あゝ、荒野 後篇のレビュー・感想・評価
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孤独な魂のぶつかり合いを見た
『あゝ、荒野』
20180323@アミューあつぎ映画.comシネマ
圧倒的なラストに言葉を失う、けど涙が溢れて止まらない。
2人には、この結末しか選びようがなかったのか…
選んだわけではない、必然的に辿り着いたのかもしれない…
2人の抱える孤独は想像を絶するもので、半端な心の触れ合いでは埋めようのない空白は、強い絆と友情を極限まで高めた。
本気で向き合う、それは強い痛みを伴う。
それでも、出会ってよかったと、魂は震えている。 >>>
二本立て一気見
観れてよかった
#あゝ荒野
#菅田将暉
#ヤンイクチュン
#寺山修司
続けて後編2021年3月末日に視聴
1番びっくりしたのは、新次の母(木村多江)の
「殺せー!」って叫ぶ所。
夫の仇の息子とは言え。そう来たかと驚いた。
しかし
そもそも新宿がね。
2021年はちょっと違うなあって思う
新宿新次もね
今どきしんじって 和牛の水田信二くらいしか思い浮かばない。
それでも前後編通して、見応えありなのは
役者と 縦筋のボクシングシーンに手を抜いてないところ。
(だとしてもこんなブン回す大振りな試合は見た事ないけど)
ボクシングには全然詳しくないんだけれど、死んだ夫が大変なボクシング好きだったから大きな試合は必ず録画して見ていたのを思い出す。
違和感の最たるものはデモ行進。
現代でデモに参加するのは左寄りの反日集団のイメージ。
1966年に書いた寺山修司も
2021年がこんなとは思ってないだろうなあ。
だが、あの時代に反政府反日だったおじさんおばさん(特に作家さん)は今もまだこういう思想であり続けている。
菅田将暉の演技もさることながら
でんでん とユースケサンタマリア がいい。
最後のちくわのおじさんの潤んだ目もなかなか良かった。
ボクシングシーンは最高
正直、前編のほうが面白かった。
後半には因縁対決があったので、どうなるかなと思ってみては見たものの、ここでぐっとくるってことはなく。
主人公の2人が、それぞれに涙するシーンは印象的。
健二は手紙を書きながら、きっと生まれて初めて自分に正面からまっすぐに付き合ってくれた新次から離れて、去っていくことを考えて泣いてた。大切な相手だからこそ、繋がりたいのに繋がろうとしたらそれは対新次の場合は戦うことでしかないように思えた。
新次は、彼女が姿を消し、アニキ姿を消し、そして、自分の居場所となったジムが消されるとなって、涙が溢れてた。どうしようもない物悲しさと、虚しさと、寂しさが伝わるシーン。菅田くん、泣いても綺麗なのね。
ボクシングはそもそも好きなスポーツなんですが、あそこまで血がダラダラでて、レフリーも止めないスタイルには少し違和感。でも映画ですから。よりドラマチックにしたらあぁなるよな。
ラストシーン、アニキと交えて、アニキが死んで、そのあと部屋で1人何かを見つめる新次の姿。その先にはどんな景色がうつっていたんやろう。
みんな居場所がほしかった
前後篇合わせて5時間と超大作だが、助長も物足りなさも感じず絶妙な重厚感でまとまっていた。CMを除くとテレビドラマの8話分ぐらいの長さになるので、連続ドラマもこれぐらいの創り込みができれば見応えあるものになるんだよね、きっと。
それほどこの映画には、多くの人の手間暇とお金が注ぎ込まれた結晶なんだと思う。
人は何のために生きているのか。誰しも生まれて死ぬまでの人生ずっと、自分の存在理由・価値、つまり居場所を探している。それは誰かと繋がり、必要とされることだ。
ただみんな平等で生まれてくるわけではない。平等に不公平なんだ。でもそんな世の中でも、それでも生きていかなくてはいけない。たとえ人種や生まれ育った環境の格差があろうと、逆境を跳ね返して強く生きなければならない。ずっと「希望という病」に侵されながら生きていくのだ。
