女は二度決断するのレビュー・感想・評価
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心をえぐられる
夫と子どもを一瞬にして奪われ それも
テロによって殺されたら
これは家族を持つものにとって本当に
苦しい映画だった
私も夫や子どもがいるので
完全の主人公の彼女の中に入り込み
苦しんでもがいた
今 あちらこちらでテロや戦争が起きていて
映画の主人公のようなひとびとが
世界に多くいることか
私も考える
もし私が彼女だったら?
私も彼女のような行為をするかもしれない
身内 とくに子どもを失う悲しみは
母親にとって どんなにつらいことか
しかし
この時代 いつ誰がこのような悲劇に遭遇しないなど
誰が想像できるだろうか?
彼女の悲しみ 怒り 苦悩を主演のダイアン・クルーガーが
見事に演じている
裁判のシーンも圧巻で
犯人の弁護士が彼女たちをやりこめるシーンは
本当にイライラし腹がたったが
これが裁判なのだ
真実を暴くのではなく
いかに自分の弁護する人物を無罪にするか
それだけだ
母親である彼女の心の叫びが
痛いほど伝わって来た作品だ
複雑な問題を単純明快な物語で─
画質が非常に美しくて、分かりやすいストーリーとともに、非常に見やすかった作品。扱っている問題の根は深く、なかなか難しい作品かと予想してしまうけど、終わってみれば意外と単純明快で、難しさはそれほど感じない。
結末は短絡的なもので、正直、誰もが最初に思いつくオチだと思ってしまったけれど、それが一層現実問題へのやるせなさという思いを強めているような気がした。
そうはいっても、あまりに話がシンプル過ぎはしないか…
サムライ カミカゼ
日和ったかな?と思ったら弁護士の「終身刑を喰らわせろ!」の一言でドーン!復讐完遂でスッキリしました。
国境がないに等しいEU圏では、民族主義的な人達のストレスの受け皿が増大することは理解できる。英連邦のEU離脱、カタランの独立運動、ギリシャとマケドニアの国名を巡るゴタゴタ等。
法の支配は大切だが万能ではない事を示す内容で考えさせられる。
強烈・参った・腹立たしい
アキン監督に円熟味が出てきた。
これまでは清々しさ、希望感、青臭さみたいなものがあって、それが観たあとのスッキリ感につながっていたのだけど、
今作ではそういうものをかなぐり捨てていて、だから強烈な表現になっている。
それはきっと歓迎すべき円熟なんだろう。
なんとも見も蓋もない物語。
好きなタイプの映画ではない。面白い映画でもない。感動するわけでもない。とにかく腹立たしい。そして、とにかくお腹がいっぱいになる。そういう意味で満足。
つまり、「腹にくる」作品ですね。
こんな作品を作ってしまって次は何を作るんだろうか。
迷い
爆弾テロによりトルコ人の夫と息子を失ったドイツ人女性の話。
唐突に事件が起こり家族を失ったばかりの主人公に対する警察の質問や旦那の親の身勝手な言い分が不快で悲しい。
ドイツの司法制度は良くわからないし直接的には語られないが明確な証拠を示せない裁判に苛立ちとモヤモヤが募る。
最後はそれ程衝撃的ではないし、やり残しがあって煮え切らない感じがしたが、裁判とその後の主人公の感情を時に直接、時に間接的に表現し結末に向かって行く展開は良かった。
