「突き付けられる『闇』」デトロイト オイラさんの映画レビュー(感想・評価)
突き付けられる『闇』
これはもう『感想』ってレベルじゃない気がする。
理不尽で執拗な暴行の場に放り込まれて、自分はただ立ち尽くしているしか出来なかった…そんな気分だよ。
それはドキュメント映像を見た時の感覚とは違う。
『世界の何処かで起きている目を背けちゃいけないこと』ではなく『いま目の前』の恐怖に震えたんだ。
そのくせ『自分はその現場にはいない・自分がその被害に遭うことはない』ってどこかで解っている、ムズ痒いような矛盾。
現実と映像との境界を乱された。
ビグロー監督の技量にやられた…感服するのみだよ。
50年前、1000人を超える死傷者を出した史上最悪ともいわれる暴動の最中、混乱の中心部からは少し離れた場所にあるモーテルでの一夜を切り取ったこの作品。
何が怖いって、暴力そのものもさることながら、それを起こしたクラウス達白人警官の意識なんだよね。
他人の生命を弄びながら卑劣な暴力を繰り返す彼等は、それを享楽とする、いわゆる異常者やサイコパスじゃなくて、
『当然のことでしょ?』『何が悪い?』とでも言いたげにフッツーに己の正義を振りかざしてるんだ。
あと保身ね。
『拳銃出てこねぇじゃん!』
『マジで撃っちゃったわけ?』
『取り敢えずまたドヤされんのかよ〜』
『うっぜ〜!やっべぇ〜!』
『お前らが喋らなきゃバレねぇんだから黙ってろよ!』
ってなもんで。
そんな人間を形成する社会・環境があるんだと思うと、その闇の深さが恐ろしくて堪らなかった。
見かねて黒人青年を逃がしてあげた白人兵士がいたのが救いではあったけど、
それだってコソッと逃がしたのであって、不当な尋問を止めようと立ち上がった人は1人もいないんだよね。
決してその兵士を気弱だと責めるつもりはないんだ…ただ『そこにも闇がある』と感じざるを得ず、これがまた苦しかった。
『この夜を生き抜け』と警備員ディスミュークスが言ったように、尋問を受け続けた彼らは自力で堪えて生き抜いた。
…ただ堪えるしかなかった。最後まで助けは来なかったんだよ。
中立に近い立場にあった唯一の黒人ディスミュークスの冷静さと機転は、彼らの生命を繋ぐ要素に確かになっていたかもしれないけど、
あの戦慄の中でも解放された後も、彼にはもう少し闘って欲しかった。闘えたはずなんじゃないかと思ってしまう。
守ることは出来ても挑むことはできない…これも『闇』か。
暴動勃発直後のシーンで
『自分たちの故郷を荒らすな』との政治家の呼びかけに対して、間髪おかず一人の男性が『焼き払え!』と叫んだのを聞いた時、涙が溢れた。
その一言で、黒人達の鬱積した苦悩と怒り・遣る瀬なさがどれほどのものか、突き付けられた気がした。
そして拡大化していく暴動…アルジェモーテルのような事件。負の連鎖だ。
人気歌手への道が開きかけていたのに、尋問のトラウマから人前で歌えなくなってしまったラリー。
あんな体験をした彼が歌うからこそ訴えられることがあるはず…と言う人もいるかもしれない。
でも、それはあまりにも酷だよ…苦しいよ。
染み付いた差別意識によって絶たれた生命・奪われた人生があった事実を、より多くが知らなければならないと思った。