女は二度決断するのレビュー・感想・評価
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一度目の決断は躊躇い
例え裁判に勝っていても終身刑ならば納得していたのか、死刑の判決が下ったとしても彼女自身の生きて行く目的や希望は既に無く。
だからこそ、二度目の決断に至ったのでワ!?
裁判のシーンが長く続き理不尽な判決を言い渡される反面、観ている側はそれ程歯痒い気持ちにもなれず、彼女に対して感じる何かも希薄に。
葛藤や困難、苦悩があるのだけれど本作の映画としてはその感情が伝わらず、淡々と都合良く進む物語があるようで、ラストを含めた監督の演出など全体的に雑さを感じる。
ファティ・アキンは「ソウル・キッチン」がイマイチで本作含め個人的にハマれない監督と、今年公開の新作を観るのはやめようと決断した。
復讐の天秤に釣り合う対価とは
一度は思い立ったが思い直して、という意味での邦題
国家社会主義地下組織NSU極右のテロ事件が下地らしい
トルコ移民と結婚した一児の母
タトゥー
ドラッグ
決心ついたら止まってた生理が来た
ドイツの裁判
肥料爆弾
ハンブルク
ギリシャ
思いっきり見せられる最後がちょっと
エンディング曲は良かったけど
生理
題材も話の導入も興味が唆られる。近親の死に駆り立てられる主人公。何処へ向かうのか?サスペンス感もます。フェアでない社会の論調。女友達の出産や自らの生理現象で何を感じ得たのか。直接的な説明を避けて、解釈の取りようが謎めいているあたりも良い。しかし、何のことやらさっぱり分からない所に着地したように感じた。
疑わしきは罰せずの原則は尊重されるべきで、それに反して被害者の感情に寄り添うことがテーマであれば大いに疑問。彼女は事件直後に被疑者を特定している訳だから、証言の信頼性に疑問の余地はないはずで、公判自体の違和感が最後まで引きずった。。
主演のダイアンクルーガーは熱演。
【謂れのないテロによる深い喪失感から、決然と立ち上がった一人の女性の苛烈な選択に一瞬呆然とし、切なすぎる余韻が心に沁みた作品。】
◆原題:Aus dem Nichts どこからともなく・・ といったところか。
・突然、愛する息子と夫をネオナチの無差別爆破テロで失ったヒロイン、カティアの深い喪失感をダイアン・クルーガーが見事に演じている。
・司法の判決にも納得がいかず、最後に彼女が取った選択を責めることは、誰にも出来ない筈。
・それにしても、カティアが決断した"あの場面"は観ていて辛い。
・ダイアン・クルーガー演じるカティアの幸せな時期の表情と事件後の深い喪失感を漂わせた姿の対比が印象的であり、その演者としての力量には感服。
・狂信的なテロに対する一つの考えを提示した作品であると思う。
・邦題もとても良い。
<2018年5月2日 反権力の気風高い都市のミニシアターで鑑賞>
この怒りや苦しみはどこへ…女の決断
ストーリーはあまり把握せず観てる人が多かったので、気になって観ました。
B級なのかと期待していなかったのですが、とてもB級とは言ってはいけない…かなり内容が濃く深いものでした。
製作者様、失礼致しました。
葛藤や抑えられない感情や苦しみ、それに耐える思い…彼女の決断や怒りはとても伝わってきて私も同じような気持ちになりました。
二度目の決断は一度目と違い、いろいろな思いを抱えた彼女の心になったら、その決断が納得と言うか、解ると感じました。
始まりから終わりまで良作な考えさせられる映画でした。
まだまだ問題が多く心の痛いテーマですね。
悲しみと憎悪、法と社会の矛盾と不条理を断ち切る決断
2017年度のカンヌ国際映画祭女優賞受賞作品。
ハリウッド~ヨーロッパで幅広く活躍するも、どうもここ最近めぼしい作品が無かったダイアン・クルーガーにとって、母国ドイツの作品で母国語で、栄えある賞と代表作として挙げるのも納得の熱演。
作品的にも見応えあり、今回見たカンヌ関連の3作品の中では一番良かった。
ドイツで実際に起きた爆弾テロ事件がベース。
テロによって夫と息子を殺されたカティヤ。
その行く末が、3章に分けて描かれる。
まず、事件直後。
喪失と悲しみをじっくり描写。
同情されて当然なのに、夫の両親から責められる。
夫は麻薬所持の前科あり。誰かしら敵が居て、何かしらの事件に関与の疑いが。
さらに、自宅から麻薬が見つかり、カティヤも日常的に服用していたのではと追及される。
そんな時、犯人逮捕の報せが…。
犯人は、ネオナチ夫婦。
裁判が始まる。
非道なテロによって愛する家族を奪われたのだから、こちらに有利な裁判の筈。が、
医師による遺体の損傷の生々しい説明、あちらの憎たらしい弁護士の狡猾戦術でカティヤ自身を貶め、信憑性が疑われるなど、苦境は続く。
カティヤの目撃証言、被告人の父によるこちら側に有利な証言、旧知の弁護士の奮闘などで、裁判は拮抗。
元々裁判物は好物なので、2章目は引き込まれた。
下された判決は…。
法や社会の矛盾・不条理をも訴える。
そして、3章目。
ズバリ言ってしまおう。判決は、まさかの無罪。
愛する家族を奪った憎き犯人たちは、罪に問われる事無く、また世に放たれた。
この抑えきれない悲しみと憎悪…。
これらは何処に、何にぶつければいいのか…?
