博士と狂人のレビュー・感想・評価
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A to Z じゃ終わらない旅
全ての言葉を盛り込んだ辞典をつくろうとする、博士どころか学士も持たない、独学の天才マレーと、エリートだが心に闇を抱え犯罪者となってしまった博士、マイナーの物語。
かの有名なオックスフォード英語辞典(OED)作成の伝記的な物語かと思いきや、マレー、マイナーを中心とした人物たちの人生を描いたドラマでもあった。
OED誕生の裏側にはこんな秘話があったとは。
確かに、どんな立派な作品でも、それが犯罪者の手が加えられたものと聞けば一気に見る目が変わるでしょう。
しかし、それでも手放しに批判することはできない知られざるマイナーの苦悩があったのですね。
赦されるほどに蝕まれる心。。大小あれど、まさに罪悪感の原点が垣間見える瞬間。
本作の素晴らしい所は、辞典作りがメインと思いきや、本筋は悲しくも暖かなドラマ…でもやはり辞典作りも、物語の単なる材料に甘んじることなく、それに対する関心を深めてくれるところ。
ことばさがしって大変ですね。。
また、この作品もキャラクターが皆魅力的。特に気に入ったのは、マレーの奥さん。
妻として母親として、女性としての強さがとても感じられる人物だった。
マレー&マイナーは当然、彼女なくしてOEDはあり得なかったのではないでしょうか。
あらゆるものが電子化されている今日の世界。しかし、媒体こそ変われど、その中身自体はこうした過去の偉人たちの功績なわけだし、永遠に続くってのはホントにロマンですね。
ラストの締め方とか、もはやズルい(笑)そんな言われたらズッキュンってなるわ!!
自分の生きている間に、完成したものを作り上げるのか、或いは完成せずとも次世代に引き継がれていく礎を築き上げるのか、どちらの価値が大きいか比べることはできないけど、深く思いを馳せてしまった。
生前にOEDこそ完成しなかったものの、ふたりは確かな絆と人生を作り上げたのだろう。
観終わった後、素直に「良い映画と出逢えたなぁ」と一息つける、そんな作品だった。
便利社会に生きる私たちには知る義務があるのかも
辞書も今ではオンラインで使えるようになり、本当に便利な時代になりました。
先人の努力のおかげで英語学習がしやすくなったんだなと感謝の気持が溢れました。
現代の便利社会に乗っかって生きる私たちには古きを知る義務があると思う。
OED
で調べましたと言えば、これ以上は無いというくらい信頼できる最も権威ある辞書でした(現在も?)、今ならGoogleで検索すれば調べ物は大体済んでしまうので世の中便利になったものです 辞書を開けば調べる途中で目に付いた単語を見たり、語源を見てへぇーと思ったものです。懐かしい。そんな権威ある辞書なのに、こんなお話全く知りませんでした 大学の先生から聞いたこともない ただ先生は知っていたのかそういえば新しい言葉を集めるっていう似たような課題があったような…英辞郎も確か自分で足していける形式だったような 言葉に追いつくのは今も大変なのは共通かも
ショーンさんこのような役をやらせればピカイチですね あれは電気ショック療法でしょうか 個人的には最後まで一緒に仕事をしてほしかった あれだけのボリューム いくら多読家とはいってもあの本のあの辺りにあるとかさっと浮かぶぐらいの記憶力があり、単語にもとても敏感な方達だったのではないかと 自分が大学の図書館で調べ物をしていた時には、OEDがあのような努力の結晶とは露ほども知らず そんな事に思いを巡らせもしなかったので反省
言葉は世界を広げてくれる
辞書の編纂の映画というと三浦しをん原作、石井裕也監督の2013年の映画「舟を編む」を思い出す。その作品ではじめて黒木華を見て、その存在感のある演技に感心したことを覚えている。