2018.4.4 Filmarks試写会 東京ドイツ文化センター ...
2018.4.4 Filmarks試写会
東京ドイツ文化センター
コーヒー飲みに来て、って言われても行くことは絶対ない。
友達、赤ちゃん連れてきてタンポンもらって会えてよかった、ってトータル何しに来たんだよ。
「あなたがそばに居たらロッコは助かったのに。」と言い捨てる旦那の母親。
爆弾仕掛けた犯人の弁護士の追い詰め方。
爆発の衝撃によって身体がどうなったのか細かく淡々と述べられた内容は
これ以上ない程痛々しく悲惨で
犯人は確実にあいつなのに同じ空間に
どういう気持ちで座ってる?と、
気が付いたら手を強く握りしめてて震えてくる程だった。
判決が確定した瞬間のグラつく背景。
ホテルに泊めたと証言したグルの男が急に襲い掛かるとこは超怖かった。
時間配分とかカメラワーク、何度も確かめる留守電。一人で過ごす一つ一つも無駄がない。風に揺れる麦畑?に居た時にカティヤは何を思っていたのか。
試写会終了後のトークショー面白かった。
ダイアン・クルーガーのこと。
1950年〜1970年の時代背景や
そういう社会の状況が"映画"に深く関わっていること。
復讐劇を描いた作品の話。
あえてあのラストにした意味。
ママ来てお願い。
人種差別&移民排斥はネオナチ以外にも存在する
人種差別&移民排斥に端を発するネオナチテロで家族を失った女性の復讐譚…と書けば聞こえはいいが、実はその意識は犯人以外の一般人にも根付いているという実態がこの映画の一番怖いところ。
それは、女性の「最後の決断」を持ってしても消えないのかも。
全3章ではそれぞれカメラレンズを変えて撮影。終始天候がぐずついてる1~2章に対し、快晴シーンをソフトレンズで捉えた最終章が活きている。
だからこそ余計、「最後の決断」が重く映る。
名作三本分に値する一本
三大映画祭に愛されるのも納得。
それぞれの章で骨太なテーマが語られる。
第1章:カンヌ好みの家族劇
愛する旦那は義母の息子であり、愛する息子は孫でもある。
第2章:ベルリン好みの社会派法廷劇
正義とは?被害者のストレスを描くと共にスリリングな駆け引きも堪能。
第3章:ベネチア好みの人間劇
罪と罰と、それに対する贖罪。
《ここからはネタバレの可能性アリ》
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ラストの衝撃で語られがちだとは思いますが、単なる復讐劇では無いことを断言しておきたいです。
決して全てを失って自暴自棄になっていたのではなく、彼女の時間は確実に動き出していた。(鳥、風、生理)
フラットな判断能力を取り戻してからの冷静な決断だったがゆえ、人間が人間を裁く時の責任を取ったのだと思う。
ストイックなサムライだ。
二度目の決断が心に刺さる
テロリストによって家族を殺され、全てを失った女性が犯人に立ち向かっていくサスペンス
そのテロリストというのが、外国人を標的にしたネオナチで、主人公カティヤの夫がトルコ系移民だったことから、標的にされてしまう
ファティ・アキン自身がトルコ系移民の息子ということもあって、この作品はとても身近な出来事として描かれている
また、その「外国人排斥」の動きは、ドイツだけに限らず、ヨーロッパ全土に広がる動きとして描かれていた
その中で、この映画をとても印象的にしているのは、その構成
この映画は、三部構成で作られていて
家族 → 裁判所 → 海
へと舞台が移動していく
もしも、極右団体の主張が正しく、法で罰することができないとすれば
彼らが外国に行った場合、カティヤの夫と同じ立場に立たされるということではないのか…
そう思いながら、この映画の第3部を考えると、極右団体の主張がいかにバカげたことなのかが分かる
そして、なぜ、カティヤは二度目の決断することになったのか
その答えが見えてくる
人はどこで生まれ、どこで生きようとも、みな平等なのだ
カティヤの決断に
心が強く締め付けられた作品だった
現代劇ながらニューシネマのような重厚な終幕が印象的な社会派ドラマ
元麻薬の売人だったトルコ移民の夫ヌーリと獄中結婚をしたカチヤ。出所後堅気の仕事を軌道に乗せたヌーリとの間に息子ロッコを授かり幸せな日々を送っていたが、ある日ロッコをヌーリの仕事場に預けて外出している間に爆発事件が発生、ヌーリとロッコは犠牲になってしまう。失意のどん底の中、警察の捜査に協力するカチヤは事件当日、事務所の前で1人の不審な女性とすれ違ったことを思い出す。
いわゆるサスペンス映画とは趣が異なっていて、愛する家族を一瞬で失ったカチヤが悲しみと憎しみの中でもがき苦しみながら真犯人を追い詰める様を「家族」、「正義」、「海」という三章に分けて残酷なまでに淡々と見つめ、移民に対する差別意識、ネオナチといった現在のドイツに巣食う闇の中を彷徨うカチヤが最後に辿り着く境地に胸が締めつけられる重厚なドラマ。あくまでも現代劇ですが作品が醸す雰囲気は70年代のノワールのそれで、日曜洋画劇場や水曜ロードショーのエンディングのように重く静かな終幕が印象的な傑作です。
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