「「決断」に至るまでの力強い裏付け」女は二度決断する 天秤座ルネッサンスさんの映画レビュー(感想・評価)
「決断」に至るまでの力強い裏付け
映画は3つの章立てで構成されていた。1つは夫と我が子を突然失った女のドラマ。そして2つ目は法廷劇。そして3つ、復讐に燃える女のドラマ。それぞれを単独で描いた映画作品はありそうだが(実際、いくつかはすぐに名前が浮かんでくる)、それらを3幕の物語として描くことで、映画が多面的になったような印象を受けた。それぞれの章ごとに主人公カティヤの違う顔が見えてくる。そしてその都度カティヤの思いが角度を変えて突き刺さってくる。夫と子供を失うことは、悲しみだけではないし、怒りだけでもないし、嘆きだけでもないし、復讐心だけでもない。喪失感だけでも寂寥感だけでもないし、正義でもあって理不尽でもあるような。言い尽くせないカティヤの感情が、それぞれの章で様々な形で切り取られ、そしてカティヤという一人の人間の生々しい思いが膨大しながら形成されていくかのように感じられた。そして、そうやって出来上がったカティヤの生々しい思いが、終盤で訪れる「決断」の確かな裏付けになったところに感動を覚える。
物語には、ネオナチを取り上げてもいるし、差別や偏見についての風刺や、正義の定義など、タイムリーに議論されている事柄も盛り込まれているけれども、それらをすべてカティヤの心を通して描いたことで、社会の問題ではなくて個人の問題にまでぐっと引き寄せられ、この世界の「今」をダイナミックに感じる作品になったように思う。家族を失ったカティヤの正義と復讐のドラマとしてみているつもりが、感情が揺り動かされるたびに、この世界の「今」について、魂が何かを感じてざわざわしてくるよう。なんだかこの映画の志の部分に、ちょっとしたジャーナリズムまで感じてしまった。
そしてそういった役割を一手に担った主演女優ダイアン・クルーガーの魂の演技がまた良かった。クルーガーのことは前々から好きだったけれど、今作の演技はとりわけ良かった。瘡蓋を剥ぐようなカティヤの魂の痛みを文字通り全身全霊で演じる気迫。二度目の決断に至るまでのカティヤの心の葛藤がきちんと表現されていなければ成立しない結末だった。それを体現したクルーガーが最高にクールだと思った。
本編とは直接関係しないことかもしれないが、邦題には幻滅させられることが多い昨今で、「女は二度決断する」はなかなかどうして引きの強い良いタイトル。ついついこの邦題を下敷きにしてこの映画を解釈したくなってしまうほど。この邦題を付けた人は、カティヤの下した一度目の決断と二度目の決断に強い感銘とインスピレーションを受けたのだろうなぁと思うと作品への愛情を強く感じて、そこも含めてこの映画を好きになりたくなった。