自分の人生だからと言って、やっぱり自殺で片付けるのは悲しい。みんなやっぱりどこかで自分を殺すことには躊躇するけど、戦争や自爆テロは人の顔を見ないからできる。復讐が交錯する人間関係が描かれているが、憎しみの連鎖から何も生まれない。
「自殺防止フェスティバル」はすごくサイコパスだったけど、深く考えさせられるメッセージだった。
あと個人的に残っている言葉は、「中途半端な肢体で生まれて、完全な死体で死ぬ」。生きものはすべて死ぬために生まれて、死に向かって今を生きる。
高齢化社会、商売も生きるに関わること(結婚など)から、死ぬこと(葬儀など)に移ってきている。高齢者の娯楽だ。
アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞した菅田将暉の演技に真骨頂を感じる。ライバル役のヤン・イクチュンもどんどん味が出てくる。そんな彼らが魅せるボクシングシーンの臨場感は見応えがある。
あとこのご時世、おっぱいがたくさん出てセックスばっかしている映画でもある。笑
※前後篇共通レビュー
ラストシーンに何を思う
作品の重さを感じる。簡単に感想を書けない。わたしか恥ずかしい。ただこの作品にたずさわってるスタッフ出演者の方々は本当に素晴らしい。この作品を作り我々観客に見せてくれたことに感謝の念を送りたい。
胸が震える
いつぶりだろう…というか初めてかも
胸が震える程他人の気持ちを思ったのは。
最後の全員集結。
試合を見る表情や感情に
胸を押し潰されそうになった。
涙を堪えて、
過去の経験、現在の立場、
ひとりひとり知っているからこそ
感情が激しく動く。
やはり同性だからか、
女性の方に気持ちを持ってかれる
ただ木村多江さんが上手いからか。
でんでんとユースケサンタマリアも
社長息子とちくわの表情もすごくよかった
伝わってきた…
信次の目が印象に残ってる。
こっちを睨みつけているような
観客を刺す視線。
なにかを言いたげでもあり
なにも言うことはなさそうでもあるような黒い目。
前編後編通して、主演の2人が素晴らしかった。
菅田将暉やっぱすげえな、、、。
バリカンもものすごく繊細な演技だった。
体つきが服を着た背中でも最初と最後では
全く違う気がする。
演者の演技に対する執念を感じた作品。
もっとたくさんの人たちに見て欲しい。
現代社会への警鐘
前篇の複雑に絡み合う人間模様に期待していたけど、芳子とその母(河井青葉)、バリカンと父、新次と母といった親子の絆の描かれ方がかなり薄くなってきていた。特に震災の影響で母親を置き去りにした芳子に関しては、同じカットにいるのに繋がらないし、バリカンと父はリングで倒れていくのと同時に息を引き取ったみたいで繋がらない。新次の母京子だけは「殺せ、殺せ」と積年の恨みを晴らすかのように新次を応援するが、新次との確執が解消するわけではない。新次との繋がりを求めていたバリカンの熱い想いとは裏腹に親子関係が薄らいでいくのだ。ある意味、それを主張したかったのかもしれないけど、どうも釈然としないのです。
ボクシング映画だと思って見ていれば、それなりに凄い作品です。また、それ以上に、全編通して背景にある社会奉仕プログラム法の反対デモが現代社会への警鐘として訴えてくるものがあるのです。今の与党が3分の2を超える状態なら、日本を戦争ができる国にして、徴兵制をも復活させることは簡単かもしれない。オリンピック直後という時代設定も考えると、ナチス政権下のドイツをも思い起こしてしまいます。
原作小説を読んでビックリ!
今回後編を観る前に寺山修司の原作小説を読んでみた。
予想に反してまったく左翼的でもなく、自殺サークルも登場するにはするが、社会の閉塞感を苦にしてのものではなかった。
ただ自殺してみようというノリの自殺だった。
あくまでも焦点は新宿新次とバリカン建ニの2人の関係性であり、時代性を差し引いてもおそろしいほど面白かった。
それにひきかえ本作は……相変わらず酷い左翼傾向、原作の改悪、よく原題の『あゝ、荒野』をそのまま使えたものである。
見上げた根性だ!
筆者はある程度映画はなんでも観てみようと思っているから本作を観ているだけであって、そうじゃなかったら誰が本作を観るのだろうか?
