあたかもディクソンが放火の犯人であるかのようにみせる演出もうまい。
ビルからの遺書を受け取るために警察署にいたディクソンは恩師からのメッセージを読み、心を打たれる。
そんな中、ミルドレッドによる放火で火傷を負うディクソンであったが、すべての引き金となった事件のファイルを彼は大事に持ち去る。ここで彼に変化が訪れる。
ミルドレッドも放火をする直前に、ディクソンの存在を確認し、電話を二回かけるという行動。そしてあの表情。そこには憎しみに満ちた姿は少し薄れていた。
そして、大事に持ち去ったファイルを見たとき、彼女の心境は大きく変わったことだろう。
火傷を負ったディクソンと偶然病室で居合わせたレッド。彼は正体を知らぬまま重症のディクソンを気遣う。
レッドは火傷の相手が自分に暴行し怪我を負わせた張本人であると知り、ひどく動揺するが、そんな彼を「許し」、オレンジジュースを渡す。
ミルドレッドもまた、偶然レストランで元夫のチャールズと居合わせる。そこで広告を燃やした犯人が自分だと打ち明けられ、一度は席を立つがこれまた「許す」のである。
結局真犯人は分からないままだったが、レイプ犯の疑いがある人物を捜索しようと車を出す最後のシーンでも、ミルドレッドは警察署放火の犯人が自分だと告白するが、ディクソンは「アンタ以外に誰がやる?」と言って「許す」のだ。
こうした「許し」の連鎖が「復讐」の連鎖に歯止めをかける。最初の頃は、男のDNAを採取して事件があればそれを照合して一致した犯人を殺せばいいなどと、破天荒なことを言っていたミルドレッドだったが、ラストではレイプ犯を殺すかどうかを問われ、「あんまり」(吹き替えでは決めてない) に続けて「道々決めればいい」と答える。これはディクソンにも通ずる。二人は「許し」を経て「許し」を得た。
それは"怒りは怒りを来す"のではなく、"許しは許しを来す"のだ。
火を連想させる赤が多用されたことの印象効果。
ミルドレッドが神父の汚職を非難したシーンからとれる警察にも通ずる部分。なんの意図もなくあのシーンを加えるのか? それはつまり真犯人はやはり……?
脚本もさることながら、役者陣の演技や音楽も秀逸で、どれをとっても素晴らしい。
ブラックユーモアもあって笑って泣けて、人間の心に可能性を垣間見た心に染みる本当に良い映画でした!