おクジラさま ふたつの正義の物語のレビュー・感想・評価
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ぶっちゃけ話し合いより実力行使
サブタイトルに「ふたつの正義」という文字が使われているが、太地町の漁師からすればクジラやイルカを取るのは正義でもなんでもないだろう。
ただの伝統と生きる糧、それに尽きる。
監督は佐々木芽生、意識しないで観ていたが、実は彼女の前作に当たる『ハーブ&ドロシー』『ハーブ&ドロシー2』をともに観ていることに後から気付いた。
ニューヨーク在住の世界的に有名な現代アートコレクターの老夫婦の生活を追った素晴らしいドキュメンタリー映画であった。
筆者が小学生の頃はまだクジラの漁獲量が大幅に制限されていなかったため時々学校給食にクジラのステーキが出ていたし、当たり前のように魚屋にも鯨肉が置いてあったので食卓にのぼる時もあった。
漁獲量が制限され始めてから段々に見かけなくなりいつの間にか見なくなった。
筆者個人としてはクジラのステーキは固くてそれほど美味しくなかった印象がある。(クジラの刺身は美味しいと思う)
とはいえ国際的な取り決めでいざ食べられくなると寂しく感じたし、小学生ながらどうして日本のやることに一々文句を付けるのかと憤慨していた。
もう今から10年近く前になるだろうか、熊野古道へ家族旅行に行った際に一日雇ったタクシーの女性運転手が太地町の出身だったため、薦められるままに太地町の大衆食堂に寄ってクジラ料理に舌鼓を打ったことがある。
小学生の時の記憶とは違ってやはり地元で美味しい料理方法を知っているせいかかなり美味しかった。
その折にクジラと言ってもイルカの肉だということを運転手さんから教えてもらった。
筆者は北京留学中に犬もサソリも羽化しかけの鶏の卵もなんでもござれで食べていたので、イルカを食べていることには全く抵抗はなかったが、事実を知った母の箸はやはり止まった。
おそらく大半の日本人もイルカを食べることへは抵抗を感じるかもしれず、これだけは太地町の人々は慣れているとしか言いようがない。
その後やはり運転手さんから薦められてくじら博物館にも足を運び、展示物から捕鯨の歴史を学び、水槽ごしに腹びれイルカの「はるか」と戯れ、最後は観客に凄まじく水しぶきを浴びせるシャチやイルカの芸を観て館を後にした。
それが2009年に『コーヴ』という映画がアカデミー賞を受賞してさらに国際世論が厳しくなった。
筆者はまたか!としか思わなかったし、内容を聞いて『コーヴ』を観てもどうせ胸糞悪くなるだけだろうと思っていまだ観てはいない。
2015年には『ビハインド・ザ・コーヴ ~捕鯨問題の謎に迫る~』という反論映画も制作されているがこちらも未視聴だ。
満を持して本作を観たことになる。
監督は話し合って何とか落としどころがないかを探っているように感じられたが、結論から言うとそれは無駄である。
特にシーシェパードのような環境テロリストには反撃して来ない日本は格好のターゲットなだけである。
まず断言できるが、もし日本が捕鯨をやめたとしても次はマグロを捕るな!などと新たな難癖を付けてくるに決まっている。
それに話し合いで解決するなら北朝鮮問題など今頃とっくに解決している。
シーシェパードは申し訳程度に一度だけ捕鯨しているノルウェー船を攻撃したことがある。
しかし白人は白人の対処方法を良く心得ているもので、代表のポール・ワトソンを捉えて報復としてきっちり半殺しにした。
これ以降彼らはノルウェー船を襲わなくなった。
日本の調査捕鯨で漁獲するクジラは年間500頭だが、実は韓国ではたまたま勝手に網に引っかかったという理由で年間2000頭(多い年は2700頭)も捕獲している。
ただ韓国人も激しい性格だから半殺しぐらいは平気でされると思ってかシーシェパードは全く手出ししない。
攻撃したら下手すると殺されるかもしれないロシアは言わずもがなである。
筆者も北京留学中各地を一人旅したので実感しているが、人をよく脅す人間は逆に脅し返されることや毅然とした態度に弱い。
実際に手を出すかは別にしてやられたらやり返す精神は絶対に必要である。
本作に登場するシーシェパードの一員が捕鯨を黒人奴隷制度に喩えて伝統でも我々は間違っていればやめたと豪語していたが、昭和時代まで銃でアボリジニ狩りをしていたオーストリア人がどの口で言うのかとわが目を疑った。