本作品の舞台は打って変わって栄華を極める大英帝国である。例によって帝国主義時代は列強が植民地を奪い合った時代だから領土も流動的だが、ヴィクトリア女王の頃にはアフリカを縦断する国々、インド、オーストラリア、カナダなどを植民地としていた。女王の権力は強大で、その権威は圧倒的だった。しかし議会も存在していて、女王が何もかもを決定する訳ではなかった。議会と女王の力関係が拮抗する部分もあったようだ。女王を主役にしたジュディ・デンチ主演の映画「ヴィクトリア女王 最期の秘密」ではそのあたりの雰囲気が伝わってくる。
19世紀末のイギリスではすでに資本主義がかなり発展していて、印刷出版業界も売れるものを作らなければならなかった。一方でアカデミーは女王の権威に比肩するほどの価値を持つ重厚な辞典を作成しようとしている。しかしこれまでの取り組みでは、学者たちの学問に対する権威主義が邪魔をして、何も作成できなかった。そこで主人公マレー教授の登場である。「舟を編む」では、編纂者たちが街なかに出て言葉を拾い集めていたが、本作品のマレー教授はボランティア方式を取り入れる。
ストーリーはとてもよく出来ていて、マレー教授の辞典編纂チームと、まるで無関係に見える殺人犯ウィリアム・マイナーがどこでどのように結びつくのか、前半の興味はそこにあり、マレー教授の取り入れたボランティア方式が重要な役割を果たす。加えて癲狂院の警備係マンシーが果たした役割も大きく、マイナーとマレー教授、それにマイナーが殺したメレットの未亡人イライザを結びつける。マンシーの存在とボランティア方式が本作品を成立させていると言っていいと思う。
当方には何故かマンシーが一番心に残る役柄だった。演じたエディ・マーサンは主役にはなりにくい俳優だが、本作品では素晴らしい助演ぶりであった。次がショーン・ペンのドクターマイナーで、言葉は世界を広げてくれる、この大空だって頭にすっぽり入る、といった名台詞が印象的だ。マレー博士を演じたメル・ギブソンはアクション俳優だったのが信じられないほどナイーブな演技だった。抑制された表情に、長く生きてきた悲哀やこれからの希望や人への思いやりなど、主人公の気持ちがよく伝わってきて心を敲たれた。
辞典を作る映画だけに、言葉がとても大事にされる。癲狂院にあっても、言葉の使い方は慎重である。どんな言葉が患者を刺激する引き鉄となるかわからない。一度記録係が不用意に漏らした言葉で患者であるドクターマイナーがエキサイトするシーンがある。言葉は正確に適確に使わなければならない。辞典づくりを後押しする場面だと思った。
言葉によって人は自由になり、言葉によって不自由にもなる。学者たちが言うように言葉を選別して見出し語を制限するのではなく、マレー博士が主張したようにすべての言葉を見出し語として載せるのが自由を守ることでもあるのだ。広辞苑の見出し語の数は25万語。オクスフォード英語辞典の見出し語の数は60万語である。
許すことと許されることのズレもテーマ
ショーンペンの新作!ということで、とりもなおさず鑑賞。怪優ぶり健在。
ところで「舟を編む」の英国版と軽い気持ちで見てはいけません、、、て冗談はともかく。
世界中に宗主国を持ち征服しきった自負心に溢れた1800年代後半の英国。その過去の栄光に威信をかけた辞書の大編纂プロジェクトが、このような歪なスキームで発進していたとは知る由もありませんでした。使われてこその言葉、生きた言葉の立体的編纂は到底専門バカの集まりのアカデミック村の長が頭を突き合わせても到底なしえなかったであろうことは想像がつきます。
辞書作りと並行して、自らのPTSD的精神疾患と被害者に対する罪悪感に苦しむ殺人者ウィリアムに惹かれていく未亡人の純愛ストーリーも走ります。あの時代、特に女性の識字率低かったんですね。軽くショック。そして徐々に夫を殺したウィリアムを許し愛してしまう素直なイライザに比べ、許されることで彼女の夫を2度殺してしまったとさらに苦しむところが宗教心も強いインテリ・ウィリアムであります。
言語の天才髭もじゃ男が二人、初対面にもかかわらず著作物の一節を暗唱して会話をつなぎ、あっという間に唯一無に友情を育んでしまうシーンが一番高揚感に満ちた明るい場面でした。
それにしてもジェニファー・イーリーって、メリル・ストリープに似てますね!焦りましたよ、まさかとは思ったけど。
上質の演技と映像
狂気と情熱、そして魂の救済ドラマ
いいよこの映画、Great Film!
