「歓びがあるだけの映画ではないが、希望はある」歓びのトスカーナ りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
歓びがあるだけの映画ではないが、希望はある
ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ主演で、監督は『人間の値打ち』のパオロ・ヴィルズィ。
日本版タイトルからはコミカルな女性映画の雰囲気がただようけれど、監督が監督だけに一筋縄ではいかないような感じもする、というのが観る前のイメージ。
イタリア・トスカーナ地方の犯罪者用精神病施設。
グループ活動があったり施設外での作業もあったりと、収監と社会復帰の両方を目的に作られた施設のようである。
貴族の出身で、弁護士の夫を持っていると自らいうベアトリーチェ(ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ)は自由に気儘に振る舞っているが、外に出たくてたまらない。
ある日、新たに入所した若いドナッテーラ(ミカエラ・ラマツォッティ)と共同作業をすることになり、里子に出された息子に会いたいという彼女を利用して、ふたりで施設を脱走することにした・・・
といったところから始まる物語で、女性ふたりの逃避行を描いていく。
女性ふたりの逃避行なので、『テルマ&ルイーズ』を思い出したりもするのだが、やはりイタリア映画。
雰囲気は異なる。
とにかく、嘘だか本当だかわからないことを次から次へとまくし立て、自分のやりたい放題にするベアトリーチェのパワーに圧倒され、彼女に引きずり回されるドナッテーラが気の毒になってくる。
そんな、ほとんど無目的(ベアトリーチェにすれば自由を謳歌するという目的があるのだけれど)の逃避行の中で、富裕層のベアトリーチェと貧困層のドナッテーラの生活背景などが浮き出てきて、さすがは『人間の値打ち』の監督、と唸らされる。
あぁ、イタリア社会もかなり苦しいんだろうなぁと感じながらも、どんづまりになった『テルマ&ルイーズ』とは対照的に、『ベアトリーチェ&ドナッテーラ』のふたりは、人間の中に希望を見出す。
原題は「LA PAZZA GIOIA」は、「怒っての歓び」と相反する感情を同時に表現した言葉。
日本語でいえば、喜怒哀楽の「喜怒」ってところか。