「四半世紀経った「今」から見た1993年の空回りと暴走」リバーズ・エッジ FAC51さんの映画レビュー(感想・評価)
四半世紀経った「今」から見た1993年の空回りと暴走
岡崎京子の作品はあまり共感出来ない登場人物が多くて、一度くらいペラペラと読んだ程度の知識だけど、映画『リバース・エッジ』は原作をそのまま映像化したような作品だった。そのまま映像化して観客の大半に伝わるようになるまで四半世紀かかったことが作品の先駆性とテーマの普遍性を物語っているんだけど、逆にキャラクターの造形や行動が時代錯誤な部分も出てきたのが皮肉というか。
それを補うかのように、画角を終始スタンダードサイズにして、ビデオテープの映像のように加工し、ファッションも当時に則るなど、徹底して原作の舞台である1993年を再現(背景のタワマンは消せなかったのが惜しかったが)。表面上は楽しそうにしていても、空虚を抱え、誰とも心を通わせられないまますれ違い続け、暴力、ドラッグ、セックスへと空回りする青春の物語は、当時、登場人物たちと同じ年くらいだった僕には、何となくあの頃の社会全体が抱えていた焦燥感や切迫感が蘇って来たのだけれど、割りに合わなすぎる暴走の姿は、今の若い子たちにはどう伝わるのかがちょっとよくわからなかった。
ボコボコに殴って裸に剥いてロッカーに閉じ込めたり、校内で喫煙したり、キメセクしたり、校内でもセックスしたり、ベランダからタバコポイ捨てしたり、ああ93年治安悪ぃなぁーって、時代錯誤に思えて、何となく冷めた目になる瞬間も多くて。
エンドロールで小沢健二の「アルペジオ」がかかるのは、まさにピークにいながら空虚さを抱えていた彼の心情を歌っていて秀逸だったんだけど、エンドロールが残り1分くらい残ってるところで楽曲が終わってしまい、このまま無音で終わるのかなと思っていたら、おもむろにインストバージョンが流れ出し、CD垂れ流しみたいで笑ってしまった。曲がもう少し長ければ、出来ないならエンドロールの速度をもう少し早くすれば余韻も良かったのにな、と思った。