ザ・サークルのレビュー・感想・評価
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カリスマ的な起業家によって与えられたSNSの影響力を表現!!
この作品は、テクノロジーとSNSがもたらす影響力と、個人のプライバシーや自由の限界を描いていました
巨大テクノロジー企業「ザ・サークル」に就職した若い女性メイが、企業の先端技術とSNSによって監視される社会に巻き込まれていく様子が鮮明に描かれており、現代社会に起こりかねない現象を知らせてくれています
この企業は、起業家精神に溢れるカリスマ的リーダーによって運営されており、そのカリスマ性はマーク・ザッカーバーグのようです!
しかしながら、彼のビジョンが次第に全体主義的な監視社会へと変わっていきます
映画では、ザ・サークルが提供するSNSが、ユーザーの透明性や共有を強制することで、自由を奪うリスクを浮き彫りにしています
FacebookやInstagram、X(旧Twitter)などのSNSが日常生活に浸透している現代において、ザ・サークルの描写はまさに起こりうること!
特に、SNSでの「シェアすることが良いこと」という考え方が極端化し、プライバシーが失われていく恐ろしさをリアルに感じることができ、その活用の仕方については考えさせられるものがありました。
同じ起業家として、立場的にはSNSを利用する側ではありますが、
どう使うことが現実的か、周りにとってのお役に立てることなのか、を考えて日々使っていこうと感じる時間になりました。
SNS漬けの方々にぜひともみていただきたい作品です。
監視社会への警鐘
日本版のポスターにはいいね!のために生きているって書いてあったけど、そういう話ちゃうよね…監視社会の恐ろしさを描いた話なのかなと思うが。
監視社会を描いた作品というとトゥルーマン・ショーが有名やけど、本作は自ら会社での立場のために24時間監視されることを許可する話。メイの自由な時間はトイレに行くたった3分。仕事のためと割り切ってやってはいるけれど、しんどい。友達も家族も徐々に距離を置いていく。
最後のシーンは、結局監視されることを受け入れたってことなのかな。メイだけではなく、視聴者も逆の立場になることはあり得る訳やもんね。最後の笑顔がちょっと恐ろしかった。
しかし、あそこまでみんながみんな賛同するんやろうか。同じ監視社会を描いた作品であればトゥルーマン・ショーの方が余韻も含めて好きやなあ。
インスタ映えする背景で・・・
映画とは関係ない個人的な話になりますが、グーグルマップを楽しんでると、自分の家まで写真に撮られていたことが驚きでした。車庫にある自分の車までハッキリと写っています。さすがにナンバープレートにはぼかしてありましたが、こんな所まで撮られているのかと、恥ずかしいやら腹立たしいやらで言葉で表せないほどの心境に。しかし、世の中にはインスタグラムなどでわざわざ自分の顔を晒してしまうことも流行っている。背景にある様々なモノで地域が特定され、個人情報さえも抜かれていることに気付かず・・・
SNSの巨大企業“サークル”に入社したメイ(エマ・ワトソン)が主人公。最初は顧客に対応する部署に配属されたが、趣味のカヌーで海に出た時に転覆事故に繋がり、それを目玉みたいな小型カメラで撮られていたため、アザラシを観測していた人から連絡が入り、すぐさま救助された。それをきっかけに、メイは日常生活を全て記録し、世界中に映像発信される“シー・チェンジ”のモデルケースに選ばれるのであった。
覗き見サイトみたいな題材は以前からも描かれていたので、目新しいものではない。それよりも目玉サイズのカメラの方が気になってしまいます。どこかに仕掛けられてないかとか、監視カメラシステムよりもはるかにバレにくいほど小さい未来的カメラ。社会で隠しごとのない「透明性」を高めることができるというものだ。実際にはさらに進んだ“ソウル・サーチ”という顔認証システムも併用して、捕まっていない犯罪者を20分以内に捕らえるというシロモノ。これが凄かった!ソウル・サーチの能力をもっと試そうと、メイの幼馴染みであるマーサーが選ばれてしまい、彼を捕まえようとするあまり、事故死に繋がってしまう。
