「ゴッホの大展覧会」ゴッホ 最期の手紙 曽羅密さんの映画レビュー(感想・評価)
ゴッホの大展覧会
「世界初、全編が動く油絵で構成される珠玉のアートサスペンス映画」という触れ込みの本作だが、全編が動く油絵で構成されたアニメーションという意味では世界初の試みではない。
ロシアにアレクサンドル・ペトロフというアニメーション作家が存在する。
彼はガラス板に油絵を描いてそれを撮影して、変更部分を消してまた油絵を描くという技法で作品を発表している。
ただし描画、撮影、編集の全てを1人でこなすためおのずと膨大な時間がかかるため作品は少数で尺も短い。
第72回アカデミー賞短編アニメ賞を受賞した『老人と海』が最長の作品になるが、それでも50分である。
それ以外は『雌牛』が10分、『おかしな男の夢』が20分、『水の精 〜マーメイド〜』が10分、三鷹の森ジブリ美術館ライブラリーにも収録されている『春のめざめ』が28分である。
本作は96分もの長編だが、125人もの画家が分業して油絵を描いたからこそ成し遂げられた賜物だろう。
唯1人の日本人として参加した古賀陽子がゴッホの絵柄に近付けるために3週間もの研修期間を経験したようだが、やはり125名それぞれの画家の個性は如実に現れているように感じた。
日本をはじめ世界中のアニメでも各パートでアニメーターの個性が出る場合があるので、それと変わりはないのだが、ペトロフという1つの個性が炸裂させる唯一無二の完全なる世界観をひとたび経験してしまうと本作の各画家の画調の違いにどうしても目がいってしまう。
またペトロフが0から油絵の映画を制作するのに対して、本作は俳優を起用してまずは実写撮影をしてそれを油絵に直す手法を用いているので、同じ油絵という以外両者の共通項はほぼない。
とは言え本作における何層にも塗り重ねられて所々盛り上がった箇所のある油絵はまさにゴッホの筆遣いを感じさせるものである。
小林秀雄は『ゴッホの手紙』を読んで文学者の視点からゴッホを高く評価したようだが、いまだ読んでいない筆者としては彼の描いた作品から彼を眺めるしかない。
ゴッホを扱った映像作品は100作品を優に超えるらしく、監督のドロタ・コビエラと制作兼共同監督のヒュー・ウェルチマンは映像作品や資料などをできる限り渉猟し、ゴッホは本当に自殺したのかを疑う近年の議論を踏まえて本作を創り上げたようだ。
珍しいところでは黒澤明の『夢』ではマーティン・スコセッシがゴッホを演じていた。
ゴーギャンとの共同生活と諍いからの別れ、精神病院への入院、そして自殺、アルルへ移住以後オーヴェールで果てるまでの一連の流れはあまりにも有名である。
そのくせ、実際にはどのような人物とゴッホが交流があったのか実際には知らなかったので、本作ではそこも含めて興味深く鑑賞することができた。
マルグリット・ガシェ役のシアーシャ・ローナンは『ブルックリン』に主演したこともあって本作の俳優の中では一番旬だと思うが、筆者としてはライアン・ゴズリング監督作の『ロスト・リバー』でのヒロイン・ラット役で見せた純粋な少女の演技を推したい。
去年東京都美術館で開催された『ゴッホ展 めぐりゆく日本の夢』において展示されていたガシェ家の芳名録には多くの日本人の名前が記載され、戦前からゴッホ終焉の地オーヴェールに数多くの日本人が訪れていることを知った。
こちらが申し訳なくなるくらいに日本に憧れを抱き、浮世絵を模写した油絵も数多くあるゴッホを嫌いな日本人は殆どいないだろう。
2010年にも国立新美術館で『没後120年 ゴッホ展』が開催され、大規模なゴッホ展が久しぶりであったこともあり平日でも会場は込み合っていたことを良く覚えている。
さすがに本作にも登場するような有名な絵は殆ど展示されていなかったが、それでもゴッホを感じるには十分な絵が100点以上もある大規模な特別展であった。
そして本作は内容よりもやはり動く油絵に目を奪われる作品なのではないだろうか。
各所にゴッホの名画がちりばめられている。
アルル中心のカフェ・テラスを描いた『夜のカフェ・テラス』に始まり、アルル時代の『ゴッホの寝室』、アルマン・ルーランが事情聴取に足を運んだ『夜のカフェ』、パリの『タンギー爺さん』『ローヌ川の星月夜』、オーヴェール期の『医師ガシェの肖像』『鴉の群れ飛ぶ麦畑』『オヴェールの教会』などなど、殆どの場所やそれぞれの登場人物にほぼ元になるゴッホの絵が存在する。
そしてオーヴェールを離れるアルマンが車窓から眺める景色の最後では、ゴッホが敬愛したミレーの絵を模写した『種まく人』が映し出される。
本作では主役を山田孝之が日本語に吹き替えていた。
声を聞いてすぐに山田だとわかったが、それにしてもあっちこっちで引っぱりダコなその人気ぶりを今さらながら実感する。
結局真相は明かされないまま物語は幕を閉じるが、動く油絵を鑑賞した余韻が胸に残る。
美術館でゴッホの展覧会を観たのと同じような感覚に近い。