こちらが妥協して、永遠に息の詰まる我慢をしなければならないのか…?
カティヤが取った行動は、誰しも予想は出来る。
法で裁けないのなら…。
カティヤは二度、苦渋の究極の決断に迫られる。
まず、一度目の決断。
これは、正しい決断だ。
復讐したい気持ちは充分分かる。でも、もしそれを犯してしまったら…。カティヤはもう一つ、別の苦しみを背負う事になる。
最後の2度目の決断は、見る者に考えを委ねさせられる。
あれ以外に決断の余地は無かったのか…?
また同じような凶行を犯すかもしれない犯人たちへのカティヤ自身の裁き、悲しみと憎悪、それら負の連鎖を断ち切る為とは言え…。
これはほんの一つの一例に過ぎない。
非道なテロ行為、法と社会の矛盾や不条理が続く限り、また…。
悲しみと憎悪の淵に立たされた時、アナタなら、どう決断するか…?
復讐はどこまで許されるのか
ストーリーは、
ドイツ、ハンブルグの街
トルコの少数民族クルドからドイツに移民してきたヌリは、ドラッグデイラーの罪で、4年間刑務所に居た。刑期を終えた後、ドイツ人カシャと結婚し、小さなオフィスを借りて税務士の手伝いと、通訳をしていた。美しい妻と6歳の息子が自慢だ。郊外に家を持ち幸せな家庭を築いていた。
ある夕方、妻のカシャは昔からの女友達と会うために、息子のロッコを夫の事務所に預けて出かける。事務所を出たときに、若い女が真新しい自転車を道に置いて立ち去るのを見て、声をかけた。自転車に鍵かけないの?若い女は笑って、すぐ戻るから大丈夫と言って姿を消した。カシャは、女友達と会い、しばらくして帰途に就くと、事故で道が遮断されている。見ると夫の事務所が、何者かによって爆破され死傷者が出ているという。夫とは連絡がつかない。死者の身元が不明だと聞いて、カシャは、警察に遺体を見せてほしいと言うが、遺体は損傷が激しく、人の形をしていない、と言う。警察は身元確認のためにカシャの夫と息子の歯ブラシをDNA検査のために持っていき、やがて2つの遺体は、カシャの夫と息子のものだったことが判明する。
警察は爆弾犯人が、東欧からきたギャングによるものか、夫のヌリにドラッグの犯罪歴があることから、ドラッグをめぐるマフィアの争いだと決めつける。担当刑事はカシャ自身がマリファナを常用していることを知って、ドラッグがらみの事件として処理しようとする。彼は、夫が頻繁にドラッグデイラーと連絡を取り合っていた証拠をカシャに見せる。しかしカシャは、事務所を出たとき、若いドイツ人の女が置き去りにした新品の自転車の荷台に爆弾が仕掛けられていたに違いないという確証があった。カシャは極右ナチ信奉者によるテロではないかと疑う。これはナチのヘイトクライムではないか。
最愛の夫と息子を奪われ、遺体をトルコに持っていきたいと主張する夫の両親を遠ざけたあと、カシャは一人きりになり、風呂場で両手首にカミソリを当てる。しかし意識が途切れる前に、弁護士からメッセージが携帯に送られてきて、カシャが予想した通りに、爆弾犯人は極右ナチの仕業で、すでに犯人が逮捕されたという。カシャは自殺するのを中止して裁判で犯人たちと正面から向き合うことにした。
裁判所でカシャは、夫の事務所前に自転車を置き去りにした女と、その夫アンドレというナチ信奉者が、爆弾を仕掛けたことを知る。長い公判中、夫と息子が爆破によってどんな死に方をしたかを知らされて傷つく。一方、爆弾犯人容疑者たちが、当日ギリシャに居たという証人が現れる。テロリスト側のアンドレの弁護士は、カシャがドラッグユーザーであることから、爆弾の入った自転車を見たというカシャの証言に信ぴょう性がない、と主張する。爆弾に使われたクギや肥料と全く同じものが、容疑者のガレージから発見されても、他にカシャの言うような自転車を見た人が現れない。遂に出た判決は、無罪。アンドレ ミラー夫婦は釈放される。