サークル社の会議で選挙の投票率を上げるためサークルに強制登録しようという意見もありましたが、パソコンもスマホも使ったことのない人が大勢いるのだから、さすがに無理だろう。そんなことをしたら、誰に投票したかもわかるようになり、少数意見の者が排除され、全体主義にまで発展するはず。政治家の不正を正すなんてのもエピソードにありました。しかし、本当に利用したいのは政治家のトップであろうし、そんな小者を捕まえたところで世の中が変わるはずもない。日本で考えると、直ちに共謀罪に利用されるだろう。
映画ではマーサーの死から立ち直ったメイが経営者のイーモン・ベイリー(トム・ハンクス)らにシー・チェンジを取りつけ、会社経営の透明性を求めるという結末になるが、ドローンが飛び交う中でメイ自らも透明性の中に浸っているラストが不思議だった。
【2017年11月映画館にて】
タイトルなし
今のGoogleやFacebook等SNSによるプライバシーの公開の度合い、行き過ぎに警鐘を鳴らす作品なのだろうが、ラストは何が言いたいのかインパクト弱い。結局エマ・ワトソンはどうしたかったのか?サークル社の開発者であり、あり方に疑問を呈するジョン・ボイエガも、完全に悪いと描かれないトム・ハンクスも中途半端。
ラストがイマイチ不明瞭
ITの世界が行き過ぎるのは怖い。秘密がないってのも怖いなと思いました。ラストは観客の想像にお任せかー。残念。
デスノートの新解釈
ソウルサーチが始まり、犯人が見つかった時、
何故がデスノートっぽいなと感じた。
世界の中で1人とか10人とかを逮捕や改善したとしても、世界は良くならない。性善説に基づき、世界の秩序を正したいのなら、カオスのシステムを正すべきだと、夜神月なら考えると思う。
新世界の神となるには障壁が多すぎるから、死神みたいなのものが出てこない限り、現代世の中を「理想」にするのは難しい。ただ理想に近付くには、このムービーで表現されてるビデオシステムは相当近付いている。だからこそ、プライバシーや、追い込みすぎることの危険性は見ての通りだ。
触れ込みでは、もっとSNS中毒で、インスタとかTwitterの話かと思ったけども、新SNSのフォーマットだったので、あまりバイアス無しに見れて、シンプルなサスペンス?に感じた。
ラストシーンは普通にシンプルだけれども、普通に起こり得る現実味のある部分だから逆にこう、ゾワっとする。そして、すでに起こっているのかも、、、
テクノロジーの使い方
サスペンススリラーを期待して見ると、全くそんなことはなかった映画。
ただ、現代人を取り巻くコンピュータ技術に対して考えさせられる内容であった。
主人公は、
「知識を得ることは基本的人権である、
秘密にすることはそれを奪っているのと同等だ。
だから私は全てをオープンにします。」
的なことをプレゼンで語っている。
一方で秘密を提供する側の人権はどうなるのか?
という疑問を持ちながら最後まで見ると
ラストでこれからテクノロジーと共にどう生きて行くべきなのか、
というメッセージを感じる気がする。
サークルのCEOたちの悪事が特にフォーカスされなかったことで、
世界をよくする目的のために、
決して悪気なくフォーカスしていない人々の人権を侵害していく描写が際立っていた。
分かりやすい悪がないことで、現代が危うい状況にいるという怖さを感じることができた。
テクノロジーによって世界は便利になり、全ての人を平等へ導いて行くけれど
その使い方によっては自由を奪い不平等を生むのではないか。
新しいサービスを開発して与える者、
ユーザーとしてサービスを与えられた者、
双方がテクノロジーに操られてはいけないし、
その脅威を理解しなくてはいけない。
「IT」って言葉を容易に使い、
簡単に誰でもテクノロジーに触れる時代となっている今、
扱う人間のモラルへの警笛に思えた。
ただ、なんでサスペンススリラーで宣伝したんだ!
