女は二度決断するのレビュー・感想・評価
全114件中、41~60件目を表示
愛する家族を失った女の哀しい復讐劇
人種差別主義者によって夫と息子の命を奪われた女。
そう、愛する者を失っては生きて行けない。切ない結末だが妙に納得した。
ダイアン・クルーガーがカンヌで女優賞を獲った。幸せの絶頂から終焉まで感情の振幅を見事に表現した。世界を股にかけるクールビューティが母国ドイツの作品で獲ったのが嬉しい。
真の悲劇は国民VS移民ではなく、国民VS国民
サッカーW杯で韓国にすら敗れてドイツ代表はグループ最下位にまで堕ちてロシアを後にした。
代表選手の顔ぶれを見ても、ゴメスはスペイン系、ケディラはチュニジア系、ボアテングはガーナ系、エジルとギュンドアンはトルコ系と、元々のゲルマン系の白人ではない移民系が増えている。
本作は主人公カティヤの夫がトルコ系移民だったため混血の息子とともにネオナチのゲルマン系ドイツ人に爆殺されたのだが、そこまで深刻ではないにしても同じような事態がW杯ドイツ代表のトルコ系2人をめぐって起きた。
エジルとギュンドアンがトルコ大統領のエルドアンを表敬訪問した際に「我が大統領に多大なる敬意を」と書かれたユニフォームを手渡したことがドイツ国内で問題視され、代表から外すべきだと物議をかもした。
また彼ら移民系は試合前のドイツ国歌を唄わないことでも非難されている。
W杯で闘う前からすでにチーム内に不協和音を抱えていたと推測できる。
まさに映画は社会の縮図である。
なお余談だが、現在J1ヴィッセル神戸在籍のポドルスキもポーランド系移民であり、ほぼドイツ国歌を唄わなかったようだ。
たとえ高い技術や豊かな国際経験があっても国家代表が1つのチームとして機能しなければ試合には勝てないことを今回のドイツ代表が明らかにした。
同じゲルマン系民族の国家でもクロアチアのW杯代表がスーパースターはいなくとも1つの組織として団結して闘ったために決勝まで進んだこととは対照的である。
本作の監督ファティ・アキンはトルコ系ドイツ人で、自身の出自を作品に託している。
ただ、主演のダイアン・クルーガーがインタビューで明らかにしているが、ゲルマン系の白人ドイツ女性がトルコ系男性と結婚することは現在でもタブー視されているらしい。
ドイツは近年あまりにも難民を受け入れ過ぎて治安が悪化したため移民への見方が厳しくなり始め、移民制限を掲げるドイツのための選択肢(AfD)が議席数を大幅に増やしている。
そもそもドイツにトルコ系が増えたのは高度経済成長時代に人手が足りなくなった際、安易に労働移民としてトルコ人を受け入れたことに端を発する。
同じ頃日本も高度経済成長を迎え、今以上に人手不足であったが、日本は安い労働力としての移民に頼るのではなく、設備投資による生産性向上を推進することで高い経済成長率を維持した。
結局トルコ系労働移民がドイツに居着いてしまい、さらに家族も呼び寄せて世代を重ねるごとに人数を増やしている。しかもトルコ系はイスラム教徒であるためプロテスタントのキリスト教国であるドイツの国柄にはなじんでいない。
本作でも夫の両親はトルコ在住で、カティヤや彼女の母親との関係は決して良好ではなさそうに描いている。
また本作ではトルコ系移民の街で爆破テロが起きた設定だが、日本でも現在埼玉県の西川口が漢語の看板が乱立したチャイナタウン化し、日本人が寄り付かなくなっている。
あまり知られていないがドイツでは移民を受け入れたことで元々のドイツ人の給料も上がりにくくなっている。
監督のアキンもトルコ系ということで差別されてきたという。
移民受け入れで貧しくなった元々の国民とその国の言葉も満足に話せず差別され社会的な地位の低い移民の対立は避け難く、まずは互いに相争うようになる。移民は外部勢力にそそのかされる場合もあるが、自暴自棄になれば双方がテロを起こし、社会が不安定化していく。