カシャは居たたまれない。夫と息子の死につぐないは無い。カシャは、ミラー夫婦がギリシャで宿泊していたというホテルに行く。そこは極右ナチ団体の根拠地だった。やはり公判での証言は嘘だたのだ。カシャは爆弾を作る。それを胸に抱いて、ミラー夫婦がいる車に入り込み、、、。
というお話。
監督ファテイ アキン44歳は、トルコ系ドイツ人。移民の街、ハンブルグで生まれ育った、硬派の社会派監督だ。社会的弱者に光を当てる作品を作って来た。若いころ DJで、生計を立てていたそうで映画の中の音楽の挿入の仕方や、バックグランドミュージックの使い方が秀逸だ。映画のはじめで、ヌリの出所と、それをウェデイングドレスで出迎えるカシャの場面が感動的だ。出獄を待ち望み、結婚を待ちきれない二人の喜びが、「マイガール」の歌とともに広がって、隅々まで幸福感で満ち溢れる。大音響のマイガールの歌が心地よい。音の使い方が、すごく上手だな、と思う。
で、つぎの瞬間に、眼鏡をかけた首の白い、ひょうきんで、もう100%愛らしい6歳のロッコの顔が大写しになる。街の騒音、人々の喧騒。音感の良い、音楽センス抜群の監督による映像が小気味良い。良いメロデイーを映画に取って付ける、ということではなく、映画作りには、良いリズム感が必須だということがよく解る。
この作品でダイアナ クルーガーは、ゴールデングローブ主演女優賞を獲得した。自身がドイツ人で、この映画の舞台となったハンブルグから遠くない街で生まれて育ったという。時間に正確で厳しい、責任感が強く、几帳面に仕事をきっちり仕上げる、など、日本人に似たドイツ人気質が、この映画にも表れていて、「自分のルーツに立ち返ることができた。」と言っている。ドイツ語という自分の言葉でドイツ女を演じることは、ハリウッドで活躍する彼女にとっても,大切な映画になったことだろう。撮影が始まる前の半年間、テロや殺人にあった被害者家族、30家族に次々と会って話をじっくり聞くことによって、夫と息子を失う役柄を考えた、という。意志の強い頑固な顎の張った四角い顔、大きな手、強靭なパワーを持った細身の体のダイアン クレイガーは適役だった。
もう一人印象的な役者は、爆弾犯アンドレ ミラーの父親役を演じたウイルリッヒ トウクル。ガレージで爆弾を作ったらしい息子を警察に通報して逮捕のきっかけを作った。実直で常識を兼ね備えた知識人の父親が、息子がナチに心酔していることに悩み、自分を責め、息子が極刑の受けることを覚悟で警察に突き出す。そんな哀しい父親をよく演じていた。怖れと恥とで歪んだ父親の顔。公判の休憩時間に、カシャが父親に近ついてタバコの火をもらう。互いに見つめ合うが言葉が続かない。カシャの犯人への憎しみと怒りを、苦しむ父親にむけることができない。このシーンが、カシャの最後の決断に大きく左右する。
息子は血も涙もないテロリストだが、息子を警察に突き出した父親は勇気のある立派な人間だ。カシャがナチ信奉者のテロに対して、テロで返答すれば、自分がナチ信奉者と同じレベルの卑劣な人間になってしまう。しかし、彼らのテロを赦して、そのまま生きていくことはできない。この父親のような人間になるのはどうしたら良いのか。憎しみゆえの復讐はどこまで許されるのか。人が人であるために、どこまで人は赦されて良いのか。
極右ナチ信奉者夫婦に無罪判決が言い渡された後、カシャは自分の脇腹に彫ってある武士のタツトウに加えて、武士が鮮血にまみれている姿に彫ってもらう。義憤と胸の痛みをタットウを彫る痛みで中和するかのようだ。余談だけど、この武士は三船敏郎にとても似ている。ファテイ アキン監督が黒澤明監督を尊敬していることが、よくわかる。
カシャは爆弾を一度は、憎いミラー夫婦の車の下に仕掛けるが、気を取り直してとりやめて、数日後に、爆弾を身にまとって犯人とともに自爆する。自分という犠牲なしに人を殺すことができないといったカシャのギリギリの人としての判断だった。