今週(10/16(金))の週に埋もれた名作。お勧めです。
今週は鬼滅の刃もあり映画館もこみこみですね。
こちらの映画、見たかったいつものtohoシネマズでやっていなかったので、他の映画館にいきました。埋まり率25%くらい。
多くの方が書かれている通り、史実を元にした内容です(多少は着色しているのだと思いますが…)。
「オックスフォード英語大辞典」といえば、ちょっとした書店の英和辞典・英英辞典のコーナーなら置いてあり、特にTOEIC受験が盛んな日本では、決して英語初心者の方が手に取るものではないかと思いますが、中級以上の方は必ずメーカーは別にせよこの類の辞書をお持ちのはずで、私もその1人です。
※ なお、当方のスペックは英検準1とTOEIC900超えです。
文法というより「一部にマニアックな語彙」が出てくるので(「英英辞典」を編纂する、という事情から)、TOEICよりも英検よりの高い語彙がもとめられます。
内容はもう、大満足ですね。
あの辞典に史実があることは見に行く直前に調べて知っていたのですが、「あそこまで」複雑な史実があったとは思わず(さすがに書きにくい内容も含まれている…)、また一方で、単に本、例えば小説等を出版するというのとは違い、語の定義を定める「国語辞典」なるもの(ここでは、広義的な意味。英語圏視点では英英辞典は国語辞典になる)ものの出版は当然ハードルが非常に高く、しかもその初版はかなり前。インターネットがある前の時代で、情報を郵便や(町の)掲示板でボランティア的に広く集めていた、そんな「古い古い時代の技術しかない」世界です。
そんな時代に、あんな史実に基づいて今の多くの方が知っている英英辞典ができたことに驚きました。
内容はどうしてもこうした事情があり、英語全般(特に、単語関係。英検1/準1程度の定義の語をどう採用して載せるか、等の話がバリバリ出てくる)のみならず、裁判関係、思想関係(当時の社会・政治思想等)、果てには他言語(から、英語に取り上げられたものに関するお話)などにも及び、いわば「文系版エジソンズ・ゲーム」といえるでしょうか。それが今の直流/交流の基礎を築いたのと同じように、この辞典も今でも息づいているからです。
採点は下記0.2の減点で4.8、5.0まで切り上げました。ただ、大きな傷ではないと思います。
0.2 … もちろん、「今の」私たちには、国語辞典(英和、英英)がどれだけ大切か、そのことは十分わかるのですが(もっとも、今ではネットのフリーコンテンツで調べる人も多いですよね…)、あの当時は「ふーん、そんなのもあるんだ」という人(使えればいいでしょ、なんであんな何年もかけて何冊もかけて(a~c、d~f…というようにアルファベット順で何冊にもなっていた。今ではiPhoneアプリ等だとそんなことは気にならない)作らなきゃいけないの?(=作るのは自由だけど、出してどうするの?)という、至極当時の「一般市民」が思うであろう観点からの描写があまりなく、もっぱら「出版社と協力者」側の視点からであったために、ちょっとこの点、その「当時の国語辞典(=英英辞典)はどれだけ需要があったのか、そもそも(一般大衆に)評価されたのか」という点の描写が薄かったです。
ただこれも常識的に考えれば、確かにアルファベット順で10冊もあれば「本棚にしまうのも面倒」というのは分かりえても「いつかは役に立つ、今は邪魔だけど、50年、100年単位でみれば国語(=英語)の発展に役に立つ」と一般の市民層は考え得たはずであり、そこはまぁ、読み取ることができうるかと思います。
頭では楽しめるのですが、心が・・・私の場合
辞書を作成するプロジェクトの苦難と栄光がメインテーマ、罪へのゆるしがサブテーマ。
『ことば』に対する絶対的な信頼が、欧米の文化の根底に流れていることを、改めて感じさせる科白が散りばめられていました。日本をふくめ、欧米の政治家の『ことば』の軽さを見聞きするにつれ、こうした『ことば』信仰は劣化していくのか、という思いを抱きながら映画を鑑賞しました。
『ことば』信仰は、東洋的な多神教とは違う中東欧米の一神教と双子の兄弟であるとともに、民主主義や科学という思考方法のベースとして必須のものだと思います。もし『ことば』信仰が薄れている、そしてますます薄れていくとすれば、現代を支えるそうした文化にも大きな変動がもたらされるのでしょうか。
『ことば』の劣化が激しい時代だからこそ、この映画がつくられた意味が大きいのでしょう。
ただこの映画、最中はストーリーの展開にのめり込んで観ることができるのですが、終わってから何かが足りない感じがしてなりませんでした。その理由をよく考えていくと、私の場合、どの登場人物にもあまり感情移入ができていない事に気付きました。