もちろん映画館には筆者以外に客はいた。
しかし前編を観た時点で嫌になる人もいるだろうし、それ以上にそもそも本作のうざい政治思想を嫌って観ない人がほとんどなのではないか?
本作のテーマのどこに現代の需要があるのか全くわからない。
親しい友人にあらすじを話したら「金をドブに捨てるようなもの」と吐き捨てられた。
また寺山の原作を必要以上に膨らませ過ぎている。余計な話が多過ぎる。
原作の新次の両親は健在だ。そして登場しない!
自衛隊の海外活動を苦にして父ちゃんが自殺することもなければ、母ちゃんが新次を教会に預けることもない。
新次が少年院から帰還したのはいっしょだが、オレオレ詐欺なんかしていないし、詐欺仲間との確執もない。もちろん詐欺仲間も登場しない。
建二の母親は韓国人でもない。親父が自殺志願者なのはいっしょだが、原作では自殺するまでの間思う存分飲み食いできるという理由から自殺志願しただけである。
むしろ殺されそうになって一命を取り留めて新聞沙汰になっている。
本作で高橋和也が演じた宮木は原作ではインポテンツ気味で生身に興奮できない男である。
建二といい仲になりかける恵子役の今野杏南も原作には登場しないから、本作のとってつけたような建二の甘い体験もない。
流産からのあの強引な展開はなんなんだ?
芳子の母親のセツは原作では登場したようなしないような存在感であり、もちろん片目といい仲になることなんかない。
でんでんの演じたトレーナー馬場も本作のオリジナルキャラクターである。
自殺サークルの中心人物の川崎敬三〈そっくり〉は原作では思想もない軽薄な男で自分は自殺なんかしない。
そして何より許せないのは、建二の改変である。
原作の建二は最後までずっと弱いままである。
年齢も新次より年下の痩せたノッポで、同じジムに通う間2人はそれほど仲が良いわけではない。
吃りでまともなコミュニケーションの取れない建二は新次と殴り合うことで絆を深めたくて移籍するのだ。
弱いから新次にボコボコにされ、途中打ち所が悪く頭をコーナーに打ってさらにボコボコに殴られて死ぬ。
移籍には大きな意味があるし、彼の死にも納得がいく。
しかし本作はどうだ?
新次以上の実力がある建二のどこに新次に殴り殺される必然性があるのか?
本作の流れ通りに普通に考えれば新次に殴り勝てば建二のコンプレックスは解消されるのではないだろうか?
建二役がヤン・イクチュンという韓国人だから「忖度」して強くしたはいいが、でも最後は原作通りわざと無防備で死なせたと勘ぐらせるようなわけのわからない展開になっている。
「殺す」とか「殺せ!」とか「憎め!」とかいう言葉も原作には一切登場しない。
左翼的な作品性と相まってなんだか制作者たちの今の日本社会への恨み節に思えてならない。
原作にはセックスシーンもそれほど出てこない。
ちっぽけな左翼的テーマのために寺山の原作小説を利用するな!だからとってつけたような東北震災ネタも単なる左翼利用に堕すんだよ!
これをクソと言わずして何をクソと言うのか!
寺山の原作を踏襲して余計な話を加えなければ前後編2部作にすることなく1本の映画にまとめられたはずである。
俳優陣の渾身の演技は後編を通じても変わらず拍手を送りたい!
木下あかりや今野杏南、河井青葉が惜しげもなく見事な裸体を披露してくれたが、本作のような駄作では明らかに単なる脱ぎ損である。
本作は早くもBD/DVD化されているが、未公開シーンを加えたR-18版で5時間になるのだとか。
寺山が描きたいのは過激さではない!
劇中で登場人物を使って「殺せ」と言わせている場合ではない!