さすがにアメリカもインディアンの捕鯨を妨害する彼らの横暴ぶりを庇いきれなくなったのかついに彼らを「海賊」に認定し、本作でも描かれているように日本での活動もできなくなりつつある。
カナダでは毎年アザラシの赤ちゃんを棍棒で叩き殺して商業用に皮を剥いでいる。多い時は2日で15万頭も採るらしい。
しかもあまり生死は確認しないから生きたまま皮を剥ぐことも多く、剥いだ肉を食べるわけでもない。YouTubeで見られるが目をそむけたくなる映像である。
肉から何から全てを無駄にしない日本の捕鯨とは大違いなのだが、こちらは国際的に非難されていない。
おいおいどんなダブルスタンダードだよ!と筆者は突っ込みを入れている次第だが、このアザラシ猟を妨害したとしてシーシェパードはカナダでの活動も制限されつつある。
またワトソンがすでに声明を出しているが南極海の日本の調査捕鯨を今後は妨害しないらしい。
理由は軍事級の高い衛星技術を用いて日本船が彼らを回避するようになったことと、マスコミでは「共謀罪」と忌み嫌われたテロ等準備罪の成立により資金調達が難しくなったかららしいが、国際指名手配されているワトソンの身柄引き渡しを潜伏中のフランスに日本が求めているので案外そういったことにただビビっているだけかもしれない。(フランスは要求を無視している)
本作によると黒人奴隷うんぬんを豪語した父と「恥を知れ!」と太地町の漁師を詰っていた娘も金の切れ目が縁の切れ目なのかシーシェパードを脱退している。
オーストラリアでは増え過ぎたクジラを狙ってサメが港湾に入ってくることでかえって人間が襲われる事例が増えている。
さすがに一種族だけを保護する愚かさに気付き始めるかもしれない。
本作の最後に太地町の町長がイルカやクジラの研究施設を作りたいと構想を語っていたが賛成である。
イルカを豚や牛のように家畜化できるようになれば論理的には欧米の身勝手な難癖をはねのけられる。
品種改良して太地町ブランドのイルカ肉として売り出す斜め上の戦略も手である。
本作で映される太地町の港はまるでCG顔負けの美しさである。そんな港が活用されるのはなんだかワクワクする。
遠からずシーシェパードはどうでもいい存在になりそうだが、本丸を突き崩すのはまだまだ先になりそうだ。
捕鯨についての現状を知る事で過去を振り返り未来について考えさせられる映画
捕鯨問題について、大地町での対立を対話へと導くことの困難さ、視点の違いによる会話のかみ合わない様子について、具体的に観て知る事ができた。ふたつの正義はどこまでも並行線、水と油のように混じり合わないけれどもどちらも大切なことのように思えてくる。答えはでない。佐々木芽生監督と登場人物のアメリカ人ジャーナリストのジェイ氏の冷静な目線と配慮のある対応の中に大切なヒントがあるようにも感じた。益々グローバル化する世界へ向けて、伝統文化を日本人としてどのように説明できるのか、発信できるのか、捕鯨問題に留まらず諸々考えさせてくれる。佐々木監督の著書「おクジラさま」を読んでから観ると更にそれぞれの正義を知ることができて想像は膨らみ、多様な人々のそれぞれの物語を感じさせてくれる。映画も著書も心に残るすばらしい作品。
対立軸の〝グラウンド・ゼロ〟
絶望的な敵対関係の様相を何とか紐解きたいという意思の中で逡巡する作品。
人間の本質の一端が覗けるようなドキュメンタリーに仕上がっている。立場だけではない、それぞれの思い、それぞれの信念、そして未来への思惑が入り乱れ、混沌がそこには渦巻いている。そんな暴風雨の中で、一人のアメリカ人ジャーナリストが単なる好奇心だけで太地町へ飛び込み、町人と接することでボタンの掛け違いを解き明かす努力を続ける。
お互いが『正義』を主張し、相手を屈服させようと激しさを募らせる。しかし、その実、お互いが後ろめたさも又内包しているので、それを隠すために通常以上のオーバーアクションを起こさざるを得ない。全くもって馬鹿馬鹿しい顛末である。
とことん不完全な動物である人間の浅はかさを見せ付けられる作品だ。只、ドキュメンタリーとすれば、もっとお互いの深いところの本音を引き出して貰いたい、そんな欲求を感じさせられた。
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