現在日本でも自暴自棄になった人間が無差別殺人を起こしているが、移民が増えれば矛先は移民に向かうようになるかもしれない。
まさにアメリカ・イギリス・フランス・ベルギー・ドイツ、北欧各国など、欧米諸国でテロが増えているのも同じ理由である。
そしてもっとも悲劇なのは、経済的心情的理由から移民に肩入れする国民と移民に反対する国民が対立し、国家が分断されることである。
本作でも最大の対立はカティヤとネオナチの夫婦という、元々のドイツ国民であるゲルマン系の対立である。
イギリスのEU離脱、トランプ大統領の誕生、ヨーロッパの右傾化、すべては移民問題に対する元々の国民の揺り戻しである。
日本でも現在労働移民を増やす方向に舵を切り始めているが、このまま進めばおそらく相当な周回遅れで欧米各国の問題が日本で起きるだろう。
本作を観ていて改めて感じたのは、移民受け入れは元々の国民と移民、双方を不幸にするということである。
日本の未来がそうならないことを切に願う想いで本作を観ていた。
まずは我々日本国民が正しい知識を持って移民を拒否する意思を持つことが必要である。
人手不足でも生産性を向上させることで、少人数でも経済発展は可能である。労働力を安く使いたい資本家の嘘に騙されてはいけない!
筆者は愛する祖国が荒廃する姿を見たくはない!
労働移民に明るい未来が見えない度:10
ダイアン素敵でした
ダイアン登壇の先行プレミアで鑑賞。
ストーリーは三部構成になっています。
理不尽なテロにより、愛する家族を奪われた上に、裁判も納得のいくものではなく...これ以上ない悲しみをどこにぶつければ良いのか。
カティヤに感情移入してしまうので、テロ犯が本当に憎らしくって。それくらいダイアンの演技は情熱的です。
観終わった後、決して清々しい気持ちにはなりません。悲惨なテロ事件を社会に伝えるメッセージ性のある作品で、凄く心にズシンときました。
途中で小島監督も登壇。2人はノーマンのゲーム関係で知り合ったって!!ダイアンからノーマンの話が出て嬉しかったわ。
ダイアン美人なのに面白くてキュートな方でした!
二度?
日本人には理解できない政治色の強い映画だったのですね!
二度がよく分からなかった。原題は違うのかな?
すごいアクションがあるわけではない。残酷なシーン、目を覆いたくなるようなシーンがあるわけではない。俳優の表情に終始圧倒され緊張感をもって観ることが出来ました。
佳作
二度決断する、の二度ってなんだったのかなあ。裁判を始めるときの「絶対に有罪にしてやる」という決意と、最後の決断の2つなのかな。
2011年にドイツで起きた、NSU(国家社会主義地下組織)による爆弾テロが題材で、トルコ人の夫と息子を殺された妻のストーリー。
裁判で有罪が下されない部分は予告で見ていたので、どういう結末になるのかとは思っていたのだが、なかなかやるせなかった。みんな見てください。しっかり決着はつくけれども、すっきりしたものではないです。テロに巻き込まれた時点で、すっきりした終わり方になんてなるはずないよね。
極右的異民族排斥活動は、やはり、やってはいけないことなのだと思う。ありきたりな感想ですが。
1章「家族」2章「法廷」に続く3章のタイトルは「海」なんだね。舞台を言ってるだけともいえるが、海か・・意味深。海に帰るしかないのか…
とてもよかった
主人公が、犯人と同じ手段を用いようとしてためらい、それを潔しとせず自らの命も投げ出す。彼女が脇腹に武士の刺青を掘っていたのだが、武士道精神で卑怯なことが嫌だったのかもしれない。とてもかっこよかった。
ビーチを車で尾行していく場面がとてもハラハラした。
不条理の常態化への怒り
なぜ、我が夫が、我が子が!