ラストシーンの考察
SNSの怖さに警鐘を鳴らす映画。
ディフォルメされてはいるけれど、けして映画の中だけの世界とも言いきれないですね。文明や科学の進歩はメリットは多いけれどその使い方を一歩間違えれば大変な世界を創りあげてしまうかもしれません。
エマ・ワトソンはやはり可愛かったです。
(ラストシーンの考察)
ラストが曖昧な感じで終わっていますが、素直にとればエマ・ワトソン演じるメイが会社の幹部として残り会社の不正を是正しサイクルのシステムを正しく活用をするようにしていくハッピーエンドなのでしょうがそれだとあまり面白くない。
僕はメイが経営者のベイリーを陥れ、24時間ライヴ配信で人気を得たそのカリスマ性を利用して会社(サークル)を乗っ取り世の中を支配していくのではないかと思いました。メイはもともと上昇思考が強かったですし、常にベイリーの言いなりになり会社の思惑通りにプレゼンしたり会議で発言したりして、その結果として会社でのしあがっていった経緯があります。24時間配信も嫌がらずむしろ楽しんでいた。そして最後のベイリーの「してやられた」という呟きはメイの会社の乗っ取りに気づいたのではないか。そしてラストのカヌーのシーンでドローンがメイを撮影していたのも合点がいく。
きっと監督の意図と違うとは思うけど、もしラストシーンをメイの会社乗っ取りの策略と想像すればこの映画はけっこう伏線が効いていてすごくスリラーとして面白く感じられると思いました。
若いコ向きな作品
テンポが良い展開。SNSにのめり込んでいく様は、まさに現代社会に潜む危険を反映しており、シンパシーを感じる人は多いと思います。
ただし、終盤に経営陣にもう少し大掛かりな仕返しがされると思いきや、意外にあっさり。それくらいで怯むような相手ではないと思いますが・・・
最後それ何?
僕には最後よくわからんかった。
要は監視用の小型カメラは普通に採用されてるということ?
いずれにしても物足りない。
透明化したときの着替えやセックスはどうすんのかと期待したが、そこは何も語られず、トイレは3分切れるとは言っていたが。
代わりに両親のセックスを晒すことに。
何にしても、会社のトップの意図もよくわかんなかったし、暴露後の世界がどうなったかもわからなかった。
総じて物足りない。
ありそうだけどありえないかな
認められたい受け入れられたいという要求はあっても24時間見られていたいという人がどのくらいいるんだろうか?と思う。個人と集団要求の差はあると思うけど、エスカレートしてたら気づくだろう‼️と。極端な話として映画になってるのかもしれないが、現実的ではない。気がついた人たちがその後どうしたのか?が気になるのに、そこは皆さんが考えてというエンディングがいまいちな感じ。
透明化…
現代のSNSの悪化した結果…
作中であったように
確かに遭難者の救出や犯罪者の確保に関してはとても便利な透明化だとは思うけど、
誰にでも見れて、見られている
途中で亡くなってしまった親友のように、過剰なストーキング行為に晒される事もある
プライバシーのない世界
とりあえず
エマ・ワトソンは相変わらず美人だった。
一言で言うとんー。って感じ
トムハンクスとエマワトソンの豪華なメンバーが出ているため、見ました。
SNS、ソーシャルネットワークが主なお話で見出しなどは面白そうでした。
ですが見れていても引き込まれることがなく
、なんでしょう、一言で言うとつまんなかったしかなかったです。
