花筐 HANAGATAMIのレビュー・感想・評価
全6件を表示
抑圧された時代を生きた若者達の姿が切ない
戦争に向かう流れの中、唐津を舞台に、心優しい俊彦(窪塚俊介さん)、一本気な鵜飼(満島真之介さん)、斜に構えた吉良(長塚圭史さん)、お人好しの阿蘇(柄本時生さん)が、当初牽制し合うものの、互いの個性を認め、交流を深めて行く。若者らしい真っ直ぐな眼差しと思い、淡い恋心、葛藤と絶望を、大林宣彦監督らしい独創的な映像と色彩で描いた作品。
「叔母」という言葉がそぐわない常盤貴子さんの憂いを帯びた妖艶な美しさに魅了された。
大林宣彦監督、熱演の満島真之介さん、他全てのキャストの皆さんの反戦の強い願いが感じられる作品でした。
命を賭して行進する若者達の姿が胸に沁みる。
国の為に命を捧げる事の重みと苦しみを思った。
映画館での鑑賞
狂ってる
おじさんたちが学生を演じているのがまず変だ。主演の窪塚俊介さんの演技が天真爛漫みたいな感じで変すぎる。全裸で馬に乗るのが気持ち悪い。全編に渡って合成が変だし、長すぎる。映画館で見なくて本当によかった。戦争の悲惨さに関係なくそもそも狂っている感じがする。
偉大なるオルタナティヴへのご奉公
『ハッピーエンドを創ったのはユダヤ人の叡智』とは、上映後、大林監督御大が病身をおしてわざわざ高崎迄出向かれた際お言葉である。お声は小さかったが、それでもお話しは淀みが無く、貴重な内容であった。
で、今作の内容は、その大林ワールドの集大成と言って良い程の映像作品であった。ここまで来れば、ストーリー的にどうかとかよりも、映像そのものの美術的価値や哲学性そのものに浸るという姿勢で臨むのが、正しい鑑賞方法なのかと思う。キャストの人達も多分、この稀代の天才映像作家の手向けとして、監督の脳内のイマジネーションを再現しようと必死な様をスクリーンを通じて痛いほど伝わっていた。
日本にもこれだけの形而上学的且つトリックスターな映像作家が存在しているのだということを世界に知らしめる作品であると誇らしく思う。尚、決して商業映画ではないのでストレートな感情の発露は生まれないことを断っておく。ちなみに自分如きが説明できる能力は持ち合わせていない。
前衛的なのに古典的な演出に眩暈を覚えて
1941年の佐賀県唐津。
17歳の僕、榊山俊彦(窪塚俊介)は、両親の暮らすアムステルダムからひとり、叔母(常盤貴子)の家に身を寄せることになった。
そこには胸を病んだ同年代の娘・美那(矢作穂香)が居、秘かに思いを寄せていた。
新学期を迎え、大学に進学した僕は、そこでアポロンのような生気溢れる青年・鵜飼(満島真之介)と虚無僧のような青年・吉良(長塚圭史)と出逢った。
お調子者の阿蘇(柄本時生)や美那の友人のあきね(山崎紘菜)や千歳(門脇麦)と青春を謳歌するのだが、そこには常に「死の影」がつきまとっていた・・・
という物語で、それ以上でもそれ以下でもない(はず)の物語。
「死の影」は、具体的には、胸を病んだ美那や幼い時分に病弱で寝たきりだった吉良につきまとうのはいたしかたないが、それが健全な鵜飼や僕にもつきまとってしまうあたりが、戦争前夜の青春物語としての深みを与えている。
ただし、『この空の花 長岡花火物語』 (2012年・未見)、『野のなななのか』(2013年)に続いて「戦争三部作」と監督自身がといってしまっては、物語の深みがかえって減じてしまうのではありますまいか・・・などと思ってしまいました。
いまの時代が時代だけに、時代への警鐘がこの映画の製作モチベーションなのだろうが、その部分が全面にでてしまって、三角関係ならぬ六角関係(いや叔母様もいれての七角関係)の物語のオモシロさが消えてしまいそうな感じがしてしまいました。
とはいえ、饒舌華美過剰のてんこ盛りの映像と音楽とモノローグによる語りにはどんどんハマってしまいます。
特に上手いなぁと感じたのは、前半と後半で使っている映像表現が異なること。
ワイプ中心の前半。
アムステルダムからやって来た僕が出会う奇妙奇天烈なひとたちに魅了されて、心が動いていくさまが、ワイプで表現されています。
これに対して、後半はオーバーラップが中心。
物語が動き出し、三角関係、六角、七角と登場人物の思いが錯綜するにしたがって、シーンシーンがオーバーラップしていきます。
たしかに画面合成やのべつ幕無しの音楽など過剰演出なのですが、この、前半後半で語り口を変えるというのは、意外にも映画演出の基本に忠実な感じもします。
こういった前衛的なのに古典的な演出が大林宣彦映画の魅力なのだなぁ、と改めて感じた次第です。
物凄いものを観た…
評する資格などありませんが、肉体的、精神的に戦争へ巻き込まれていく若者達を、怒涛の芸術的感性で描いた傑作だと思いました。
個人的には”SADA”でやや中途半端に感じた演出や映像が、ついに頂点まで昇華したような感じがしました。人工的でコラージュのような映像が、どれも大変美しかったです。
大戦の影が忍び寄る時代。
馴染んできた西洋文化や働けない病人は非国民か。お国に命を捧げることは真の男の証明なのか。
目的を持たずに燃え続ける太陽のような健康美の鵜飼は、外の世界へ解決策を見い出そうとするタイプ。一方、ニヒルで哲学的、死神のような風貌(^_^;)の吉良は、自己の内面を探り続けるタイプ。吉良の自傷行為は”The Da Vinci Code”のSilasと被りました。鵜飼と吉良は対極に位置する存在ですが、二人とも同じ難題を抱えるためか互いに意識し合い、戦争に生命を「消費」させないという同じ答えに辿り着きます。どうせ尽きる命ならと戦死したおば様の夫や、使える物は何でも「消費」して有効活用しようとする阿蘇とは対照的でした。
ただでさえ面倒でこじれやすい青春に、戦争という破滅的な現実がのしかかり、一層退廃的なカオスに飲み込まれていく様子が鮮烈でした。また、生と死と性を表す赤色が効果的に使われていました。
ちなみに出欠の返事は、少なくともアメリカでは”here!”です…。
大林監督作品
「今の時代に飛ぶってどういうこと?」という想いで撮られた映画なんだなってことだけ解るよ。作中で繰り返される「飛べ 飛べ 卑怯者」と併せて考えんのね。
観ながら「身捨つるほどの祖国はありや」ってことを思ったよ。
映像の感じは《さびしんぼう》とか《時をかける少女》に似てるのね。ストーリーはあるようなないようなで、「このシーンは何の意味があるんだろう?」とか考えても解らないの。でも面白くて観ちゃう。
《野のなななのか》に比べて老人臭が消えてんのね。でも老人映画もまた観たいと思った。
全6件を表示