カシャは夫と息子の死に会って、生理が止まっていた。それが、ギリシャに犯人を追ってきてミラー夫婦を抹殺することに決めて行動に移そうとしているときに、生理が始まる。生理は命の再生であり、希望の兆しだ。夫と息子を奪われて、長い時間が経過した。カシャの底のない絶望に、わずかな回復の兆しが時間と共に表れて来ていたのだ。カシャが、その気にさえなれば、再び生き直すことができる。カシャには自分の命を再生する力が生まれて来ていたのだ。
しかしカシャはそれを拒絶する。亡くなった夫と息子に忠誠を誓うかのように後を追う。夫と息子への愛に純粋で誠実でありたいために。またミラー夫婦の父親の判断に恥じない自分でありたいために、ただの復讐ではなく、正義の名のもとにカシャは決断を下す。
法廷で死亡者ロッコの解剖所見が読み上げられた。爆破で6歳の子の胸に5寸クギが無数に突き刺さり、爆破熱によって皮膚は溶け、高熱を吸った肺は焼けて呼吸が止まり、眼球は溶けて無くなり、手足はちぎれて数メートル先に飛び、、、担当者は淡々と読み上げる。
カシャは、母親として自分の分身だった息子が最後に体験したことを、同じように自分も追体験せずにはいられなかったのだ。それが親というものだ。カシャの決断を誰が非難したり、否定できるだろうか。哀しい映画だ。
邦題の牽引力
実際のテロから着想を得た話ということで、重々しい内容でした。旦那と息子をテロで殺された母親の心情が、痛々しいほどに伝わってきます。
中盤の裁判所でのやりとりには、思わず「チョコレート・ドーナツ」を想起させられました。心象や情といったものが通用しない、物的証拠のみで判断する裁判というものが、いかに非情であるかを再認識させられました。正義とはいったいなんなのでしょう。
人間というものは、とかく恐ろしいものですね。
邦題が若干、やらかしている感じもしましたが、いいタイトルだと思います。みごとに、観てみたいな、と思わされましたから。
第三者の存在とか
疑わしきは罰せずとか、端から見れば耐え難い話ではあるが、あれが裁判の現実なのだろう。
物証を積み重ねても、確たる証拠なしでは安易な逮捕が出来ない。
今回の容疑者もその結果、無罪となってしまう。
彼女がクスリに手を出している事とか、色々含めてもやりきれない作品であった。
外国人の排斥によるテロは卑劣極まりなく、絶対に許されないが経済的な圧力で世の中がネジ曲がっている証とも言える。
容疑者ミラー夫妻は限りなく怪しい人物に描かれており、あの態度には腹もたつ。
ラストは賛否両論あるとは思うが、暴力の連鎖では争いは無くならない。
威嚇として使うか?位にしてほしかったが、やはり家族の居ない世界で遺族が生き甲斐を見出だすのは難しい。
なんて切ない決断…
ネオナチに旦那と子供を爆弾で一気に殺された報復をするかしないか…
法廷では裁けないとわかってからは、むしろ自分のすべき事がクリアになったのね。
上告で闘って容疑者二人を終身刑にしたところで、相手は生き続けるのに、主人公は最愛の家族を失った喪失感を持ちながら生き続けなきゃならないなら、私も同じ決断をするかもしれない。
人間の心の葛藤がタイトながらズーンとくる作品。
でも、旦那も息子も殺された後あんなに淡々としてるもんなのかしら…ドイツ人の気質?
ラストまでの丁寧さ
主人公の内面の逡巡をとても丁寧に描いていて、鑑賞しながら「自分だったら」と考え、感情移入をしてしまう。ギリシャでの葛藤と結実に、人間の心の、単純ではない動きを感じる。ダイアン・クルーガーが見事。
邦題に引っ張られないで!
ついつい題名につられて、
1度目の決断がこれ? じゃ2度目は…などと考えながら見てしまったことに激しく後悔。
英題はin the fade 独題は aus dem nights
グーグル先生翻訳によれば、”フェードで “と “どこからともなく” だって 全然関係ないから、のびのび鑑賞アレ。
丁寧に描いたサスペンスドラマと思いきや、終わってみれば心の痛いところを細い糸でアチコチ引っ張られた感じで、アタタタという後遺症が残りました。
名作でございました。
全114件中、21~40件目を表示