その悲しみはあまりにも深く、憎しみはあまりにも大きい。共感できる。
しかし、自ら裁くことはご法度。
決断は、あまりにも悲しすぎる。不条理の連鎖という不条理。
熱演に見入る
少し前から気になっていた作品だったので鑑賞。ファティ・アキン監督の作品は本作が初。かなり考えさせられる作品であった。
ストーリーはテロにより夫と息子を亡くした女性の苦悩を描いたもので三部構成。
まず、主人公カティヤを演じたダイアン・クルーガーには脱帽。精神的に追い詰められる難しい役を見事に演じ、訴えかけるような演技であった。その他の俳優陣の演技も見事で役にはまってない人はいなかった気がする。
ストーリーは難解なものではなく、主人公のカティヤに焦点を当て、割とスローなテンポで展開される。カティヤが何を考えているのか、どんな精神状態なのかと常に考えさせられ、その後の展開を予想しながら鑑賞した。第2部から3部にかけてはスリリングな描写もあり、見ていて飽きることはない。
やはり、見どころは第3部「海」であろうか。二度の決断とその精神性を追うのにもつらい。スマホの動画を見て彼女は何を思ったのか。雨も涙も血液も全て海に流されて良かったのか。考えさせられることは多い。
ここまで主人公の負の感情を役者が体現した映画は今まで見たことがない。重いテーマを赤裸々にシリアスに描写し、ここまで我々に普遍的な問題を提示してくる映画も今まで無かった気がする。
ダイアン・クルーガーの熱演に圧倒され、世の中を顧みるきっかけを与えてくれる作品であった。
自然の包容力はやはり圧倒的
あれだけ裁判で胸糞悪い展開になったならば、ネオナチカップルを爆破せずには終えられないだろうなという、納得の結末だったわけだが、
注目すべきは一度の躊躇であろう。
理不尽な結果にいかに心を蝕まれようと、自然の、海の壮大さは、それほど巨大な復讐心をも包み込むものなのか...自然の清々しさが人間に及ぼす力はここまでのものなのか...やや信じがたくもあるが、人間同士の諸悪の緩衝材、人間の根源的な帰結としての自然の存在はやはり永遠のものなのだろうと、久しぶりに再認識させられた。
結局、彼女は自らネオナチカップルを道連れに爆死したわけなのだが、その納得の最適解に誘導したのも自然のなせるものかなと思うと、この映画は俄然爽やかな作品に思えてならない。
深く心に刻まれる
心が揺さぶられる衝撃の作品であり、ダイアンクルーガーの演技に魅了された。
絶望の中で葛藤する彼女の気持ちが痛いほど伝わり強く共感する。復讐に対して彼女がくだす決断、一度は思い止まる展開もあることで最後のシーンがより深く心に刻まれる。テロが及ぼす影響、決して他人事ではすまされない。
2018-105
ラストは賛否分かれるでしょう
まず邦題の付け方がネタバレ。これが残念。
舞台となるドイツの社会制度が日本と結構違うところや多民族国家で家族の形も日本と異なる姿は興味が湧いた。
冒頭の結婚式からして日本ではありえない?
また犯罪被害者に対する警察によるケアの方法、裁判の方法(刑事事件のはずなのになぜ被害者が闘ってるの?)とか。
裁判所の内装もハリウッド映画や日本のドラマに出てくるようなものと随分違うし、傍聴席?や透明パーテーションで区切られた席が後方にあったり。
そして主演のダイアンクルーガーがドイツ人と改めて実感する。強いし、でも弱いし、美しいし、そして恐ろしくスタイルが良い。ただタトゥーも入れまくるし、薬も酒もタバコもじゃんじゃん使うところは、日本のお行儀の良い美しさとは一線を画する感じ。
ストーリーは主人公に十分感情移入できるし、最後の行動も十分理解できるけど、賛否は分かれるでしょう。
原題は最後の主人公の行動の撮影方法にもつながるとのこと。
テロという重いテーマ 犯行の動機がまったく描かれてない 犯人の人物...
