「うなされること必至の悪夢的映画」火葬人 りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
うなされること必至の悪夢的映画
1930年代のチェコ、プラハ。
葬儀場を営んでいる中年男性のカレル・コップフルキングル。
17年前に妻と結婚し、娘と息子のふたりの子どもに恵まれている。
ナチスドイツの勢力が強くなってくる中、カレルの心に少しずつ邪気(というか妄想というか)が湧き上がってくる。
それというのも、チェコ人であるが彼の血にはドイツ人の血が流れているが、妻の母親はユダヤ人・・・
といったところから始まる物語で、冒頭、家族そろっての動物園のシーンから、豹の檻の前での短いショットの積み重ねで、観客を不安にさせていきます。
そして、メインタイトルのタイトルバック。
シュヴァンクマイエルのような、切り紙アニメ。
ひとの顔が半分に割れ、スタッフ・キャストの名前が現れ、死体をイメージした裸体が積み重なって・・・と、まぁ、ここまでの5分ぐらいで逃げ出したくなる観客もいるのではありますまいか。
カレルの営む葬儀場は、大きな会葬者用のホールがあり、そこでは軽快な音楽なども流れ、さらに会葬者たちがダンスに興じることもできる。
そして、火葬装置は地下にあり、棺桶が並び、75分で死者を灰にすることができる。
灰は、人間の元の姿。死者は焼かれることで清められる・・・とカレルは心から信じ、「チベットの死者の書」に傾倒している。
なんだか、もう、不気味不気味なのだけれど、そうしているうちにナチスドイツの例の政策が彼の心に入り込んでくる。
ユダヤ人の汚れた血を清めなければ・・・と。
まずは妻を、そして息子を、娘を、そして最後には・・・ナチスドイツが新たに建設する巨大なガス焼却施設の所長に収まる。
この後半は悪夢のような展開で、カレルは妄念に憑りつかれていき、自身の分身を見るのであるが、そのショットは魚眼レンズを通したように歪んでいる。
第二次世界大戦前期に一旦はナチスドイツに飲み込まれてしまったチェコの国。
そんな自国を、悪夢のような映画としてユライ・ヘルツ監督は観客の前に提示した。
初公開時、上映禁止処分になったというのも、むべなるかな。
書き忘れたが、中盤までの、エピソードとエピソードのつなぎがまったくもって素晴らしい。
エピソードのおしまいのショットが次のエピソードの始まりのカットが切れ目なく繋がっており(ヒッチコック監督の『ロープ』のような感じ)で、それが悪夢のなかにいるような感じを強めています。
主役のルドルフ・フルシーンスキーは怪演。