「復讐の連鎖を止める覚悟と懺悔」女は二度決断する REXさんの映画レビュー(感想・評価)
復讐の連鎖を止める覚悟と懺悔
ざっくり言うと目には目を…の話なのだが、ただの復讐とは片づけられない深い痛みがあった。
カティヤが二人を殺し、「ざまあみろ」と溜飲を下げるだけではジョン・ウィックと同じだが、彼女は自分も同じ方法で死ぬことで結果的に復讐の連鎖を止め、更に息子に味わわせてしまった苦しみを、自らに課したのだと思う。
彼女の心の動きは推し量るしかない。
一度目の決断。
窓にぶつかる鳥を見て何を思ったのか。
トラックの下からリュックを取り出したのを見て、復讐を諦めたのかと安堵した人も少なくないだろう。
しかし、彼女に生理がきたことによって、彼女の止まった時間が動き出したことが暗示される。
それが前向きにしろ後ろ向きにしろ、緊張状態から抜け出し、自分の心に冷静に向き合えた時が来たのだと思う。
旦那の両親から投げつけられた暴言、実母の旦那への無理解、自分が糾弾された裁判での屈辱。
容疑者が犯人でないのなら、では誰が犯行に及んだのか。家族が死んだのは事実なのに、そのことがなおざりにされていく彼女の絶望は計り知れない。
映画は三部構成でメリハリがあるが、第二部の裁判での検察の手腕は甘く、防犯カメラやギリシャへの出国記録や入国記録など、徹底的に調べたのか?と疑念が湧く。
ネオナチというヒトラーの遺産が、移民受け入れの軋轢で押し出されるように噴き出す。
しかしヒトラーもヒトラー以上に過激思想なSSのコントロールに手を焼いていたことを考えると、ヒトラーという男が台頭しなくても、第二のヒトラーは必然的に生まれてきただろう。
ヒトラーという象徴は優位思想や選民思想、差別主義者の都合の良いスケープゴートになっている。彼ら自身から生まれた劣等感や憎しみであるにも関わらず、ヒトラーの影響だと言えば、あたかも彼のせいにできるとでもいうように。
カティヤは社会的な制裁を下すための長い闘いをやめ、個人的な闘いに持ち込んだ。それを一種の逃げととる人もいるだろうけど、彼女の痛みを一緒に分かち合った気持ちになった私には、あの一度目の決断から二度目の決断へ向かう心の逡巡を思うと、家族への懺悔と人生への絶望が強く迫り、とても責める気にはなれない。
カティヤの魂が一瞬でも救われたことを祈らずにいられない。