テロという重いテーマ
犯行の動機がまったく描かれてない
犯人の人物像や背景が語られないので、
物語に入っていけない。
これだけ見ると、犯人が悪者みたいな描き方。
脚本もっと力入れれば、見ごたえのある作品になったはず。
ラストの展開は、
観客にただ衝撃を与えたいだけのような終わり方で
低品質だと感じた。
主演女優の演技
悲しみ、絶望、怒り、苦しみ、、、裁判中の感情の複雑さが表情からひしひしと伝わり、見ていてとても苦しかった。被告人の弁護士の憎たらしさも素晴らしい。
一度目の決断を見たからこそ、二度目の決断には納得できない反面、共感もできてしまう。
事件があったとき、被害者に非は無かったのか、が取り上げられがちな昨今、被害者自身にどんな非があろうと、その人の大切な人が感じる、その人を失った悲しみ、苦しみの大きさは計り知れないものであるた改めて感じることができる。
最後は木にも火が移り燃えて行く。
破壊の連鎖は終わらないことを象徴しているように思えた。
復讐の連鎖を止める覚悟と懺悔
ざっくり言うと目には目を…の話なのだが、ただの復讐とは片づけられない深い痛みがあった。
カティヤが二人を殺し、「ざまあみろ」と溜飲を下げるだけではジョン・ウィックと同じだが、彼女は自分も同じ方法で死ぬことで結果的に復讐の連鎖を止め、更に息子に味わわせてしまった苦しみを、自らに課したのだと思う。
彼女の心の動きは推し量るしかない。
一度目の決断。
窓にぶつかる鳥を見て何を思ったのか。
トラックの下からリュックを取り出したのを見て、復讐を諦めたのかと安堵した人も少なくないだろう。
しかし、彼女に生理がきたことによって、彼女の止まった時間が動き出したことが暗示される。
それが前向きにしろ後ろ向きにしろ、緊張状態から抜け出し、自分の心に冷静に向き合えた時が来たのだと思う。
旦那の両親から投げつけられた暴言、実母の旦那への無理解、自分が糾弾された裁判での屈辱。
容疑者が犯人でないのなら、では誰が犯行に及んだのか。家族が死んだのは事実なのに、そのことがなおざりにされていく彼女の絶望は計り知れない。
映画は三部構成でメリハリがあるが、第二部の裁判での検察の手腕は甘く、防犯カメラやギリシャへの出国記録や入国記録など、徹底的に調べたのか?と疑念が湧く。
ネオナチというヒトラーの遺産が、移民受け入れの軋轢で押し出されるように噴き出す。
しかしヒトラーもヒトラー以上に過激思想なSSのコントロールに手を焼いていたことを考えると、ヒトラーという男が台頭しなくても、第二のヒトラーは必然的に生まれてきただろう。
ヒトラーという象徴は優位思想や選民思想、差別主義者の都合の良いスケープゴートになっている。彼ら自身から生まれた劣等感や憎しみであるにも関わらず、ヒトラーの影響だと言えば、あたかも彼のせいにできるとでもいうように。
カティヤは社会的な制裁を下すための長い闘いをやめ、個人的な闘いに持ち込んだ。それを一種の逃げととる人もいるだろうけど、彼女の痛みを一緒に分かち合った気持ちになった私には、あの一度目の決断から二度目の決断へ向かう心の逡巡を思うと、家族への懺悔と人生への絶望が強く迫り、とても責める気にはなれない。
カティヤの魂が一瞬でも救われたことを祈らずにいられない。
「決断」に至るまでの力強い裏付け