辞書編纂を中心となって進めるマレーの物語と、統合失調症で殺人者のマイナーの物語を絡めながらの2時間。でも、そんなに欲張らずに、マイナーの物語を深く掘り下げて、文字を学ぶイライザの変化と絡めた映画にした方が、伝わるものが大きかったんじゃないかな、と思います。どうでしょうか。
言葉の翼があれば自由になれる
日本国語大辞典の刊行が始まったのは1972年、その1世紀近く前に大英帝国ではオックスフォード英語大辞典の刊行が開始された。この英語大辞典、通称OEDと呼ぶらしいが、殺人犯が関わっているとの予告編を見てからすごく興味がわいた。しかも問題児のメル・ギブソンとショーン・ペンが共演するというんだから見逃すわけにいかない。
原題がprofessor になっているのにどうして博士なんだろうと思ったらマレーは学位を持っていなかったんだね。学位を持っていなくたって精通している言語の数がすごい。十数言語以上理解できるんだからとんでもない才能で、フランス語など他の言語由来の単語が多い英語の辞書編纂者にはうってつけ。
異色の言語学者と殺人犯の奇妙な友情の物語と思っていたら、殺人犯マイナーの贖罪の物語でもあった。
マイナーがアメリカ北軍の軍医として従軍しているときに悲惨な事件があり、精神がおかしくなったらしい。その後、イギリスに渡り、アイルランド人に襲われるという強迫観念のせいで通りがかった男性を射殺してしまう。が、マイナーは、刑務所ではなく、精神病院に収容される。
この男性には、5人の子供と妻がおり、マイナーは自分の罪の重さに向き合い、残された家族に対する経済的な支援を申し出る。ここから先の話は、出来すぎているから、映画用の脚色かも。
メル・ギブソンは辞書編纂に人生を賭けている言語学者を見事に演じていたし、ショーン・ペンはそれを上回る鬼気迫る演技で圧倒された。この2人だから逆でもよかったのかも。
いろいろなエピソードがあって、興味がそそられたし、英国人らしいウィットに富んだリベンジも鮮やか。チャーチル裁きもこれまたキレイに決まって見事なフィニッシュ。
「言葉の翼があれば自由になれる」この言葉は響いたな。教育は未来へのパスポートであることを再認識した。
とても面白かった。
【”言葉の翼”を持ち、英語圏に貴重な足跡を残した”交わる筈のない”二人の男の物語。二人と関わる二人の女性の振舞いと、19世紀の意匠が印象的な作品でもある。】
ーある晩、PTSDに依る狂気に取り付かれた男:元アメリカ軍医師マイナー(ショーン・ペン)は、誤って罪のない男を射殺してしまう。その男には妻メレットと幼き子供が6人居た・・。
一方、スコットランドの貧しい仕立て屋の息子マレー(メル・ギブソン)が、その豊富過ぎる言語知識故に、夢叶い、オックスフォード英語大辞典(OED)の編纂責任者に抜擢される所から、物語は始まる。-
■印象的なシーン
・マイナーは精神病院に収監されるが、守衛の一人が大怪我をしたときに戦時を思い出し、正気に返りその男を救うシーン。
ーマイナーの姿を見ていた別の守衛マンシー(エディ・マーサン)は、その後、マイナーとメレットとのやり取りを取り持つようになる・・。ー
最初は拒絶していたメレットだが、マイナーからの謝罪の意を込めた援助の数々に徐々に心を開いていくシーン。
特にクリスマスのシーンが良い。マイナーが戦火で心を病んではいるが、元々は健全な心の持ち主であることが分かる。-
・マレーの辞典編纂過程で、17,18世紀の言葉のデータが決定的に足りない時に、マイナーから送られてくる膨大なデータ(紙片に記されている)。
そして、会う筈のない二人が初めて会うシーンと、その後の二人の間に育まれていく行く絆の幾つかのシーン。
ーマレーもそうだが、マイナーの驚愕の語彙力と読書量には、脱帽する。知的好奇心が擽られるが、残念ながら私には、概ね分からない・・。-
・マイナーとメレットが初めて会うシーンから、徐々に距離を縮めて行く過程。文盲だったメレットに少しづつ言葉を教えていくマイナー。
だが、彼女からの2通目の手紙を読んだ彼は・・・
-”あわわわ・・” 男だったら、物凄くイタイシーン。だが、マイナーの人間性と狂気性が分かる。現れるメレットの夫の亡霊・・。-
・マイナーがメレットの子供たちの名前を一人一人言いながら挨拶するシーンで、長女だけが、マイナーの頬を引っぱたくシーン。そして、その後マイナーが裁判にかけられた際に、メレットが彼を擁護する言葉を述べる際に、頷く姿。
ー”マイナーを時間がかかったが、漸く赦せたんだね・・。”
ここでの、韓国や日本に根付く”恨(ハン)”の文化とキリスト正教に基づく”赦し”の文化の違いを受け入れるかどうかで、今作への受け止め方は違って来ると思われる。-