全世界がカメラで観れる、発送は面白い内容でした。
ですが展開と設定の使い方が勿体無かったです。
期待しすぎたせいか、あまり好きな作品ではなかったため残念でした。
何も伝わってこない。
近年のSNS問題やそれに対してのプライバシーの問題などは止めようがないから、止めるのではなくどうやったら上手く付き合っていけるか、皆で考えて努力して行きましょうね的な話。
内容自体はただ話が流れていくだけで、問題に対しての改善案や答えを出している訳でもない。
また各キャラクターの個性やバックボーンがなく、人間性としての面白さは全くない。
とにかく主人公メイが一番訳わからない。
自分を会社に入れてくれた恩人のアニーが精神的に病んでる時に、心配してる的な事を言うだけで行動を起こす訳でもなく、会議でも自分が自分がって感じグイグイ出てくる。発言内容も特に革新的な事を言っている訳でもない。
また友人マーサが事故死してから、たったの3,4日で現場復帰。映画的にはメイにはそんなに責任はなく、追い詰めたフォロワーとの間で起きたやむを得ない事故だった感じになっているが、元々はある意味メイの責任でもある。
しかもあんだけマーサを追い詰める野蛮なフォロワー達はなんなんだ。あれじゃアホの集まりみたいに見える。
設定は面白くなる可能性があったが、全体的に深みがなく共感できなかった。
それで良いのか
カメラがあるから、人の目があるから、オープンだからちゃんとするのか?それで良いのか人間よ。
私は日本人なので、特に思うのかもしれない。
日本人なら誰でも一度くらい聞いたことがあるはずだ。
お天道様が見てる。ご先祖様が見てる。
そうやって誰かの目ではない何かに律されてちゃんとやってきたんじゃなかったか。
海外にはない概念なのかな。
確かに監視カメラとか、犯罪や事故発生時に役に立つし、ネットの整備でグーグルアースのストリートビューとかも便利になって快適に暮らせてるけど…行き過ぎるとこんな風になってしまう可能性を秘めてる、と思わせるところまではとても良く出来た作品。
最後のアレは、結局何も変わらなかったことを示唆してるのかな。
いろんな闇が表に出て会社が壊れていくところを24時間オープンで見たり、その隙に乗っ取ろうと画策する奴が現れたり、までを見せてくれたらもっと面白くなっただろうに。
豪華キャストで…それで良いのか。
身近なものゆえに
なかなか面白い
身近なSNSを題材に匿名性を失い、全てが公開される恐ろしさや大衆心理の暴走を描いており、いつかこうなるかも知れない世界を描いている
冒頭から明らかに危ない匂いしかしない製品や技術が紹介され、こんなんアウトだろ!と言わんばかりの展開に
というより反対勢力一人なのか?もっと反対勢力が出てきてもいいのでは?(みんな暴走してるからなんだろうけど、洗脳されすぎ)
というより事故ってからも続いてるとかありえなくない?
などとツッコミ処は多々あるので、リアリティからはかけ離れたが、SNSの危険な加速度を描いた作品として一定評価は出来る作品
ラストも明確には明らかにしないのも良いだろう(プライバシーは完全に無くなったのか?創設者の意図とは違うのでは?)
どんなことでも
極論はあかん。あと、独占禁止法は仕事してください。
それと、サークルのような企業、普通に私達の社会になじんで存在してそうだなとか、私達も実はもう監視社会にいるんだなぁといった不安を残り香にして、スッキリさせない終わり方は良かったように思う。
原作小説のメイはほとんど別人!