寺山が生きていたら殺されるのは誰か考え直した方がいい。
悲しい
憎しみの男と、誰も憎めない男。悲しい二人は、やはり悲しいまま終わってしまった。最後の試合のシーンは涙なしでは見られない。みんな悪者に見えるけど、愛するものがある。二人にはそれが見つけられなかったのかな。
これはバリカン健二の物語
前編には何も心揺さぶられなかった私ですが、後編にはやられました。
前半の方のスパーリングで健二が初めて相手に向かって行った時、前編含めてこの映画で初めて感動したというか興奮しました。ここから面白くなるなって感じました。
ただ、やはり原作を読んでいなくて映画を観ただけの感想なんですが…無駄な描写が多いというか………とりあえず、自殺防止サークルの類いとエロ描写は必要ないと感じました。真司と健二の心の葛藤のやり取りをもっと見たかったです。
最後の二人のシーンで、芳子の母親のアップとかいるか???とか思ってしまいました…w
私的には、真司よりも健二の気持ちに感情移入できました。なので最後は健二に勝って欲しかったです…
最後の終わり方が壮絶的でした…。
もう一度、観に行きたいです。
観られる方は、前編後編通して観られる事をオススメします。
バリカン健二よ!
後半は、バリカン健二の出番だ!近未来だがまるで、矢吹丈と力石との闘いだ!
今野杏南のオッパイが美しい!しかし流産された方のオッパイとは、思えない!
菅田将暉のボクサースタイルは、カッコいいぜ!
ビヨンド カタルシス
後半のストーリー展開は、映像に流れるヒリヒリとした焦燥感が最後迄纏わり付く。多分、原作もそうなのだろうし、ラストの結末も同じなのかは不明だが、主人公の二人が救われるというカタルシスには持って行かない。どなたかのレビューでATGの作風を引合いに出されていたが、確かに後半はそれが色濃く溢れていた。父親のストーリー、そして公開自殺した男の元恋人の伏線回収はかなりショボかったので、大胆にこの部分はカットしても良かったのではと思うのだが、しかし濡れ場、ヌードシーンは絶対必要。そういう意味でサービスカットは心に潤いを与え、そうでなくても舌が乾くようなシーンの連続にあって、今野杏南のバストトップや、木下あかりの動物のようなまぐわいは或る意味一定の精神安定をもたらしてくれる。
ラストの怒濤のファイトの末の、リング上の死という帰着は壮絶だし、果たしてこれが正しい映画のあり方なのかと、観終わった食後は憤りも覚えたが、しかしこれも又作品としての形は正解なのかもしれない。前半に口を酸っぱくして言っていた台詞である、合法的に殺すという意味をこれ程ストレートに表現した、バカ真面目なド直球のテーマなのかもしれない。『書を棄て街へ出よう』といった寺山修司の発する強烈なアピールを自分のようなもう初老も過ぎた人間には届かないだろうが、今の若者がどれだけキャッチするのだろうか、はたまた映画だけのフィクションで終わるのか、この日本への『檄』に思えてならない作品であった。
あゝ、名作!
プロボクサーを目指す二人の男を描いた寺山修司の小説の2部作映画化後編。
後編の最大の見せ場は前編最後の予告でも分かる通り、“新宿”新次vs“バリカン”建二。
理由はどうあれ、共にスタートし絆を育んできた二人の男がリング上で拳をぶつけ合う事になるなんて、何とドラマチック! 最高のクライマックス! やっぱりこうでなきゃ!
しかし、興奮と感動のクライマックスについて語るのは、もうちょっと後で。
何せ後編は、ドラマ的に展開がいっぱい!
もう何から語っていいのやら…(笑)
まず、新次と建二には、お互いの父親同士の思わぬ関係が。
それを知ったのは新次。さすがに同様隠せない。が、
別にこれが闘う事になった理由ではない。
父親同士の関係が息子たちに降りかかって溝を作るなんてナンセンス。父親同士は父親同士、俺たちは俺たち。
関係ねぇよ。
また後編では、登場人物たちが意外な形で繋がり合う。
この“繋がる”というのが、今回のキーポイント。
因縁ある元仲間との試合が決まった新次。
憎んで憎んで、殺しても殺し足りない相手。
ゴングが鳴る。
お互い、闘志と殺意がぶつかり合う。
その“殺し合い”の果ては…
建二にも大きな変化が。
ある女性との出会い。(この女性が、まさかあの人物とはね…)
死期迫る父親との再会。
そして、ボクシングの腕が伸び始める。
気に入られ、別ジムから引き抜き。
建二は去る…。
ジムが閉鎖される事に。
行き場を無くす新次や片目たち。
芳子も新次の元を去る。
そんな時、強豪となった建二から試合の申し入れが…。
キャスト陣の熱演については前編レビューでたっぷり書いたので割愛…したいが、やっぱりどうしても触れたい!
