「変人は犯罪者ではない。」50年後のボクたちは 曽羅密さんの映画レビュー(感想・評価)
変人は犯罪者ではない。
まず邦題からして内容を表しているとは言いがたい。
明らかに少年たちの爽やかな青春ものを期待させる邦題の付け方だが、原題は『チック』である。
2人の悪ガキのより悪い片割れの名前である。
何か美しい友情を想像させるような邦題をつけて完全にミスリードしている。
ある場所で3人の少年たちが会おうと約束した、ただそれを切り取って邦題にしただけである。
周囲から理解されない変わり者の少年2人のロードムービーになる。
この映画には『14歳、ぼくらの疾走』というドイツでベストセラーになった児童文学の原作小説があるらしい。
原作を読んでいないので、この映画がどこまで原作に忠実であるかわからないが、変人を描く際、本当に作者(監督)が変人なのか、凡人なのか、筆者はなんとなく探ってしまう。
原作者か監督かどちらかはわからないが、この作品に関しては後者ではないかと思う。
凡人が変人を描く際、実際は理解できないものだから作中の変人たちの行動が過激になり過ぎて結局は犯罪者や過激な社会不適合者になってしまい、最終的にきっちりと社会から制裁されてしまう。
変人は犯罪者とイコールではない。
原題になった主人公マイクの相棒であるチックは悪ガキという言葉では済まされない犯罪者になってしまっている。
しかもまたチックはゲイでかつ見た目がアジア系のような移民である。
いやさ、あまりにも安直すぎるよ!
主人公マイクの母親が飲んだくれで、父親が若い女の子と不倫中、両親の仲はうまくいっていない。
このマイクのバックボーンの設定もいかにもありがちなステレオタイプすぎる。
この原作小説がドイツの児童文学賞を総ナメにし、200万部以上売り上げているという。
ドイツ人は真面目すぎて、羽目を外すなら犯罪するぐらいまでやれ!という鬱屈した感情を抱えているのだろうか?それとも原作は映画とは違うのだろうか?
2人の行動が途中から犯罪まっしぐらになっていくほど馬鹿すぎて応援する気が失せる。
去年筆者が観た同じような少年2人のロードームービーに『グッバイ、サマー』という作品があるが、この変人2人は犯罪者にはならない。
監督のミシェル・ゴンドリーの自伝的な作品らしいが、ゴンドリーは罪を犯すほどやりすぎず、変人ではあるが旅を通して適度に少年2人も成長していく。
例えば本作をクラスでハブにされるような中学生ぐらいの変人が観るとして、果たしてオレもああなりたい!などと共感できるだろうか?
そうは思えない。
一夏の騒動を終えてパトカーから降りてきた主人公マイクを他の生徒たちがまるで尊敬の眼差しで眺めるシーンがあるが、人殺しをして出所したハクのついたヤクザかよ!と思わずツッコミを入れたくなった。
またエンドロールにチックのその後がアニメで流れるのだが、もう彼はいっぱしの犯罪者にしか見えない。
多分このまま行けば次は銀行強盗だろうな!という未来しか見えてこない。
よって50年後は野垂れ死んでいるか刑務所の中だから他の2人とは再会することはできないように思える。
ただ本作にもうらやましいところはある。
少年たちに実際に車を運転させているところ、タバコを吸わせているところである。
有名な笑い話だが、道路交通法をあまりにも遵守している今の映画業界では警察に追われた犯人でもきっちりとシートベルトを着用してから逃げる。
本作の少年2人は車を運転している上にシートベルトも付けない。
日本もドイツと同じように中学生が主役の過激な映画を作れと言うつもりはない。
しかし中学生を主役にした面白い作品があったとしても、上記の表現が制限されることでそもそも映画化の企画段階にも上がらない可能性もあるのではないだろうか。
また本作の主役2人はオーディションで選ばれている。
日本の映画業界も主役の中学生を高校生に設定変更するのではなくもっとオーディションをして広く人材を探すべきである。