・マレーの辞書編纂に犯罪者マイナーが関わっている事が分かり、任を解かれるシーンでマレーの妻エイダ(ジェニファー・イーリー)がオックスフォード大の関係者たちに ”特にマレーの出自、人種に偏見を持つ人物二人に向け” 話す言葉。
ーこのシーン、とても良い。怒りを込めた言葉を静かに笑顔を浮かべ話す姿。沁みる。ー
<二人に対する様々な横槍の中、妻の進言もあり、オックスフォード英語大辞典編纂の仕事に戻ったマレー。
そして、病院長の無理な治療により、強固症になってしまっていたマイナーが”ある人物”の行為で、正気に戻るシーン。
夫を殺されたメレット・イライザとマレーを支える妻エイダの言動がこの作品を、より感慨深く、見応えの有る作品にしている。
重厚で、見応えある作品であると思います。>
憎悪、贖罪、愛情、友情
1872年、オックスフォード英語大辞典をつくるに当たり編集者に選出された学位の無い男と、アメリカ人の元軍医の話。
ロンドンで何者かに追われる恐怖から人違いで男を射殺し、精神科病院へ収監されたマイナーと、スコットランドの仕立て屋の息子で、自力で学習して仕事を手にしたマレーが、人手と時間が足りない中で、仕事を成すために単語とそのルーツを公募するも行き詰まり、という状況で繫がっていく。
これが事実ですか?という程の、さだまさしの「償い」もびっくりなストーリーに興味津々。
更には時計じかけのオレンジもびっくりな展開でオトされてという、まさかの波瀾万丈ストーリー。
観賞前は正直、辞典づくりというところからそれ程惹かれる物があるとは思っていなかったけれど、すっかり作中に引き込まれた。
「赦す」ことの尊さ、言葉が持つ重み
学位も持たないMurray(ただし驚異的な言語知識を持つ)と、殺人を犯して精神病院に強制入院させられているDr.Minorのoutsiderな2人が、今も権威ある大辞典のオックスフォード英語辞典の編纂を担ったことはひとつの奇跡。
権威や家柄など本質より形式を重んじる日本のアカデミーでは絶対にありえない話だ。
欧米では近代国家の成立とともに精神疾患者を「狂人」として社会から「排除」する動きが急速に拡大していく。この時代で殺人に対する精神疾患を理由とした無罪判決は個人的にはとても印象的な出来事。対して日本では最近でも殺人行為において精神疾患での免責を与えることなく、早期の司法判断後に死刑権力の行使が積極的になされている気がする。
Dr.Minorの精神疾患治療に対する当時の残虐な治療方法には目を覆いたくなるばかりだ。まるで悪魔払いのような治療方法で、20世紀入ってもロボトミーやショック療法など患者が動物のように扱われていた悲惨な歴史がある。
そして、殺人行為に対する「赦し」について。Elizaのとった行動は日本人には理解しがたい行為かもしれない。
家族を殺した殺人者には応報感情を抱き、直接コミュニケーションを取ることは日本では今も考えにくい。たとえ家族が赦そうにも、おそらくメディアや社会が許さないだろう。
対して欧米ではキリスト教文化からの「赦し」という行為が受け入れられる文化的な土壌があるのかもしれない。
辞書は単に言葉の意味を伝えるだけではなく、生まれた背景や歴史を辿り、その言葉の持つ精神性を後世に伝えていく大きなミッションがあるよう。
とても深みのある、さまざまな社会的論点について考えさせられる作品。
言葉の重み、進化
英単語に詳しく単語が持つ複数の意味合いなどの知識があればこの作品への理解が深まるように思える。
残念ながら英語に詳しく豊富な知識があるわけではない為所々理解ができないシーンや台詞はあったが、マレーとマイナーの各々の人生にフォーカスを当てながら作品を観るスタンスでも非常に楽しめる。
日本語は世界的にも最難関の語学だなんてよく言われるがこういう作品を見ていると英語も中々複雑で非常に難しさを感じる。当初は作中でも5年以内にはとマレーは発言してたが、完成させるまで次代の者に引継ぎ含め70年。この数字だけでも言葉の重み、歴史の深さを感じさせられる。
マレーのパートは比較的見易いのだがマイナーのパートは中々複雑。戦争で心のバランスを失い人を殺めてしまう。その被害者家族を自身の生涯を捧げることを誓いサポートすることで被害者の妻と互いに恋に落ちてしまう。マイナーだけで一つの作品を作れるのではないかと興味を惹かれる人物背景である。
マレーとマイナーという2人の偉大な人物を一つの作品で描かれている為とても展開も早く見応えのある作品と個人的には感じた。
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