菅田将暉、ヤン・イクチュン、ユースケ・サンタマリア、木下あかり、高橋和也、でんでん、木村多江…。
もはや演技というレベルではない魂を燃やした姿に、改めて拍手と称賛を贈りたい。
遂に、新次と建二の試合の時が。
そもそも、何故二人が闘わなければならないのか。
それは、闘わなければならないからだ。
前編は言わば、何にも無い荒野のようなこの世界で、何にしがみつくか、だったと思う。
今作は、何にも無い荒野のようなこの世界で、何と闘い、誰と繋がるか。
憎しむ事でしか繋がれない新次。
それを受け入れる事でしか繋がれない建二。
動と静。憎しみと愛。
あなたと闘い。あなたと繋がりたい。あなたを愛したい。
拳をぶつけ合って、語り、受け入れ、繋がる。
荒野の男たち。取り囲む周りの者たち。
それぞれ各々の胸中を込めて。
5時間の壮絶な生きざま。
長尺があっという間、またこの世界に浸りたいと思わせる。
こりゃ本当に、今年の邦画の…いや、今年の映画の“チャンピオン”の一つ!
それでも生きる
2022年の新宿。
新宿新次とバリカン建二はプロボクサーとして日々トレーニングに励んでいた。
世の中は社会奉仕プログラムと言う制度のもと徴兵や徴介護を強いていた。
新次も老人介護施設で介護の職に就いていた。
かつてはラブホテルであった建物を介護施設に利用したのだ。
笑えるようで笑えないこれから起り得ることかもしれない不安が過る。
結婚式場は葬儀場となり若者達は死に急ぐ。
自殺者が増え続け何の希望もない未来。
そんな荒野で必死に生きる2人の姿を描く。
人は何の為に生き、何の為に働き、何を求める。
新次の狂気に満ちた目が強い憎しみをパワーに変える。打たれても打たれても這い上がる精神力が生きる事を教えてくれる。
建二は新次を倒す為に移籍した。新次と繋がりたいと願う建二は新次を憎むことが出来なかった。
新次の父を死に追い込んだ仇の息子である建二。
新次の母の叫び声が生々しく響く。
脇を固める俳優陣が素晴らしい。
ユースケ・サンタマリアの自然さ。
でんでんの安定感。
高橋和也の変態的な演技は竹中直人の路線。
ケバい木村多江も良い。
試合シーンが前編より多く見応えあり。
生きることは愛されること
新次とバリカンの闘い、こんなに瞬きができない映像作品あったか?って思いました。全身の神経を持っていかれて、あゝ、荒野の世界と繋がってた。繋がってた糸が、エンドロール前のゴングでプツッと切れる。観る前と後で違う自分になった感覚。
前篇は面白かったのになあ
前篇もシリアスシーンというか、文学的なシーンというか、含蓄ある重いシーンは脚本・演出・演技 弱かったんだよね。後篇は全部がその重いシーンでいくから、駄目だったよ。
キャラも崩壊してないかな。木村多江が「あなたには謝らない」って言うんだけど、前篇ではお弁当つくって仲良くしようとしてたんだけどなあ。
登場人物がみんな寝てはすれ違ってくけど、あれ、何が言いたかったんだろ。でもバリカンが「あなたとは繋がれない」って言うところは『世の中にこんな残酷な振り方があるだろうか』と思って面白かったなあ。
最後なんかデモの話が絡んでるっぽかったけど、これ前篇でも浮いてたけど、後篇ではいらないシーケンスになっちゃってた。
そんなこんなもあるけど、ボクシングシーンの迫力で繋いでるんだよね。でも、山田裕貴との試合の方が、ラストの試合より迫力あるってどうなんだろ。
寺山修司原作を映像化するって難しいのかな。前篇が良くて期待してただけにガッカリだったよ。
前篇から1年後、2022年の新宿
前篇に比べ疾走感はなくなり時間を感じる静の時間が多かった。
今野杏奈が脱ぐとは思わなかった。セガミオリジナル0・01を使う新次と芳子のセックスシーンに加え、片目とセツのセックスシーンもあるのでR15+指定。
裕二と新次の遺恨試合でもスッキリ出来ず、バリカン健二の繋がりたいという思いに「騙されないぞ」と挑み「愛して欲しい」というアニキを殴り殺してしまう新次のラストカットの視線の先に荒野を見た気がする。
でんでんが出てくるシーンがどれも泣かせる。
ブラフマンの主題歌よりハレルヤ~♪の曲が印象に残った。
芳子とセツの邂逅がなかった。
京子が「殺せ~」と叫ぶシーンはよかった。ケバイ木村多江はなかなかハマっていた。
広げまくったエピソードをすべてきれいに回収することは出来なかったものの、監督と主演2人が「俺たちの代表作にしよう」と誓っただけのことはある熱いものを感じる作品だった。
あれ?