映画は3つの章立てで構成されていた。1つは夫と我が子を突然失った女のドラマ。そして2つ目は法廷劇。そして3つ、復讐に燃える女のドラマ。それぞれを単独で描いた映画作品はありそうだが(実際、いくつかはすぐに名前が浮かんでくる)、それらを3幕の物語として描くことで、映画が多面的になったような印象を受けた。それぞれの章ごとに主人公カティヤの違う顔が見えてくる。そしてその都度カティヤの思いが角度を変えて突き刺さってくる。夫と子供を失うことは、悲しみだけではないし、怒りだけでもないし、嘆きだけでもないし、復讐心だけでもない。喪失感だけでも寂寥感だけでもないし、正義でもあって理不尽でもあるような。言い尽くせないカティヤの感情が、それぞれの章で様々な形で切り取られ、そしてカティヤという一人の人間の生々しい思いが膨大しながら形成されていくかのように感じられた。そして、そうやって出来上がったカティヤの生々しい思いが、終盤で訪れる「決断」の確かな裏付けになったところに感動を覚える。
物語には、ネオナチを取り上げてもいるし、差別や偏見についての風刺や、正義の定義など、タイムリーに議論されている事柄も盛り込まれているけれども、それらをすべてカティヤの心を通して描いたことで、社会の問題ではなくて個人の問題にまでぐっと引き寄せられ、この世界の「今」をダイナミックに感じる作品になったように思う。家族を失ったカティヤの正義と復讐のドラマとしてみているつもりが、感情が揺り動かされるたびに、この世界の「今」について、魂が何かを感じてざわざわしてくるよう。なんだかこの映画の志の部分に、ちょっとしたジャーナリズムまで感じてしまった。
そしてそういった役割を一手に担った主演女優ダイアン・クルーガーの魂の演技がまた良かった。クルーガーのことは前々から好きだったけれど、今作の演技はとりわけ良かった。瘡蓋を剥ぐようなカティヤの魂の痛みを文字通り全身全霊で演じる気迫。二度目の決断に至るまでのカティヤの心の葛藤がきちんと表現されていなければ成立しない結末だった。それを体現したクルーガーが最高にクールだと思った。
本編とは直接関係しないことかもしれないが、邦題には幻滅させられることが多い昨今で、「女は二度決断する」はなかなかどうして引きの強い良いタイトル。ついついこの邦題を下敷きにしてこの映画を解釈したくなってしまうほど。この邦題を付けた人は、カティヤの下した一度目の決断と二度目の決断に強い感銘とインスピレーションを受けたのだろうなぁと思うと作品への愛情を強く感じて、そこも含めてこの映画を好きになりたくなった。
タイトルの真の意味に感嘆。ヒロインの孤独な苦悩と葛藤。
【賛否両論チェック】
賛:最愛の家族を奪われた主人公の、失意・絶望・怒りといった感情が赤裸々に描かれ、そのやり場のない哀しみが胸を打つ。衝撃的なラストにも目を奪われる。
否:ストーリーは終始淡々と進むので、興味を惹かれないと眠くなってしまうこと必至。
理不尽な事件で最愛の夫と息子を奪われ、しかも捕まった犯人が法廷で否認を続け、次第に形勢が不利になっていってしまうという不条理。主人公の動揺と葛藤そして苦悩を、ダイアン・クルーガーが迫真の演技で表現していく様に、思わず圧倒されてしまいます。
ただ展開そのものは、ストーリーを淡々となぞっていく雰囲気で進むので、観ていて退屈してしまうかも知れません。特段突拍子もないことが起こるわけでもないので、眠くなってしまう可能性もあります。
しかし、そんな物語の最大の見せ場は、その衝撃のラスト。そこに含まれたタイトルの本当の意味に、思わずうなってしまいます。あまり言うとネタバレになってしまいますので、詳しくは是非実際にご覧になってみて下さい。
全114件中、41~60件目を表示