ハヤカワ文庫から刊行された原作小説を読んだ上で本作と比べると物語からキャラクター、結末までいろいろと違いがある。
ただ原作者のデイヴ・エガーズは普段から映画の脚本もこなす才人であり、本作の脚本にも参加しているので大幅な変更は納得づくなのだろう。
まずエマ・ワトソン演じる主役のメイベリン・レンナー・ホランド(メイ)は原作ではあまり好感の持てる人物ではない。
正直原作のままのメイをワトソンが演じてしまうと知的で清純な彼女のイメージを壊してしまいかなねい。
原作と本作との変更点を考えると、やはり『ハリー・ポッター』シリーズでハーマイオニーを演じたワトソンは欧米では数少ないアイドル女優なのかもしれないという想いを抱いた。
過去には『ウォールフラワー』で性に奔放な少女サムを演じたり、『ブリングリング』では犯罪者の役も演じていたが、大して過激な演技でなかったにもかかわらずそれほど話題にならず、やはり『美女と野獣』のヒロイン役に抜擢されるところがその証明ではないだろうか。
最近の出演作品の『スイス・アーミー・マン』で屁を推力にして水上を進む死体という美少年ハリーの面影を微塵も感じさせない役柄を演じたダニエル・ラドクリフとは天と地の差がある。
メイの元彼マーサーを本作では見た目が悪くないエラー・コルトレーンが演じているが、原作のマーサーは背は高いものの二重あごで肥っているし、性格も少し独善的でメイは終始彼を嫌い続けている。
なおコルトレーンは『6才のボクが、大人になるまで。』において、本当に6歳から18歳まで12年間をかけてフィクション映画の主役を演じている。
この作品は父親役のイーサン・ホークを含めた出演者全員が実際に12年間年齢を重ねていくのが観られるという不思議かつ希有な映画である。
また「トゥルーユー」の開発者としてサークル創設者の1人になり、メイにサークルの危険性を伝えるタイの役を本作では『スター・ウォーズ』新シリーズのフィン役のジョン・ボイエガが演じているが、原作では白人であり、メイとは肉体関係まで結んでいる。
本作でもタイはメイにサークルの地下を案内しているが、原作ではそこで1回、また透明化後にトイレで待ち合わせて1回、2人は性行為に及ぶ。
メイの親友アニーが自然の中で自分を取り戻すのが本作の描写だが、原作は全く違う。
透明化したことでサークルでの発言力が増したメイに対抗心を燃やしたアニーは「パスト・パーフェクト」という自分の家系の過去を透明化するプログラムに自ら進んで志願する。
元々アニーの家系は最初にアメリカに入植した名門の家柄(ピルグリム・ファーザース)だったのだが、過去を調べたら入植前の先祖がイギリス本国ではアイルランド人を奴隷として使っていたとか、アメリカ入植後の先祖も黒人奴隷を使役していたことが判明してしまう。
さらには両親が目の前で人が溺れ死ぬのを放置していたことも明るみに出てしまう。
それらが重なって精神崩壊したアニーはついに倒れてしまうが、原作の最後ではベッドに寝たままいつ目覚めるかもわからない昏睡状態となった様が描かれている。
そして何と言ってもとにかくメイが全然違う。
タイと肉体関係があることは触れたが、自分が優位に立てるという理由から他にも本作には登場しないフランシス・ガラヴェンタという性的には全く魅力を感じない相手とも肉体関係を持つ。
両親のプライベート映像を全世界にさらしてしまうことは本作も原作も変わらないが、その後のメイの対応が違う。
本作では両親に対してすまない気持ちでいっぱいだったが、原作では自分が引き起こしたにもかかわらず時には両親を非難して関係の断絶を肯定しさえする。
また本作では会場の提案からいやいやマーサーの居場所を探すことになるが、原作では彼女自らがマーサーを探すことを提案するし、ドローンを飛ばすのもメイ本人である。
マーサーがドローンで前方を塞がれたために事故死する本作の描写に対して、原作では追いつめられたマーサーが覚悟の自殺をする。
原作のメイは自説を曲げないマーサーに自分の正しさを証明させるのにやっきになっている。
そしてタイの協力を得て創業者の2人に手痛いしっぺ返しを喰らわせるのが本作の最大の見せ場になるが、原作はむしろ協力を申し出たタイを2人にチクり、タイはほとんど軟禁状態、サークルが全世界を支配下に収める透明化は完成してしまう。
原作のメイは実に計算高いいやらしい女なのだ。