スローな出だしに、じれったいと思うほど「後編」を心待ちにしてた自分がいた。
前編はアウトローの特権とでもいうべきか、色々な制約の中で生きる必要はなかった。
だけど、後編になって逃れようのない社会というものがジワジワとその無慈悲さを露わにしてくる。
その不自由さが、作品から受けるジレンマかと思ったら違った。
荒野の割には随分湿っぽい荒野だった。
お決まりの脚本と演出のように感じた…残念ながら。
リングで殴られ続けるケンジは熱演だった。
ジムの閉鎖を告げられたシンジの孤独感も。
役者陣は仕事以上の仕事をしてたと思う。
でも、最後の試合は茶番であった。
顔を殴れないのは仕方がなかろう…いや、そう思わなきゃ仕方がないんだけど!
だけど、接近してボディの連打には興も冷める。そして、その2人を見つめる人々の涙の意味がわからない…。
シンジの母親の涙だけが、痛烈に俺の心臓を鷲掴みにしてた。
何にお前ら泣いてんだ?
そんなにも2人に関わってたか?
…それよりも。
ケンジの独白の真意が分からない。
愛してほしい??
僕はここにいる??
どこにも逃げないで??
離別を選んだのはあなただろ…シンジと親友でいる為に。
最後まで拳を交わす理由がケンジの方にこそあるんじゃないのか?
塗りたくられた血糊も嫌いだ。かえって嘘くさい!
ラストカットも意味が分からない。
誰に向けられた視線なんだ?
この原作は、人は成長しないって事を暗示してんのか?
徴兵制度がある社会背景も何の伏線であったのか、よく分からなかった…。
前編を観終わった後に、街ゆく人の全てに命の迸りを感じたのが嘘のようだ。
総じて、なんか体良く誤魔化され、グダグダな作品に成り下がった印象を受けた。
残念で仕方がない…。
う~ん…
前編が良く、期待しての後編だったが…。繋がりを求める話なのに、登場人物が都合良く繋がりすぎで萎える。そして最後の拳闘シーン、どうしても「レフリー、早く止めろ!」とイライラし、まったく感情移入が出来ない。頼むから「ボクシング」をしてくれ、と…。新次のあの連打は、バリカンの妄想の世界なのだ、と思い込む事で、何とか堪えた(笑)。
一番ぐっときたのは新次に敗れた裕二が車椅子姿の劉輝に泣きながら頭を下げるシーン…。
俳優陣は素晴らしかった。特にヤン イクチュン。「息もできない」「かぞくのくに」での彼には魅了された。今回のバリカン役も見事だったと思う。でんでん、ユースケのコンビも秀逸。個人的に感慨深いのは高橋和也。「そこのみにて光輝く」もそうだったが、スケベな社長役がすっかり板についている。男闘呼組時代から(良い意味で)遠くへ来たものだ、と感じた。
男の生き様をみた
前後編を一気に見たけれど、全く退屈しなかった。
憎む相手を殺すつもりでボクシングを始める年少帰りの若者は、やがてボクシングにも好きな子にも真摯に向き合うことを誓う。そして吃音でどもりの韓国人ハーフの男は孤独な自分がボクシングを通して繋がりたいと思う。ありふれた成功物語ではなく、友情でもないけれど、男達が何かを求めて戦う様は心に響いた。
菅田将暉のダル〜〜い感じとキレてケンカするシーン、はたまたボクシングで戦うシーン、どの場面もその目つきに魅了された。
そしてヤンイクチェンの演技は、本当に心をもっていかれた。
面白かった〜〜
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