「「沈黙は死、行動は命」」BPM ビート・パー・ミニット 天秤座ルネッサンスさんの映画レビュー(感想・評価)
「沈黙は死、行動は命」
「活動家」と聞くと、ついついあまりよくないイメージを思い浮かべてしまう。乱暴な行為で事を荒立てている人たちというイメージだったり、傍若無人に自分の主張を押しつけている人たちというイメージだったり。しかしながら、そういう人たちの活動によって社会が動くこともある。そしてそういう人たちが声を発してくれることによって、それまで知らずにいた叫びを知ることが出来たりもする。この映画は、エイズが社会問題として大きく取り上げられるようになり始めたころのフランスの物語。そして今、もう一度改めて彼らの叫びに耳を傾ける。病に関するあらゆる誤解が錯綜していた時代は過ぎたものの、あれから社会は何か変わっただろうか?いや、これは現在進行形の叫びである。
そしてこの映画は、"ACT-UP"と名付けられた活動団体のパリ支部のメンバーたちが、常に生と死と隣り合わせの状態で、それでもこの社会をどうにかして動かそうと過激な手段で声を上げていく様子を写実的に切り取りながら、その過程でエイズ患者がいかに不当な立場に置かれているかや、エイズ患者が一向に減らない(寧ろ増え続けている)理由などを問いかけていく。冒頭のミーティングシーンからして、とてもリアリティがある。活動家のイメージというとその過激な行動からして感情的な人たちをイメージしやすいが、その裏で行われている「M」と呼ばれるミーティングは非常に理性的で、感情的になることを極力抑えるようなシステムを用いて行われている。彼らの行動が決して感情論ではないことを裏付けるようでとても印象深かった。
そして彼らの活動と並行して、若い青年ショーンとナタンの間のロマンスが描かれて行くのだが、このラブストーリーの美しさが物語には力強い必然となる。とてもリアルで生々しく、観ているだけで思わず息が上がるようなセックスシーン。特に印象深いのは、数学教師との初体験でエイズに感染したことを語りながら交わすセックスと、すでに死期が迫って来ていた頃に病室で体が弱りゆく中、手淫でオーガズムに達するシーン。いずれも生々しいシーンであるのだけれど、人を愛し愛し合うということを究極までピュアに浄化した行為に感じ取れて、切ないんだか悲しいんだか理由はよく分からないまま涙が出てしまった。そしてショーンを演じたナウエル・ペレーズ・ビスカヤートの熱演がまた魂に響くもので、この作品だけでもうすっかりファンになってしまった。
どうしてエイズ患者が減らないか。その理由はとても簡単で、減らそうとしなかったから、である。そしてその理由はというと、エイズに感染する者として挙げられる、同性愛者・売春婦・薬物常用者などは、社会にとっていなくなって都合のいい者たちだと判断されたからだ。彼らを排除しようとする国の動き、差別と無知と無関心からくる切実な絶望、そして自らに残された時間に対する焦燥。現実と事実を織り交ぜながら、次々にスクリーンへと突き付けられていく。何より、彼らが闘う姿勢を一切偽らなかったこの映画をとても正直な映画だと思った。
「沈黙は死、行動は命」だと彼らは謳った。そして21世紀に時代が変わった今も、まだまだ声を上げ続けなければ、無知と無関心は終わることがない。でも本当は、沈黙と死がイコールしないことこそが一番望ましいことのはず。そう思った。