タイ以外の創業者2人も裏では暗躍する腹黒い人物のように本作では描かれているが、原作では違う。
トム・ハンクスの演じたイーモン・ベイリーは、サークルで透明化を推し進めることが独裁国家に民主主義をもたらすなど世界を救うと盲信するカルトな宗教家のようである。
また本作でパットン・オズワルトが扮したトム・ステントンは、原作ではベイリーよりも力関係が明らかに上である。ただし裏で何をしているかまでは描かれていないので、そこも本作とは違う。
その他大きな相違点は2つある。
まずメイが透明化するきかっけだが、本作では船と衝突してシーチェンジを通して視聴者の目に触れて助けられた設定になっているが、原作ではカヤックとパドルを勝手に使用したことで警察に捕まったもののレンタル主に温情で許されたことになっている。
また本作でも透明化を押し進める政治家が登場するが、原作では透明化しない政治家への圧力が強くなり、その後わずか数ヶ月でワシントンの政治家の9割が透明化してしまい、世界中で透明化した政治家が何万人も存在するようになる。
本作のTwitterやLINE的なコメントに簡体字漢語とアラビア語がやたらと登場するが、原作では世界中から届くさまざまなコメントの言語への言及は一切ないし、漢族の亡命彫刻家にサークル内でオブジェを創らせる描写があったり、チベット問題に言及する箇所があったりと、わりと独裁国家には否定的である。
本作では単なる人探しの手段になっていた「ソウルサーチ」も、原作ではまさに犯罪を未然に防ぐためにその予備軍になりそうな人間を割り出すシステムとなっている。
読んでいてこの設定がアニメの『PSYCHO-PASS サイコパス』の犯罪者あるいは犯罪予備軍を数値化するサイコパスシステムに類似しているように感じた。
原作では結婚相手や恋人までこのシステムで見つけるのを匂わせているが、これもまさにサイコパスシステムそのものである。
また2015年にアニメ映画化された伊藤計劃の原作小説『ハーモニー』では、高度な監視管理体制を築いた組織「生府」が国家権力以上の力を持っていて、人間の意識まで同一化して個人の意識がなくなり、世界が完全に均一化されることで物語は終わる。
サークルが完全化してディストピアが現出する衝撃的な原作の最後に似ている。
『ハーモニー』では人々は自殺することすら許されず、発展途上国は「生府」の範囲ではないが、その設定もどこか似ている。
『ハーモニー』は日本では2008年に出版され、アメリカで英訳されて2010年にフィリップ・K・ディック賞特別賞を受賞している。
『PSYCHO-PASS サイコパス』も2012年に放映が開始されているが、『ザ・サークル』の原作小説は2013年に上梓されている。
ディストピア小説の元祖、ジョーシ・オーウェルの『1984年』の流れを汲む小説であるのは間違いないが、SNSの役割に焦点を当てて直近の未来的な作品にはなっているものの、筆者には上記2作品に設定が似ているように思えてしまった。
影響を受けている可能性があるだろうし、本作よりも原作小説の方が格段に面白い。
日本でもインターネットやSNSの普及で大手メディアで隠蔽されたり故意に語って来られなかった真実が表に出るようになったし、トランプ大統領がTwitterを既存メディアを攻撃する手段にしたことで日本でも有名人の間で同じ利用法が定着しつつあるように感じる。
ただし普段から衆人環視にさらされる政治家や作家などの有名人とは違って一般大衆のSNS依存は本作で描かれる危険性を常に孕んでいるのは疑いようがない。
筆者はTwitterをしたことがない。
過去にはFACEBOOKやミクシーも利用していたが、興味が持つのはせいぜい始めてから1・2ヶ月ほどで、それ以降は面倒臭さが先にたち、今や前者は退会、後者は何年もチェックしていない。
今年必要に迫られてLINEを始めて人とやり取りしていたが、スマホを持っていないためにPCで入力していたこともあって億劫になりやはり1ヶ月で飽きてしまった。
周りから何度かスマホやタブレットPCを持つ気はないのか聞かれることがあったが、外出時に持ち忘れることすらあるガラケーで十分である。
有名人ではない筆者からすると、本作のメイのように世界中の人々からコメントをもらってまたコメントを返すなどただただ鬱陶しいだけである。
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